03
神殿の外を歩くのは久々のこと。
見慣れぬ建物をとぼとぼと歩きながら、柔らかく零れる木漏れ日を眺め、遠く響く騎士たちの訓練する掛け声を聞く。
昼飯は持参した、というより持たされた、が正しい、バスケットに詰められたサンドイッチを先程食べたところだ。まだあるだろう昼休憩の残り時間は、散策にあてることにしたのだ。
渡り廊下の向こうは兵舎だろうか。右手には王城の青い屋根が見える。建物の間を埋めるのは美しい庭園で、季節に合わせた色とりどりの花が咲き誇っている。
これはこれは、と、ふらりとそちらに足を向け、花々に顔を寄せてみる。良い香りだ。白くて、幾重にも花びらが重なった、まるで花嫁衣裳のような美しい花。なんという名前だったか。
「ええと……」
「そちらはエリアルだよ、『星』」
おや、とかかった声に振り向くと、煌めく小麦色が目に映った。
すらりとした体躯の美丈夫が、微笑みながら王城側から歩み寄ってくる。歳の頃は自分の倍くらいになろうか。平素の服装なのだろう、華美なものは纏っておらず、仕立ての良い絹のシャツにトラウザーズという簡素ないでたちだった。
「本当にお出でになるとは。いや、許可を出したのは他でもない私なのだけれど、それでも驚いてしまうな」
「あなたさまともあろうものが、物見遊山ですかな?」
「神殿から滅多にお出にならない貴女が自ら出向いたのだ、私とて見に来たくもなるものだよ」
ふふ、と柔らかく人当たりの良い笑みを浮かべ、陽の光を弾く美しい小麦の髪を耳にかけるように払いながら、自分と視線を合わせるためにその男性――『陛下』はその場にかがみ込んだ。
美しく、優しい魂の色をしたひとだ。この国を統べるに相応しい御仁だと思う。こんなところにひょいと護衛もなしに来て、年端もいかない自分に膝を折るのはどうかと思うが。
「お久しゅうございます」
「うん。貴女は……少し大きくなられたかな」
「あなたさまに膝を折らせる程度には小さいままですよ」
「おっと、叱られてしまった。気をつけよう」
「ええ、ええ。それがよろしいかと」
くつりと笑えば、目の前の美丈夫も笑みを深くして立ち上がる。目線を残したまま、言葉が継がれた。
「『星』は、」
「ご存知と思いますが、今は神官見習いをしておりまして。スゥ、とお呼びください」
「…………、そういえばそんな設定だったか」
「はい。見てくれはこの通りぴたり、ですとも」
「うーん……」
呆れを含んだ苦笑い。こんな子供のような(というか、実際まだ子供を少し抜けたに過ぎないのだが)見た目なのだ、見習いでぴたりに決まっているのに。
「『星』……」
「スゥです」
「分かった、では、スゥ。それで、騎士団で何を? 書類には勿論目を通したが、その、何だかよく分からなかった」
「あなたさまともあろう方が、分からなかったとは。スゥは書類を書き損じましたかな」
「いや、その……、シリウスの部隊を手伝うと。騎士団が討伐続きで忙しいのも知っている。それは分かったのだけれど、スゥ、貴女自ら何の手伝いを?」
「よもや、我が身を心配してこちらへ? あなたさま自ら?」
尋ねられる内容が、まるではじめて働きに出た娘を心配して、働き先へ伺いに来た父親のようだったことに気づいて、思わず質問に質問を返してしまう。すると少しだけばつが悪そうに苦笑して、目の前の御仁は頷いた。
「そうだよ。許可を出したのは私だし、勿論騎士団にいる分には安全だろうが、それでも何かあっては大変だ」
そう言って眉を下げる目の前のひとに、小首を傾げて微笑んでみせる。
「大事ありませんとも。ただ少し、強情なひとを休ませるだけです。子守唄を歌うくらいのものですから」
「子守唄……ねえ……」
遠い目をして繰り返す。そんな顔をしたら、美丈夫が台無しだと思うのだが。
「まあ、そうだね。シリウスが休みなく働いている話は聞いているからね、少し加減できるよう見張ってくれるのはいいことだ」
「隊長さまは、あなたさまの覚えもめでたい方なのですね」
「ああ。何しろあの若さで『二ツ星』――いや、『三ツ星』だからね、彼は」
「それは――」
「スゥ殿!」
丁度自分がこの庭園に降りてきたその廊下の方からかかる声に、おやおやと居合わせていたひとに目をやると、また、と短く紡いで、足早に王城の方へ去っていった。流石にこんなところで立ち話をしていたのがバレたらまずいのだろう。その後ろを、どこに隠れていたのか、何人かの人影が追っていく。
護衛はちゃんといたのだなあ、なんてのんびりと考えていたら、先程の声の主が近くまで駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。目を向けると、真昼の陽を浴びた紺碧が、早足に合わせさらさらと揺れている。
「こんなところに。――――今、誰かと?」
「親切な方に、花の名前を教えていただいていました」
エリアル、と。白い花を包み込むように示せば、何だか拍子抜けしたとでも言いたげな視線が向けられた。
「私は、その、あなたが迷子になったのでは、と」
「ははは、まさか」
笑って見せたのだが、隊長たる彼からは全く信用されていない視線が向けられていた。