08
スゥ殿が騎士団に来て二週間ほどになるが、思えば昼を共にしたことは無かった。今まで彼女は午前中神殿にいたので、昼休憩を一緒に、という流れになることがなかったためだ。
何だか寝起きに妙な空気になったものの、模擬戦も挟んでいたから空腹には抗えなかった。
騎士団は王城の食堂を使うことが出来る。一緒にどうかと聞けば、一度行ってみたかったのだと、先程までの散々な様子など何処へやら、目を輝かせた。
食堂のメニューは王城という場所がら気取っているということもなく、ごく普通のランチといった内容だ。物珍しいものは特になく、男性利用者が多いためやや量が多く、お値段が国の補助によってお安め、という程度のものである。
メイン料理はトマトソースのミートボール、白身魚のパン粉焼き、カツレツに、鶏肉のクリーム煮。
パンは毎日様々な種類があっておかわり自由、これは恐らく王城内にお住いの方へ出されているものと同じもののはずだ。
野菜がごろっと入ったコンソメスープはどれを頼んでもついてくる。
給仕はいないので、自分で厨房へ注文し、出来上がったものを卓へ運ぶというシステムだ。
ミートボールを食べようと早々に決めて隣の少女を振り返る。少女の目はメニュー表に釘付けだった。どうした、と聞くと、選べない、と絞り出すように呟いた。
繰り返すが、ランチの内容はさほど珍しいものではない。しかし隣の少女は、「クリーム煮? カツレツ? そもそもカツレツ、とは……?」などときょろきょろしている。
「薄い牛肉を、こう……、揚げたような料理だったと思うが、食べたことがなかったか?」
「いえ、あるのかもしれないのですが、自分で料理の名前を見て選ぶなんて初めてで。牛肉。スゥはそれ、それにします」
興奮気味にこくこく頷く少女に、思わず笑ってしまう。カツレツ……、多分それなりに大きいと思うが、まあ残ってしまいそうなら手伝ってやればいいか。そんな風に考えつつ厨房に注文を投げ、できあがるまでにパンやスープを取っておく。
山と積まれたパンの中から、二、三個選んで皿に乗せていたら、少女が「ま、まさか何個でも……食べ放題……!?」と驚愕していた。
「スゥ殿はいくつ、」
「と、とりあえず全種類一個ずつ乗せてください」
「いや無理だろう、八種類はあるぞ」
「無理とは?」
駄目だ、興奮しすぎなのか話が通じない。とりあえず自分と同じだけ取っておいた。この小柄な少女にはそれでも多かろうが――、納得いかないという顔をしているので、あとで追加で取ればいい、と念の為話すと、渋々頷いて寄越した。
できた料理を二人分トレイに載せて運ぶ。人の少ない場所を選んで卓を決めた。
スゥ殿が、彼女の可愛らしい小さな顔より大きそうなカツレツを前に、今までに見たことがない輝きで瞳を揺らしていた。
「主よ! 感謝します!」
勢いがすごい。それでも食前の礼を忘れないのは、流石神官――なのか。
美しい所作で、しかし目にも止まらぬ速さでカツレツを切り分けたスゥ殿は、一口頬張ると、夢見心地に美味しい、と呟いて、それ以後は無言で皿と向き合い続けた。
自分が半分食べ終わるかと言う頃には、スゥ殿は目の前の全てをあっさり平らげ、漸く声を上げたかと思えば「パンを追加で取って来てもよいものでしょうか!?」と迫ってきた。何とかそれに頷いて返すと、全種類制覇すると言い残してパンの山へと向かっていく。
呆気にとられて手にしていたパンがスープの中に落下したのも、仕方がないことだったのではなかろうか。
◇
「夢のよう……でした……!」
食後の紅茶を啜り、感無量とばかりにスゥ殿が祈るようにそう告げた。
一体あの量がこの小さな体のどこに……と思わないでは無いが、女性に対してそういった質問はご法度ということくらいは、いくら女性に疎い自分でも察するところである。
「そんなに楽しめたのなら、よかった。王城の食堂とはいえ、そう珍しいものはなかったと思うのだが」
「そんなことはありません。スゥは、あ、あのう……、そう! 神殿暮らしが長いもので、外食というものと縁がなく……、話にしか聞いたことがなかったのです。神殿の食事も美味しいですが、自分で選んで、好きなだけ食べるとは、かくも楽しいものなのですね」
上気した頬を見るに、本当に楽しそうだった。興奮のしすぎで色々取り繕えていないのは、見ないふりをした方が良いのだろう。外食と縁がない、というが、本当に初めてだったような反応だった。普通の神官見習いであるなら、そんなことにはならないはずだ。――たぶん。
「街で食べ歩きなどしたら、スゥ殿は何時間も帰って来られなさそうだな」
「食べ歩き……」
魅惑の響きなのだろう、少女の紅色が揺れに揺れていた。
「はは、俺でよければ付き合うが」
笑いとともに口から出た言葉に、自分で後から驚いてしまった。
彼女の外出に付き合う。『私』ではなく、『俺』が。つまり、個人的に。
気づいたのだろう、彼女が僅かに目を見張って――、そしてふわりと微笑んだ。
ずるいくらい綺麗な笑顔に、目が離せなくなる。
「嬉しいです、隊長……、……『シリウス』さま」
隊長となってから、呼ばれることがとんと減った自分の名前を、他でもない彼女が覚えて、呼んでくれるとは思っていなかった。
虚を突かれて、一瞬息が止まる。
「外出許可をもぎ取りませんとね」
「……、……許可が、必要なのか」
「ええ、はい。ちょっと、面倒な手続きがあるのです。神殿勤めには」
「……そうか」
考え込むふりをして、口元を手のひらで覆う。動揺を飲み込むように咳払いをして、茶を一口。それから漸く逸らしていた視線を戻した。
「では、叶えばいつか」
「はい」
「……それと、」
続いた言葉に、少女が首を傾ぐ。この二週間で分かったが、どうやらこれは、彼女の癖らしい。ふわりと、乳白色の髪がその動きに合わせて揺れた。
「今後も良ければ、名で、呼んでくれ。あなたは、騎士団所属の部下ではないのだから」
言い訳じみた言い方になってしまったのは、仕方ないことと思いたい。そんな自分を見、きょとりと目を丸くしていたスゥ殿は、一拍後に、笑顔で言葉を返してくれた。
「はい、シリウスさま」