伴侶のお披露目
時間軸は本編後数ヶ月ほど。同棲してひと月かひと月半経ってる。いい感じに二人の距離感がバグっています。コメディぽいテンポ。軽い気持ちでお読みください。スゥの外面について。
「……スピカの披露目、ですか?」
その日、国王に呼び出されたシリウスは、急な話題に困惑していた。
国王たるハロルドも、頷きながら苦笑している。どうやらあまり乗り気な話ではないらしい。
「『星』が市井に降りたという話は元より、護りの魔力を持つ騎士と婚姻したというのが、城の上層部で殊の外取り沙汰されてね。一度表に出して欲しいと、あちこちから要望が出ているんだよ」
「それは……」
「特に隠匿していることではないからね、『星』を表に出すことは問題ないよ。今回言い募ってきている者たちも、『星』を見たことがあり、知っている者ばかりだ」
シリウスは、スピカが自分と出会うまでどのような生活を送っていたのか、殆ど知らない。『星』という存在を視認している人間がどの程度いるのかも。ハロルドの語りようからするに、王城や国の領地にいる上層の者は概ね該当する様子。シリウスが思っていたより、彼女のことは知られているようだ。
「式を待てとは言ったんだよ? 私も」
「式、というと」
「結婚式。流石にやるだろう?」
「えっ、」
全然そんなことを考えていませんでした、とは言えない空気に、シリウスは固まった。
婚姻の書類を無事に提出し、ともに新居に移り、妻との恙無い生活を送っているが、あまりの急展開だったので、そんなことは考えてもいなかった。
(確かに、普通の順序を踏んだら必要だな、結婚式)
シリウスは心の中で滝のように冷や汗をかく。国王相手に当然とり繕えるはずもなく、すぐさまその様子に気づいたハロルドは、苦笑いを深めた。
「シリウス。騎士団の部隊を率いる隊長職で、かつ『三ツ星』のお前が婚姻したのに、式を挙げないのは頂けないよ」
「も、申し訳、ありません、陛下」
「……よろしい。私の方から王妃に話しておく。最短で支度を調えるだろうな」
「まさか、妃殿下のお手を煩わせるわけには!」
「はは、残念ながらユノは喜ぶだけだろう。手数とも思わんよ。楽しみにしておきなさい、シリウス」
「…………はい……」
国王と王妃に挟まれては、小市民のシリウスになすすべなどない。項垂れるままに頷くと、ハロルドが機嫌よく笑った。
「まあ、それは今はいい。とにかく、結婚式を挙げるにせよ、相応の時間がかかるだろう? 私に嘆願してくる者たちは、それを待てぬと言うのだよ」
「急ぐ必要があるのでしょうか?」
「いいや全く。だがね、シリウス」
ハロルドは思わせぶりに言葉を切り、ゆるりと頬杖をついてシリウスを眺める。シリウスはただただ困惑の色を濃くするだけだった。
「お前は知らないだろうけれど、『星』にはとにかく熱狂的信者が多いのだよ」
「…………は、……?」
不敬とは思えど、シリウスは首を傾げずにはいられない。ハロルドはそんなシリウスを置いてけぼりにしたまま続ける。
「『星』が最後に表立って神殿から出たのは、三年ほど前かな。時折、国で行う式典や儀式に、『星』が参加することがあるんだよ」
「なる、ほど」
「『星』が神殿に入り、スピカの鑑別名を与えられた五歳のときから始まり、数年に一度、限られた上層部の者たちの前に現れる『女神』――、スピカはね、そう呼ばれているんだ」
シリウスは目を丸くして、ぱちくりと瞬いた。
『女神』。
まあ、確かにスピカは女神のごとく美しく愛らしい。シリウスは至極真面目にそう思ったが、それには自分の色眼鏡も多分に影響していると分かっている。
一般論としても間違いなく彼女の顔立ちは整っているだろうが、果たして国の上層部にいる切れ者たちに『女神』とまで崇められるようなものかというと――。
「シリウス、よそゆきのスピカは見たことないんだろう」
「え、ええ。そうですね」
よそゆき? と心の中で首を傾げるが、シリウスは殆ど自然体のスピカとしか関わっていない。マルシェに出かけたあのときだって、装いこそ違っていたが、よそゆきとは言いがたかっただろう。
「よそゆきのスピカはね……、うん……。シリウスは、二度と表に出したくなくなるかもしれないけれど」
「…………」
「今回と、結婚式。二回だけは耐えてくれ。日取りはまた追って連絡する。お前も、儀礼服を用意しておくように」
「承知……いたしました……」
何だかとてつもなく嫌な予感のする、シリウスであった。
◇
かくしてその日はやってきた。夜の晩餐を兼ねるとのことで、夕刻から王城のホールで行われる。
参加するのは凡そ百名程度とみられ、これはシリウスの予想の三倍は多い。騎士団から『星』を知る者たちが、警備を兼ねて帯剣の上参加することになったのも要因ではあるのだが、それにしても多い、と思う。
シリウスは城付きのメイドにあれこれと髪や服やを整えてもらい、慣れない支度のせいで既に疲れをにじませながら、スピカのいる部屋を目指していた。傍らにはディズの姿。主役が剣を抜くような自体を避ける為の警護役、だそうだ。
「いやあ、隊長……、おっそろしく男前ですね。同性の俺から見てもなんかこう、変な気起きそうです」
「起こすな」
普段着飾らなくてもきらきらしいくらい美しい顔立ちのシリウスが、専門家の手で磨かれたとあれば、ディズとてそう言いたくもなる。
丁寧に梳かれた髪は、いつもと違って前髪が撫で付けるように上げられている。式典用の豪奢な儀礼服には星を模した勲章が三つ。形だけ帯剣もしているが、儀礼剣なので華美なだけのお飾りである。硬質な音を響かせるブーツも、いつものように薄汚れてなどおらずピカピカだ。
まるで絵本から出てきた王子様そのもの。表情ばかりは渋く不機嫌そうであるが。
「これはスゥちゃんにも期待が高まりますねえ」
「…………ものすごく、不安だ……」
「まあそう言わず。愛しの奥様の晴れ姿じゃないですか。あの化粧っ気のないスゥちゃんがどう化けるか楽しみですねえ」
楽しみか楽しみじゃないかで言ったら、それは勿論シリウスだって楽しみだ。けれど、ハロルドが言った不穏な言葉の数々が頭をよぎって仕方ない。
(俺が表に出したくなくなるって、どういうことなんだろう)
額を押さえ小さくかぶりを振っていると、目的の扉が見えてきた。ノックをして、返事を待つ。スピカの、いつも通りののんびりとした声が聞こえてくる。
「シリウスだ。入るぞ」
「ええ、どうぞ」
意を決して扉を開けた。
果たして、そこには確かに『女神』がいた。
白雪のように透き通った肌に、瑞々しい果実のように煌めく紅色の瞳。縁取る睫毛は長く、白い肌に影を落としている。淡く引かれた口紅が艶やかに形の良い唇を彩り、清廉さにひと匙の色香を添えていた。
柔らかな髪は丁寧に編み込まれ、いつもなら自由に広がっている髪先も、今日は落ち着いて背中のラインに沿うように流れている。耳横から後頭部にかけてぐるりと生花が飾られ、そこに提げられたレースのヴェールがひらりと乳白色の髪を覆っていた。
額と両耳、手首に水晶の飾り。胸元にはシリウスが贈った琥珀が、革紐ではなく銀鎖に通されて揺れている。
真っ白のドレスには、金縁と繊細な銀糸の刺繍。華奢な肩が露になっている。足元は後ろは足首近くまで丈があるが、前は膝ほどしかなく、白いレースのタイツと、銀色に煌めいたローヒールが惜しげもなく晒されていた。
「――――駄目だ」
シリウスは絞り出すように言った。スピカが首を傾ぐ。
「……シリウス?」
「スゥ。この部屋から出るな。駄目だ」
「急にどうしたのです」
慌ててスピカがシリウスのもとへ駆け寄る。濃い花の香りがする。まるで幻覚を見ているかのようだ。
目が溶けそうな程に美しい。言葉が見つからない、形容のしようがない。
確かにこれは、紛うことなき、『女神』だ。
「こんなの、美しすぎて、人が死ぬ」
「そ、それは今日のシリウスのことですか?」
「あなたのことに決まっているだろう」
――妾? と困惑するスピカだが、シリウスの目は真剣そのものだ。その後ろに控えていたディズも、見たことがないほど顔を真っ赤に染めて目を逸らしている。
「ディズさま?」
「いやスゥちゃん、それはちょっと……流石に……目が潰れる……」
「め、目が潰れる!?」
「ディズそれ以上見るな上官命令だ」
「言われなくても直視できないから見ませんよ!!」
浮世離れした美しさ。壮絶な麗しさというより、幻想を見せられているかのような神々しさ。直視したら最後、夢の中に囚われそうな、そういう危うさが彼女の美貌にはあった。
「こんなに美しいあなたを、誰にも見せたくない」
「まあ…………」
全く自覚のないスピカは、のんびりした様子で口元を押さえ、困った様子で笑った。その仕草だけでシリウスは軽く目眩を覚える。
「妾も、こんなに美しいシリウスを誰かに見せるのは、少し惜しまれます」
「そうか。ならこのまま二人でずっとここにいよう」
「隊長!! 気を確かに!!」
「俺は正気だ」
「隊長っ!!」
美しすぎる妻を離そうとしないシリウスを説得するのに、ディズは四半刻を費やした。
◇
晩餐会という名のお披露目会のホールに主役となるシリウスとスピカが現れたとき、会場は水を打ったように静まり返った。どよめきすら起こらないほどに、場の全てを二人の存在が飲んでしまった。
『女神』と見紛うほどに現実離れした神々しさを放つスピカの横に、同性でも目が眩みそうな美貌を晒すシリウスが並ぶと、この世のものとは思えない光景が広がった。
二人が高砂に立つまでに、会場からはとめどなく溜息が落ち、瞼に焼き付けようと直視した者たちは次々とその場でよろめいた。
国王が二人の婚姻を告げ、シリウスがそれに名乗りを上げて応え美しい所作で礼を取る。スピカはというと挨拶もそこそこにただ微笑んで、「みなに神の加護がありますように」と神官らしく祈ってみせた。その言いようたるや。よそゆきとはこういうことかとシリウスは戦慄する。
嫋やかでしずしずとした声と仕草に当てられたのか、会場の者はみな一様に泣きそうになりながら、信奉するかのごとく胸に手を当てていた。
開会の挨拶が終わると、二人の前には国を取り仕切る長たちが次々と言葉をかけにやってくる。
シリウスは内心その顔触れに冷や汗をかいてばかりいたのだが、スピカの方はというと宰相や大臣たちを相変わらずのよそゆきの態度で『おじさま』などと可愛らしく呼びつけており、度肝を抜かれたシリウスの寿命は縮み続けた。
尚、実は『女神』たる少女に『おじさま』と幼少時から慕われてきた上層部の切れ者たちは、美しく清廉な彼女を誑かしたシリウスという男を値踏みするべく、国王に表に出せと嘆願していたわけなのだが、あの美しいスピカの横に遜色なく並び立つシリウスを見て、そしてそのシリウスが自分たちにおもねるでもへつらうでもない様子を見て、一定の納得を得たらしい。
スピカの知らないところで発生している、やたらと高官揃いの『父親面』の熱狂的信者たちから、シリウスは信頼を勝ち得た、ということになるだろう。
会も後半に差し掛かってくると、ようやく眩しいほどに目立っていた二人から視線が移り始める。シリウスもスピカもやっと少し気を抜いて、軽食を取りながら語り合った。
シリウスの口元に手ずから果実を運ぶスピカ。
そんなスピカの耳元に、瞳を蕩かせた甘い笑顔で何事か囁きかけるシリウス。
仲睦まじい様子は閉会まで途切れず続いたという。
恐ろしい夫婦が誕生してしまった。会場の心は殊更ひとつであった。
◇
「この水晶に、何か仕掛けでもあるのでしょうか」
スピカは支度部屋に戻ると、かちゃりと装飾品を外して鏡台の前に並べた。額、耳、手首に付けられた水晶飾りは、姫巫女の時代から伝わるもので、『星』が表に出るときは必ず身につけることになっている。
「魅了の魔術でも掛けられているのやも。そうでもなければ、ディズさままであんな言い方をしてくるなんてあんまりでは?」
目が潰れる、なんて。そう呟いてスピカは不貞腐れた。
その様子にシリウスが苦笑する。
「魔術のことは分からないが、あまり関係ないんじゃないか?」
支度部屋は人払いされていて、今は誰もいない。半刻ほど休ませて欲しいと申し出たためだ。
神々しいまでの『女神』と、二人きり。シリウスは手を伸ばさずにいられない。触れようものなら消えてしまいそうな、幻のような少女。抱き寄せて、頬に触れる。
「ほら、外したところで、俺はあなたに捕らわれたままだ」
「シリウス」
「よそゆきになんてしなくても十分愛おしいのに。……こんな姿を見たら、心配で仕方がない」
――攫われてしまいそうだ。
シリウスは誘われるまま唇を寄せた。スピカもそれに応えるように身を寄せる。
軽い触れ合いだけだろうと高を括っていたスピカだが、意に反してくちづけは深まっていく。歯列を割り入るように舌が差し込まれ、ざらりと口蓋を撫でられると、スピカの背筋がぞくりと震えた。
僅かに空いた隙間に、スピカが慌てて制止の言葉を囁く。だが、シリウスは聞かない。
美貌に輝く琥珀が熱を帯びて揺れている。スピカの視界が滲む。逃がすまいと、形を確かめるように口内をくまなく舐め上げられ、遂にスピカは小さく喘ぎながらも目の前の胸板を叩いた。
「シリウス、っ……!」
窘めるように名を呼ばれ、シリウスは捉えていた視線を逸らすように伏せた。少しだけ沈黙を挟み、シリウスが低く掠れた声で弁明する。
「…………本当に、あなたを誰にも見せたく、なかった。けれど、我慢したんだ。……少しくらい、独り占めさせて欲しい」
くちづけの色香が残ったままの大人の男の眼差しをして、幼子みたいな言い方をする。とてもちぐはぐなその様子にスピカは思わず目を丸くして、それから声を上げて破顔した。
益々シリウスの顔が渋くなる。頬が少しだけ赤い。
「笑うな。……俺は、真剣、なのに」
「は、ふふ。すみません。……シリウスが、あんまり、可愛らしくて」
「スゥ」
「膨れないの。……妾とて、こんなに美しいシリウスを独り占めしたくないと言えば嘘になります」
指先をつつ、と綺麗な顔立ちをなぞるように滑らせるスピカの様子に、シリウスが僅かにたじろいだ。いつもと変わらないはずの紅色の眼差しが、とても蠱惑的に見える。
よそゆきのスピカを目にしてからというもの、シリウスの頭はずっとぐらぐらと揺さぶられている。好いた相手の見慣れぬ艶姿に当てられているだけなのか、本当に魔術めいたものにかかっているのか――、最早シリウスには分からない。
甘い溜息をついて、シリウスはスピカを強く抱き締めた。
「俺は全てスピカのものだ。ぜんぶ、あげる。……独り占めしていい。だから、はやく、家に帰ろう」
これにはスピカも堪らなくなって、ぼん、と音がしそうな勢いで顔を赤くした。
すごいことを、言われている気がする。
ばくばくと跳ねる鼓動を何とか飲み込んで、スピカは抱き締める腕を緩めない夫の背を擦った。
「はい。……帰りましょう」
シリウスの胸の中でスピカが頷く。
結局、支度部屋がノックされるまでシリウスはそのままスピカを離さなかった。
◇
そんなわけで無事に披露目は終わったのだが、これと同じようなことをもう一度結婚式で行うという現実に、シリウスは酷く頭を痛めた。
国王ハロルドが言った通り、出来ればあのスピカを表に出したくないシリウスであったが、王妃が準備を取り仕切るとあっては規模からなにからシリウスには口出しすることはできない。
花嫁姿の『女神』はさぞ美しかろう。
どうにか自分一人が彼女を手篭めにする方法はないか。シリウスが不毛にも考え続けたのは、言うまでもない。
スゥの信奉者は多い。シリウスの信奉者も多い。はず。




