⑥
昼休みの後、午後のオリエンテーションが始まっても園田先生は現れなかった。
藤井先生は苦笑いで「園田先生は会議に行っているの。」と言っていたが、事情を知る1人である俺は心の中で、藤井先生の見えない苦労を労わるばかりだ。果たして園田先生は、あの上級生たちは、どうなったんだろうか……。
そしてすべての予定を終えた放課後、Aクラスにひょっこり顔を出したのは陸だ。
「秋人終わったー?一緒に帰ろうぜ。」
「おお、帰るー。今日は野球部行かなくていいの?」
「昨日と同じ内容の見学なんだってさ。……そんで、秋人待ってる間に、もう1人一緒に帰りたいっていう人が来たんだけど。」
陸が後ろを振り向くと、その人物は陸の陰からぴょんと飛び出るように現れた。
「日ー野ー君っ。一緒に帰りましょ。」
「ひょぇ、シオリさん!?」
「なによその変な声は!私たち仲良しじゃん。それに、こんなイケメンの幼馴染がいるなら早く言ってよねー。まぁ、千隼が1番だけど。」
「あ、どうもー。……俺、褒められたってことでいいんだよな?」
「俺に聞くな!」
シオリさんは胸まである黒髪を手でさらりと流し、勝気な目で俺を見上げた。周りの1年の男子がそわそわしているが、彼らに昼の素晴らしい牛乳パッククラッシャーぶりを見せてやりたい。
ぺしゃんこにされる恐怖のあまり、その場しのぎで友達になると言ったものの、まさか一緒に帰ろうと言われるとは予想外だ。やんわーり断れないかと画策する俺の額に汗が浮かぶ。
「シオリさん…俺達、男子寮に帰るんですけど。」
「だから?私はその隣の女子寮に帰るんだから問題ないでしょ。」
「えーと、俺よりも結城先輩と一緒に帰った方がいいんじゃないですか?」
「帰れるもんなら帰ってるわよ。ちょっと目を離した隙にいなくなるんだから……別に友達なんだし、一緒に帰るくらい良いじゃん。ねっ、間宮くん?」
「ん?ああ、そうっすね。―――秋人と仲良い先輩なんだろ?みんなで帰ろうぜ。」
「……はい。」
爽やかスマイルを浮かべる陸の前に、俺のショボい画策は崩れ落ちた。しかもなんだか自分が嫌な奴に思えてくるぞ……おのれシオリさん、何も知らない陸を使うとは卑怯なり……!
陸に「じゃあ行こ!」と言いながら俺をちらりと見たシオリさんは、完全にしてやったり感で溢れていた。
◆◆◆
「……でさー、その時の千隼がほんと恰好よくてー。」
「へぇ。」
「ふーん。」
「…で……だから、千隼になら毎日献血してもいいのに、たまーにしか吸ってくれないのよねー。」
「はぁ。」
「ほぉー。」
「―――ちょっと、ちゃんと聞いてるの?あんた達さっきから『はひふへほ』しか言わないんだけど!?」
「聞いてます、聞いてますって、痛い!」
バシバシ鞄をぶつけてくる先輩を懸命になだめようとしながらも、俺はまた頭の中で『なかよく』ってなんだっけと考える。
シオリさんは俺と友達になるとか言っていたけど、今のところ結城先輩の話を永遠と聞かされているだけで……これは俺と流石の陸でも反応に困るというものだ。
「まあまあシオリさん、その辺にしてやってください。結局アレでしょ、シオリさんはその結城先輩って人が大好きって話ですよね。」
「なっ………ま、まあ、そうだけど。」
陸の言葉に一瞬肩を揺らしたシオリさんは、急に口ごもって髪を耳にかける。その耳は赤く染まっていた。
「えっ、本気で?うちのクラスの女子みたいに、同じ空気吸いたいとか、微笑まれたら死ぬ的な好きじゃなく?」
「あ、当たり前でしょ。2・3年の取り巻きはほとんどが本気なんだから、イチイチそんなことで死んでる暇なんかないわよ。」
「「ひぇー。」」
俺は昼休み、瀬谷先輩の微笑みで卒倒して保健室に運ばれた面々を思い出す。
みんな十分幸せそうな顔で気絶していたが、他所ではもっと高みにある幸せを求めて、激しいバトルが繰り広げられているという訳か。そして、シオリさんもそのファイターの1人……ということは。
「ああー、俺今やっと分かりました!シオリさんは結城先輩に近づくために、同室の俺と仲よくしたかったってことですね。」
「なに、今頃気づいたの?もしかして友達を辞めるなんて言わないでしょうね。」
「いやーむしろ目的が分かって安心したっていうか。潔すぎて気持ちいいっていうか。」
「……ははーん、そういうことか。おかしいと思ってたんだよなあ、秋人に急にこんな美人な先輩ができて、しかも仲良しとか言うからさー、騙されてんじゃないかと心配したぜ。」
「「どういう意味!?」」
俺たちは同時に声をあげるも、悪気なく軽快に笑う陸を見て、すっかり力が抜けてしまった。
不服そうに口を尖らせているシオリさんは、食堂で感じていたトゲトゲしさが少し丸くなったような気がする。
「ま、まあ、つまりそういう事だから、協力してよね。」
「協力と言っても、俺に何をしろって言うんですか?はっきり言いますけど、同室だからって結城先輩と仲良く喋ったりしないですからね、役に立てませんよ。」
「はぁ?あんなに楽しそうに話してたくせに、なに言ってんの?」
はぁ?と言いたいのは俺の方だ。
あれは完全に言い合いだったし、しかもそのあと睨まれたし、ちっとも楽しい雰囲気ではなかった。瀬谷先輩は俺に、結城先輩を嫌いにならないで欲しいって言っていたけれど、これって逆に俺が結城先輩に嫌われてるんじゃないの……?
眉と眉がくっつきそうになっている俺の横で、シオリさんは真剣に何かを考えている。
「そうね……じゃあ、千隼の好きな女子のタイプ、聞いてきて。」
「えっ、俺が!?結城先輩に!?無理無理無理ぜったいに無理!!」
ちぎれそうな勢いで首を振ると、シオリさんは笑顔で右手をグッと握った。―――待って、今何を握りつぶしたの!?…っていうか、俺が結城先輩に「先輩のタイプどんな子ですかぁー?」とか聞ける訳ないじゃん、どっちに転んでもデッド・オア・デッドなんだけど!!
「あー……じゃあ俺が聞こうか、秋人。お前と同室の人に、好きな女子のタイプを聞けば済むんだろ?」
「陸が?結城先輩に―――いや、それもちょっと!」
結城先輩が俺を吸血したラミアであることを隠したい以上、下手に陸と先輩を会わせるのは避けるべきだろう。
「ああーっもう、分かった、分かりました!……俺が聞いてきますよ!」
「良かった、さすが私の日野君っ。お願いね。」
「……私の日野君、だってさ秋人。俺の幼馴染に言ってくれるよなー。」
ご機嫌で歩いていく背中を陸と見つめながら―――どうやら、とんでもない恋する乙女に捕まってしまったらしい俺はうなだれるしかなかった。




