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鳥籠のうた  作者: 石戸龍一
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R:生への反抗

二人の先輩は違う生き方を示していた。自分本位に生きるか、普遍的な価値のために生きるか。どうでもよかった。どうせ受け入れないのだから。なぜかと言えば、先輩たちの生き方が何も価値を実現しないからではなくて、実現する価値自体に意味を見いだせないからだ。


私は先が見えていた。どれもが永遠ではなくて、一時的な誤魔化しに過ぎず、本質から目を逸らす影法師でしかない。事実、まがい物であるがゆえに、誰もが薄っすら偽善だと気づき、共有の秘密として押し隠し、人にとって耐えられるものに世界を改変する。


生きる意味など元々存在していたものではない。狂人の妄想なのだ。実際は、私たちの生に何も価値も意味も無い。生の無意味さを隠蔽するために、命の尊厳とか、生きる希望とか、謎めいた観念を誰かが挿入したのだ。


世界の在り様とはこのようなものだ。考える度に頭痛がしてくる。どうして命という最も尊いものをこんな場所に送り込んだのだろうか?どうして人はこれほどまでに生の否定的な現実に居合わせねばならないのか?たまらなく憎い、この世界が憎い、永遠が無いこの世界が憎い――。



私はまだ境界線の内側にいた。『止まれ』の白文字と停止線。踏切は危険を知らせる警笛を鳴らしながら、赤色のランプを狂ったように点滅させていた。すぐさま列車が通過する。地を揺るがしながら、空気を切り裂き、鉄の塊が目と鼻の先を超高速で駆けていく。一歩でも踏み出せは私は砕け散るだろう。


同じことだった。縁に立って、つま先を揃えて、生と死の狭間に立つ。つばさの遊び、上履き、夕空、大きすぎる制服、ことば。私はゲームに生き残り、停止線を越えて踏切を渡る。


いつから私は生を憎むようになったのだろう?いずれ思い出せるのだろうか?少なくとも、つばさが本当に飛んで行ってしまうまでには?


そう言えば、つばさは自分が幸せだと言っていた。あらゆる可能性が絶たれているとしても、いや、だからこそ己は幸福であり、というのも、それが生きることの現実そのものだからだ。少なくとも現実逃避者よりは不幸ではない、と。


こんな生の運命を幸福だと言わなければならない人間の存在は悲劇だと思った。でも、事実だった。それでも認めないなら、人は生に反抗するしかないだろう。

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