③
気がついたら、俺は廊下に飛び出していた。「あれっ、日野君ー?」とエリさんの声が聞こえたが、構わずエレベーターに向かって走り続ける。
(むりむりむりむり、キャパオーバーだあんなの!!管理人さんに部屋変えてもらう…は無理だよな。とりあえず陸に相談して、今日一晩泊めて―――)
ポケットから入寮生の名簿を取り出しながら、そう言えば陸は野球部に行っていることを思い出す。
「駄目だ―――あ、犬飼!犬飼も寮って言ってた!!」
名簿によると、犬飼は612号室だ。
エレベータに飛び乗ると、『6』のボタンを連打する。急にアドレナリンが出てきたんだろうか、さっきまで岩のように冷たく重かった身体はよく動くけれど、足が床から数センチ浮いてるような感じだ。
612号室の前では、2人の男子生徒が立ち話をしていた。ネクタイは赤と青……3年生と2年生だ。
2人は、突進してきた俺を見て何事かと目を丸くしている。
「あのっ…ここの部屋…犬飼 翔真…。」
「犬飼君なら俺と同室だけど、どうしたの?」
そう答えたのは、赤いネクタイの先輩だった。
犬飼は3年生と同室なのか。勉強家と受験生…それはそれでいい組み合わせだと思う。
「犬飼に用があるんですけど、いま部屋にいますか?」
「彼なら、TVのリモコンを返しに家に帰るって言ってたよ。変わった子だよね。」
―――い、犬飼いいいいいいいいいいい!!!!
◆◆◆
「あ、日野君帰ってきた。さっきは急にどーしたの?」
「………。」
頼るあてを無くした俺は、渋々再び303号室へ戻ってきた。
寮以外のどこかへ行こうにも、スマホや財布を入れた鞄がこの部屋にあるからには、動きようがない。だから、隙を見てせめて鞄だけでも取ろう……と思ったのは正しかったと思う。
でも今は、俺に話しかけているエリさんが絶賛吸血されている最中であるのを目にして、猛烈に後悔していた。
吸血しているのはもちろん、結城 千隼である。
エリさんの首元から顔を上げると、手の甲で口元を拭った。
「なんだ、言うだけ言って逃げた割には早いな。謝る気になったとか?」
何を言われても無視しようと思ってたのに、そのあざ笑う様な言い方についカチンときた。
「……そ、そっちこそ俺の血を吸い逃げしたくせに。謝れよな!」
「はぁ?」
「え、なになに?2人って知り合いなの?友だち?」
「全然違います!!」
「………おい、お前さっさと帰れ。」
「えーヤダ気になるー!!…ってちょっと押さないでよ!」
結城 千隼が「やだー!助けて日野くーん!」と叫ぶエリさんを引きずって玄関へ行く。
2人きりを避けたい俺としてはエリさんに居てほしかったけれど、アイツに睨まれた瞬間身体が引き攣って何もできなかった―――ヘビに睨まれたカエルとは、まさにこのことである。
「……………。」
部屋に戻って来た奇麗な毒ヘビは、無力なカエルを見下ろした。
全体的に優しそうな、甘い顔つきをしてるくせに真顔だと静かな威圧感がある。美人の真顔は怖いって言うけど、本当だったんだな………俺が本当にカエルなら、恐怖で干からびているところだ。
「……で、なんで俺が謝らないといけないって?」
「い、いきなり義務教育中のオリジンを吸血するのは、ルール違反だろ!お、お前のせいで痛かったし、風邪ひいたし、」
「…んだよ、そんなことかよ。痛いも風邪ひくも、生きてるからのことだろ。じゃあなんだ、あの時死んどけば良かったって話?」
「そ、そういう話じゃ…」
「こっちは命助けてやってんだ。代わりに血貰うぐらい当たり前だろ。―――ああ、もしかして、吸血されたことがショックだった?」
そう言うなり、結城 千隼は俺との距離を縮めてきた。逃げようにも逃げれない俺は、すくみそうな足を必死に動かして後ずさりするしかない。
「な、なに?」
「吸血なんて、されればすぐに慣れんだよ。俺が練習に付き合ってやろうか。」
「は!?ふ、ふざけ……」
にこりと笑うこの男、完全に楽しんでやがる。しかもこのタイミングで背中が壁に触れたのを感じ、俺の全身から血の気が引いていく。




