⑤
「ちょっと。」
プリントを提出し終わり、集団の流れに混ざって体育館に向かおうとしていた俺を呼び止めたのは、犬飼君だった。手には俺が貸したシャーペンを持っている。
「……これ、ありがと。」
「ううん。…えっと、犬飼君でも間違えることってあるんだね。」
またすぐに会話を切られるかと思ったが、犬飼君は小さくうなずいた。
「考え事してたら、たまに。…さっきも、入学式のしおりと本を間違えて持ってきてたし。」
「そっから!?あそこから既にうっかりだったの!?」
どうやったら薄いしおりと、バカでかい本を間違えれるんだろう。しかも、焦ることなく堂々とその本を読み始めた神経の図太さよ。
……いや、そういえば犬飼君、鞄に手を突っ込んだまま固まってたな。さっきリモコンの時も同じ反応してたけど、犬飼君は焦る=思考停止タイプなのかもしれない。
やばい、とにかく犬飼君タダもんじゃない。俺の『お友達になりたいメーター』がぐんぐん上がっていく。
「犬飼君、よかったら一緒に体育館いこ。」
「ん。」
相変わらず表情の変化が少ないが、どことなく雰囲気が柔らかくなったような気がする。
いいぞいいぞ―――俺はにやにやしそうになる口を必死に堪えながら、次の話題を探す。
「そ、そういえば犬飼君さ、俺の名前覚えてる?」
「……………………ああ。」
「えっホントに!?今のは絶対忘れてる間だったけど?!」
犬飼くんはチラッと眼鏡越しに俺を見下ろした。
「………『絶望のチワワ』」
「ぜ―――なんでそっち覚えた!?うそだろ!?」
っていうか、朝の校門で見てたんかい!無いわー、もうほんっと無いわ!一瞬感じた俺の胸のトキメキを返してほしい。
「日野だから!日野!」とぎゃあぎゃあ抗議する俺の頭上で、ドーベルマンは小さく笑った。
◆◆◆
俺と犬飼くんが雑談(ほぼ俺が喋っていた)をしながら体育館前に着くと、新入生入場に備えて出席番号順に並ぶよう指示された。
俺は見慣れない集団の中、栗毛の頭を探すが見当たらない。
(あれ、羽賀さんまだ来てないのか。ちゃんと話をしようと思ったのに。)
まあ、急がなくてもいいか。『羽賀』と『日野』は確か出席番号が前後のはずだから、来たらいつでも話はできる。
でも、俺が犬飼くんと教室を出た時にはもう、羽賀さんはいなかったような気が……。
「…うっ…!」
「どうした。」
「や、ちょっと腹が痛くなってきた…まだ入場まで時間あるよね?俺、トイレ行ってくる。」
犬飼君に告げるとすぐに、俺はトイレを求めて再び校舎の方へ向かった。
登校の時もそうだったが、俺は昔から本番の緊張に弱い。小さい頃は遠足や発表会の日に必ず熱を出していた気がする。こんなんで、ほんとよく受験に成功したものだ。ゾンビだったけど。
……そして、もう一つ。
「やっべえ、ここどこだよ。」
……そう、方向音痴だ。
トイレには間に合ったものの、広い敷地の真っ只中で、俺は途方に暮れていた。
体育館を目指してるのに、いくら歩いても花壇が綺麗な庭に終わりが来ないミステリー…。このままじゃ入学式が始まってしまう。園田先生の眼光を思い出すと背中が震えた。
「いや、まだ大丈夫だ落ち着け。迷子になったらすぐ近くの人に聞け、だろ。」
いつも俺を探す羽目になる陸の常用句だ。
体育館を目指すのは諦めて、一旦建物の近くに戻ろう。偶然、誰か通りかかってくれれば助かる。
とにかく周囲に耳をすませながら歩いていると、微かに人の声が聞こえてきた。目を細めて見れば、庭の木々と、校舎の壁との間に数人の人影がある。
(助かった!ありがとう神様、いや、あなた達が神様だ!)
思わず集団に駆け寄ろうとした矢先……その中に見覚えのある頭を見つけて、俺は瞬時に草陰に隠れた。
(え、なんで羽賀さんがこんなところに?)
壁際にいるのは確かに羽賀さんで、それを3人の男子生徒が取り囲んでる。
真面目そうな羽賀さんが入学式前に、こんなところで友達とお喋りしてるのか?……それにしては、なんだか様子がおかしい。




