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鳥籠のうた  作者: 石戸龍一
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A:境界線上のわたし

私は今、生と死の境界線上に立っている。もし一歩でも前に踏み出せば、私の身体は真っ逆さまに落下して、地面に叩きつけられて砕け散る。間違いなく死ぬ。決して望みは無い。


つばさが提案した遊びだった。実際に飛び降りはしないけど、それでもなにか死を体験した気になる。気が済んだら、さっさと戻って上履きを履き、日常に戻る。ただ、それだけ。


「そんな……人間は、人間はって、自分は人間じゃないみたいに話すんだね」


つばさは肩を窄めた。私が言ったことが珍しかったのか、滑稽だったのか知らないけど、少なくとも小ばかにしたように見えた。私は縁から降りた。埃っぽいコンクリートの床に座った。


「だってそうじゃない?人間なんてくだらないのよ。生きるのもくだらない。そのくせ、人間っていうのは生きることに希望を賭けていて、裏切られてまた苦しむ。人間は自分で自分に災難をもたらしてるのよ」


つばさは私の隣に座った。二人分の影が屋上の入り口の方角に伸びていた。


「こんな想像をするの。世間が言うところの悪、そうね、戦争とか貧困とか病気とか、そういうものが全部無くなったとする。でもね、それで幸福になれるのかしら?そうは思わない。1%だって幸せになれない。しかし、人は認められない。克服すべき問題や悪を捏造する。これを攻略できれば自分たちは救われるぞって思って自分を慰めている。自己洗脳よ」


「洗脳かぁ」


いつもの空返事だった。つばさは早口でまくし立てるように話すと全く理解できない。聞き流してくれるだけでもよかった。


「どうして私たちは生きてると思う?夢のため?恋のため?理由なんてないわよ。私たちは残留物なの。大事なもの、かけがえのないものが、全部過ぎ去った後に残された残留物ゴミ。それ以上でも以下でもないの」


「高宮さんは難しいことを言うね」


「そうかしら?ちょっと頭を働かせば誰だってわかるわよ。ただ認めたくないだけで」


「馬鹿だからわかんないや」


つばさは自嘲的に笑った。とても高校生とは思えないような、無邪気さを孕んでいた。


「……それで、あんた、本当に飛び降りるの?」


「うん。近いうちにね。私、ことばになりたいんだ。詩って凄いんだよ?たった少しの言葉が心の中に残り続ける。時間も空間も超越してずっと広がっていくの。空っぽの自分でもやる価値あるかなぁって」


ここ最近、つばさはずっと私に自らの死を宣言していた。遊びじゃなくて本当の飛び降りを。屋上の縁を飛び越えて、生を終えることを、約束していた。


「別に生きるのがイヤってわけじゃないんだ。みんな優しいし、お父さんもお母さんも欲しい物買ってくれるし。でも、なんか空っぽ。だから死ぬの。私、幸福だけど死ぬんだぁ」


「死にたきゃ死ねばいいのよ。どうせ薄汚いんだからさ、この世界は」


つばさは噴き出して、私の方を見た。少女の体は笑いのせいで小刻みに震えていた。


「背中を押されたのは初めてかも。やっぱり高宮さんって面白い」


彼女は幸福な絶望者だった。全き幸福の中であらゆる希望を絶たれていた。安らぎの中にどこか虚しさが紛れこんでいた。何も自殺する人間がみんな不幸であるとは限らない。つばさみたいに、温かな感情と共に、死を願う少女もいるのだ。


「そろそろ帰ろ?ここ、本当は立入禁止だから」


「そうね」


立ち上がり、スカートの埃を軽く払った。ここからは街の様子が一望できる。遠くの住宅街の真ん中で、ビルの建設工事が行われていた。全体が黒いシートで覆われていて、僅かな基礎部分しか見えなかった。


夕陽は相変わらず空で燃えていた。この世の終わりみたいな真っ赤な閃光で世界を満たしていた。今この時だけは、世界への憎しみを忘れることができた。そのためにいつもここに来る。


「あちゃ。また袖口がほつれてる」


つばさは一つサイズの大きい制服を着ていた。間違えたらしい。取り換えればいいのに頑なに変えようとしなかった。よくわからない拘りである。


私は自分が裸足だということを忘れていた。靴は境界線の上に揃えてあった。何か不気味なオブジェのように思えて触れるのも憚ったが、結局は取って履いた。つばさはもう階段を降りて、いなくなっていた。

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