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竜が去った後。
下がっていた第一部隊の騎士たちがスゥ殿――『星』の無事を確かめるため、自分たちの元へ転がるようにやってきた。
勿論俺が何者か知っている騎士たちは一様に驚いた様子だったが、俺が竜に関われないということを知るものはいなかったようで、早馬で駆けてきたとだけ説明すると、納得したように引き下がってくれた。
魔力を使ったことも、この緊急時だったことが幸いしてか、騒ぎ立てるものはひとりもいなかった。
騎士のうちの一部が、竜が去ったことをいち早く知らせるため、王城へと戻ることになった。残りの騎士は、竜の影響で獣の動きに変わりがないか暫く現地に残って調査をするという。
『星』は下がって良いだろうとのことで、自分が護衛を務める形で、部屋を取ってある町の宿まで戻ることになった。
◇
「……し、シリウスさま」
森を行く道すがら。足元が悪いところもあるため、あのマルシェで歩いたときのように自然と彼女の手を引いていた自分に、おずおずと声がかかる。
「どうして……、王命は……」
混乱のさなか、聞くタイミングを逸していたのだろう。本当ならいの一番に問われるはずだった疑問が、今更ながら口にされた。
「王命はそのままだ。背くかたちでここへ来た。俺の独断だ」
取り立てたこともない、とばかりに返すと、みるみるうちに少女の顔が青ざめる。
「い、……いけません! どうして、どうしてそのような!」
「どうして、って……」
「王命に背けば、あなたさまのお立場どころか、何を失うことになるか……!」
「そう、だな」
隊長の地位どころか、騎士の職も追われるかもしれない。罪に問われて全財産を失うか、鎖に繋がれるか、最悪遠い何処かに追いやられるかもしれない。
けれど、それは自分にとって些末なことだ。
「俺に、かけがえのないものを与えてくれたあなたを、ただ俺が助けたかっただけだ。我儘を通したのは俺で、結果的にあなたは無事だった。俺が罰せられるだけで済むなら、安いものだろう」
「ご自分が、何を言っているか、分かっておいでですか……?」
「……ああ」
当然、と頷いてみせる。
すると、ゆっくりながら前に進んでいた彼女の足がその場でぴたりと止まった。もう間もなく森を抜けるというところだ。一体どうしたというのか。俯く少女の顔色は窺えない。
「スゥ、殿?」
本当はそう呼ぶのは良くないのだと思うが。つい癖で、その名を呼んでしまう。
『星』は黙っている。やはり呼び方が悪かったのか。恐る恐る呼び直す。
「……、『星』? どうし……」
「――――妾は!! 怒っているんです!!」
宣言通り、その可愛らしい顔には、物凄い怒気が滲んでいた。ゆらゆらと背後に燃え盛る炎の幻影が見える。
思わず背筋が凍った。
反射的に謝りそうになるが、その前に彼女がまくし立てる。
「あなたさまは!! いつもそう!! 自分が犠牲になって丸く収まるならそれでいいと思って!! 此方の気も知らないでそうやっていつもいつも、ずっとずっと……!!」
言葉が後ろに行くにしたがって、怒声が聞いたこともない声に変わっていく。怒りと、やるせなさと、悔しさと、切なさと。
少女が、歯を食いしばるように小さく唸る。泣くのを我慢しているような、そんな表情だった。
「こんなに、こんなに腹が立つのに。……悔しい。他でもないあなたさまがあの時来てくれて、妾は心底安心して、――歓喜して、しまった」
先程までの怒気はどこへやら。眉を下げて、きゅっと唇を引き結ぶ。
ぱちりと瞬いた睫毛の向こうから、ついに大粒の涙が転がり落ちた。
「いけません。もう、こんなことは、しないで。――おねがい、シリウスさま」
「…………、すまない」
素直に頭を下げると、繋いだ手を強く握られた。
小さい手。指先が白むほど力が入っている。
もう片方の手でそれを擦りながら、また怒られそうな言葉を繋いだ。
「けれど、……約束はできない。あなたに受けた恩は、それほど大きいんだ。俺にできることなら、何を賭してもあなたを護りたい」
受け入れきれず、恐ろしくて、明かすこともできずにいた自分の力。それを善いものだと、一瞬で拭い去ってくれた少女。
彼女は、自分の人生を照らす正しく『星』なのだ。
「本当に、魂から、強情……」
少女が涙を拭いながら、ほとほと困ったように笑う。それがとてもいとおしく思えて――、駄目だ、頭がくらくらする。
「シリウスさま?」
自分の様子に、少女が慌てて覗き込んでくる。頬があつい気もするが、それ以上に思考が回らない。
「…………白状すると」
「はい」
「……ここまで二日ほど、寝ずに馬を走らせてきて、」
「――どうしてあなたさまはそうなのですか!?」
少女が叫ぶが早いか、自分の手を引くように早足で森の外を目指し始めた。勇み足が、草の葉をさくさくと音を立てて踏んでいく。これは宿に押し込まれて、暫く寝かされそうだな、などとふらつく頭で考えて、笑った。
それがとても嬉しく、幸せなことだと、自然とそう思っていたからだった。




