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07






 負けられない戦いだった。


 いや、実戦の討伐は勿論いつだってそうなのだけれど、模擬戦でここまで力を入れたのは、力を入れられたのは、いつぶりになるだろう。


 気力も体力もぎりぎりの状態で長く勤めてきた。模擬戦に全力を出したら、後の執務や遠征に差し支える。それは、誰かの命を守れなくなることに繋がる。本末転倒だ。

 だからできなかった。隊長の職に就いてからは特に、だ。


 自分の強さを見たいと言ってくれた少女に、恥ずかしくない試合ができたろうか。彼女は素直に褒めてくれたが、彼女が褒めるのなんてそう珍しいことではないので、真意の程はよく分からない。



 あの少女が来てから、自分の擦り切れた身体と心は少しずつ癒された。それは不意に与えられる睡眠と、強制的に取らされる休息によるものだが、それとは別に。


 三音ばかりの心地よい歌声。目覚める度に突飛なことをして驚かせてくれる彼女の、寝起きの自分を迎える穏やかで柔らかい瞳。小言を言う時の真剣な顔。自分の返答に困ったように下がる眉。

 何故かなつかしい気持ちになる、ふとしたときに零れる微笑み。


 ふわふわと揺蕩う蜂蜜をとかしたミルクのような髪を捕まえようと、無意識に手を伸ばしたのは、実は一度や二度ではない。


 ただただその存在が、不思議と心地よかった。それは彼女が神官たる職に就いているからこそなのか、それとも彼女のもともとの素養なのか。

 あるいは。あるいは、自分が――――、…………。









「お目覚めですか、隊長さま」


 瞼をあけると、天井ではなく、少女の顔がそこにあった。逆光の中でも鮮やかな紅が、今日も柔らかく細められる。

 それをただ、いいな、と思った。


「また、寝かされていた」

「模擬戦でお疲れと思いまして」

「あの程度、疲れない」

「それは余計な気遣いでした」

 ふふ、と小さく笑う気配に、掠れた声で呟いてしまう。


「……勝った褒賞かと思った」

 与えられた眠りと、目覚めに添えられたその微笑みが。


「え、」


 ぱちくり。長いまつ毛が上下にゆっくりと動いた。そして、ゆるゆる、白い頬に赤みがさす。


「ディ、ディズさまが。勝利に膝を捧げてはと仰って。その。スゥはこんなもの、褒賞になるとは」

「……膝?」


 しどろもどろの返事の中に、よく分からない単語があったので繰り返し、――そして漸く事態を理解した。

 寝ている自分の頭は、柔らかい何かに乗せられている。

 何かと考えるべくもない。

 彼女の、脚を、枕にして、自分は。


「う、あ、す、っすまな、」


 慌てて退こうとするが、勢いつけて体を起こせば、覗き込んだ体勢の彼女の顔にぶつかりそうになる。

 あわや衝突――くちづけ――寸前で止まり、けれど中途半端な体勢を支えきれず、結局彼女の脚の上に舞い戻る羽目になってしまった。


「本当に、……すまない…………」

 顔があつい。


「いえ、その。……よいものとは分かりませんが。隊長さまがよく眠れれば、スゥはそれで」


 さら、と乱れた自分の前髪を整えるように指先で触れて、少女は照れた表情のまま微笑んだ。


「まだお休みに?」

「いや、もう起きる。重かったろう。ディズが適当なことを言って困らせたな」


 今度はゆっくりと身体を起こし、そのまま少女の隣に腰掛ける。今まで頭を乗せていた辺りで視線を彷徨わせていると、少女がローテーブルの上を指しながら笑った。

 見れば、見覚えのある小さな硝子瓶が乗っている。


「大丈夫ですとも。髪の手入れをしていました」

「……また塗っていたのか、香油……」

「さらつやですよ、隊長さま」


 得意げに言うが、戦場にいる男にそのさらつやとやらは必要なのだろうか。自分にはさっぱり分からない。


「こういうのは、あなたが使うものでは? いや、使っているのか」

「はい、スゥの手持ちの香油ですので」

「なるほど」


 優しい乳白色に手を伸ばす。いつもなら思い留まってその指を止めるけれど、今日はそうはしなかった。

 誘われるように柔らかな髪をすくいあげ、そっと顔に寄せる。

 ここ数日で馴染んでしまった、花のような香りがした。


「うん、確かに同じ匂いだ」



「…………」



 慌てたような声でも返ってくるかと思っていたが、ただただ沈黙が続いた。

 見ると、瞬きも忘れて、目をまん丸にしてこちらを眺めているではないか。あんまりにもぽかんとした表情に、思わず声を小さく上げて笑ってしまう。


「はは、なんだ。どうした」

「…………」

「スゥ殿?」

「…………」

「おうい」


「…………たいちょうさま」


 酷く硬い声だった。取っていた髪を戻し、ちょいちょいと整えてやると、見開いていた瞳が、ぎゅっ、と音がするかの勢いで閉じられる。


「相手の息の根を止めますれば、その技は秘された方がよいかと」

「いや何を言ってるんだ」


 ――――技ってなんだ。


 目を閉じ固まった少女と困惑する自分の間に、間伸びした昼を告げる鐘が鳴り響いた。






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