⑦
―――場所は変わって、学生寮303号室。
時計の秒針の音を聞きながら、学習机に座っている俺は猛烈に悩んでいた。
「…………。」
机の上には、園田先生から明日提出するよう指示された反省文があるが、まだ真っ白だ。普段なら早く書いてしまおうとするだろうけど、今日ばかりは手が進まない。それに、そもそも俺が悩んでいる原因は反省文ではない。
俺が悩む理由はすべて、ベッドの上で雑誌を読んでいる男―――結城 千隼にある。
(なんで……なんで今日に限って部屋にいるんだよー!!)
結城先輩の好きな女子のタイプを聞いて来いだなんて、今の俺にとって「屋上から飛び降りろ」と言われるのと同じくらいの威力がある指令だ。
せめて最後の手段として、今日は結城先輩が帰って来ませんようにと祈っていたというのに……部屋を開けたらすでに帰って来ていたというこのオチ。もう完全に詰んでる。
(ど、どうやって話を切り出せばいいんだ。いっそのこと単刀直入に……いや待てよ、もし結城先輩が俺に怒ってるなら、口をきいて貰えないんじゃないか?現に帰ってから俺達一言も喋ってないじゃん。この状況で好きな女子のタイプ聞けるほど、俺は勇者じゃない。もう素直に明日「無理でした」ってシオリさんに謝って、煮るなり焼くなり…)
「おい。」
「――うわぁいっ!?……は、はい、なんでしょうか。」
びっくりしすぎて、座ったまま椅子から数センチは跳ね上がった。長い沈黙を破ったのは、まさかの結城先輩の方だ。
「さっきからカチカチうるせー。どんだけシャーペンの芯出してんだよ。」
「え?……あ、ほんとだ。」
どうやら無意識にシャーペンの頭を連打していたらしい。慌てて出過ぎた芯をどうにか元に戻そうと格闘していると、結城先輩はため息を吐いた。
「お前さ、俺になんか用でもあんの?」
「え゛!?いや、別にそんな、」
「じゃあ挙動不審に何度もこっち見るのやめろ。うぜーから。」
「それはどうもすみませんでした!」
バキッ!と音を立ててシャーペンの芯が折れる―――なんでこいつはいちいち嫌味な言い方しかできないんだよ!
(あれっ、でも、いま普通に喋ったよな。それにこの流れはチャンスなんじゃない?)
行くか、行かざるか―――迷う口を噛みしめていると、机の上のスマホが震えた。メッセージの送信者は陸だ。
『秋人ー大丈夫か?』
『さっきシオリさんから連絡あって、↓の内容をお前に伝えてほしいって言われたんだよね。』
『やっほー日野君。千隼が帰ってきてるの、知ってるからね?』
(あああああ駄目だもうこれは行くしかねーーー!!!)
覚悟を決めた俺は、身体をベッドの方へ向けた。喉がごくりと鳴る。
「あのっ、ほ、本当は聞きたいことがあるんですけど。」
「聞きたいこと?……何。」
「えっとですね、その、結城先輩の、好きな………」
思い切って顔を上げたら、結城先輩とばっちり目が合った。その瞬間、俺の体中の熱が一気に顔に集まっていく。
「――――っ!? す、すすす……………好きな食べ物って何ですか!!」
…………あれ??
「はぁ?好きな食べ物?」
ま―――間違えたあああああああああああ!!!!
(な、何やってんだよ!?)
(いや、無駄にあいつの顔が良いのが悪いんだよ、なんかすごい緊張したんだよ!!)
(緊張しいも大概にしろよ、どうすんだこれ!)
(いや落ち着け大丈夫だ、こっから話を広げるんだ。シオリさんだって好きな食べ物知らないかもしれないしな!)
(((たしかに!!)))
脳内で何人もの俺が必死に話し合う一方で、結城先輩は思い切り「何言ってんだコイツ」という顔で俺のことを見ている。その気持ち、痛いほど分かる。
「べ、別に変な意味は無くて!ただ、好きな食べ物なにかなーって。」
「そう言うお前はどうなんだよ。」
「へっ?お、俺ですか?……………オムライス。」
「オム……ふはっ、お前食堂でアホみたいな顔して食ってたもんな!」
「誰がアホですか、普通の顔で食べてましたよ!!」
何がそんなに可笑しいのか、結城先輩は楽しそうに笑っている。
出会ってから嫌味な笑みは何度も見たけど……初めてちゃんと笑ってるとこ見た。元々が甘い顔をしているだけあって、笑うと少し幼くなるんだな―――って、何を考えてんだ俺は。
「いつまで笑ってんですか。俺も言ったんだから、先輩の好きな食べ物教えてくださいよ。」
「好きな食べ物か……。」
断られるかなと心配したが、意外にも結城先輩は答えてくれる気があるようだ。
何度か琥珀色の目を瞬かせたあと、すこし首を傾げた。
「………そりゃラミアだし、血?」
「た べ も の ! ! 」
「うるさ……ハイハイすみませんねお姫様。」
「その呼び方やめろ!」
何だよ、ラミアだしって。ラミアだって食事は俺達と同じようにするんだから、好きな食べ物ぐらいあるだろ。ちなみに、スズメは苺タルトが好きって言っていた。
「……………。」
結城先輩はいくら待てども答えない。雑誌をめくる手は止まっているから、たぶん考えているんだろうけど………もしかして。
「……自分の好きな食べ物、分からないんですか?」
「……別に、どれも一緒だろ。特別美味いとか、好きとか無い。」
「えぇー……思い出の味とかも?」
「特にねーよ。」
マジかよ、と思ったが、世間は広いしこういう人もいるんだろう。それか、単に食事に興味がないのかもしれない。
「じゃあ、嫌いな食べ物は?」
「オレンジジュース。」
「だから食べ物…って、なんでオレンジジュース?」
「うるせーな、なんでもいいだろ。終わりだ終わり、怪我人はさっさと寝ろ。」
「えっ、待ってまだあります!えっと……なんだっけ……」
ふと、昼間に瀬谷先輩と話したことを思い出した。
―――今だったら、聞けるかもしれない。
「……どうして、結城先輩はあの公園が嫌いなんですか?」
「は?……なんだそれ。」
一瞬で、部屋の温度が急激に下がったのを感じた。
背中がひやりとして、やばいと思った瞬間、雑誌を勢いよく閉じた先輩が俺を見下ろす。
「おい、誰がお前にそんなこと言った?雅人か、圭か、それともあの……」
「せ、瀬谷先輩から聞きました―――あの、ごめんなさい。俺も小さい頃ラミアに噛まれたのがトラウマで、あの公園が嫌いだから、先輩はなんでかなって、思っちゃって……。」
……まただ。昨日先輩が俺を吸血しようとした時と同じで、その琥珀色の目に睨まれると、身体が麻痺したように動けなくなる。
「…………。」
重い空気の中、また時計の秒針を聞きながらじっと耐える。いっそのこと、怒鳴って欲しいくらいだ。
……きっと瀬谷先輩は、本当に俺が本人に聞くなんて思わなかったに違いない。安易に聞いてしまった俺が馬鹿だったのだ。
「はぁー……なに考えてんだクソ雅人。」
意外にも結城先輩が口に出したのはそれだけで、また雑誌を持って仰向けに寝転がった。
フッと、急に部屋を包んでいた重圧が消える―――身体が自由になった俺は小さく息を吐いた。
……とにかく、ちゃんと謝らなくては。
「あの、嫌なこと聞いてしまって、すみませんでした。」
「はぁ?お前が謝ることじゃねーよ。でも、どうせお前に教えても、脳みそ溶けてて理解できないから言わない。」
「そうでしたか、そりゃ残念です!」
確かに今の口調に怒気は感じられないし、一言多いのも含めて普段と変わらずだ。
雑誌をめくる音に続いて「それと、」と呟く。
「お前も聞いたことあるだろ、ヴィズはトラウマ・不安・恐怖心―――そういう人間の弱さに惹きつけられて、現れることがある。だから、お前はもうあの場所には行くな。嫌なことは………忘れてしまえ。」
「……はい。」
ヴィズの出現については、昔から世界中で研究されているが、いくつかのパターンがあると推察されているだけで解明には至っていない。
有無を言わさぬ空気に頷いたものの、確か瀬谷先輩は、結城先輩は今でもあの公園に行く、とも言っていたことを思い出す。
(結城先輩もあの公園が嫌いなら、行かないほうが良いんじゃないか―――なんて言ったらまた怒られそうだ。1人でヴィズを倒せちゃうくらいだから、俺の心配なんか無用だろうけど……あんなとこに、何の用があるんだ?)
再び静かになった部屋で反省文に向き合ってみるが、やっぱり手は進まない。
……なんだろう、このモヤモヤした気分は。いま結城先輩は、どんな顔をしているんだろう。
(嫌なことは忘れてしまえ……か。やっぱりあのヴィズは、俺のトラウマに惹かれてきたのかな。)
俺にとっての嫌なこと……あの公園のことは、思い出すな、考えるな、近寄るな、忘れろ、と皆は言う。俺もそれが正しいと思う。
(でも、それでいつか俺の中から綺麗に消えて無くなるんだろうか。)
俺は今日もまた、変えようのない過去の出来事に蓋をする。たまに隙間から覗いて、怯えて、溢れないことを確かめて、また蓋をして―――そうしてずっと、俺の中に閉じ込め続けるのだ。




