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 早朝に王都を出て、馬車を走らせること二日。国境に一番近い町にある宿のベッドで目を覚ます。

 まだ日が昇って間もない時間。朝を告げる鐘も鳴っていない。小さく鳥の声がして、窓の外を飛び去っていく姿が見えた。


 いよいよ今日は竜のもとへ行く。第一部隊の騎士が何名かつくらしい。騎士が活躍するようなことにならないといいが――、小さく溜息をついて、備え付けの机の上に乗せられた水差しからコップに水を注いだ。


 町は特別変わったことはなく、静かだ。あれから竜の姿を見たものはなく、何の被害も出ていないという。


 竜は、どうして現れたのだろう。そればかりを考える。

 何か成したいことがあって、ここへ現れたのだろうか。

 周りに危害を加える様子はない。まるで、何かの訪れを待っているかのようだ。


「妾か、それとも……」


 考えても詮無いことだ。

 かぶりを振って、ぐいと水を流し込む。冷たい水が喉奥へ流れて、寝起きで火照った身体が冷えていく。


 正解はこの期に及んでもまだ分からないままだが、とにかくやるしかないのだ。ふんす、と場違いな息をついて気合いを入れ直す。


 その動きに合わせ、ずっと肌身離さずに身につけていた首飾りの琥珀が揺れた。朝の日差しを吸い込むようにきらきらと輝いている。


「シリウスさま……」


 あの日の大切な思い出。

 きっと、この善いちからを持つひとを、護らなくてはいけない。それは数百年の間、彼の竜を眠らせ続けた『(ステラ)』としての贖罪でもある。けれど、それ以上に。



 ――――自分の幸せを願ってくれたひと。



 そのひとを、ただの自分が、ひたすらに護りたいと、そう思ったのだ。











 深い森の入口から少し入ったところに、開けた空間がある。国境に跨る泉――彼の竜はかつてそこに眠っていたという。


 今、その泉には、竜を弔う石碑が立てられ、時折そこに両国から花を持ち寄るものが訪れていると聞く。

 それは竜に対する畏怖からくる供え物であろうが、そうだとしても、まだあの竜を想って花を備えるものがいるのだという事実に、少しだけ胸が軽くなった。



 果たしてその場所に、話に聞いた新たな竜は現れた。まるで、『星』たる自分がそこに来ることを予期していたかのようだった。

 小さい個体だというが、今まで見たどのいきものより大きい。竜の鼻先ほどで自分の身体など隠れてしまうだろう。体躯の色は紺碧ではなく、美しい銀色をしていた。琥珀の瞳だけは、彼の竜の一ツ星たる彼と同じ輝きを秘めている。


 恐ろしくないとは強がっても言えないが、それでも剣を差し向けるようなことにはなりたくなくて、ついてくれていた騎士たちを下がらせた。騎士たちはそれに戸惑っていた様子だったが、『星』たる自分の命には逆らえなかったようで、泉を囲む樹々の辺りで足を止めてくれた。


 ひとり、小さく歩を進める。そのたび、さく、さくと、草が乾いた音を立てた。


 風が泉を撫でて、ざああと大きく音を立てる。鼓動がどくどくと早まって、息が苦しい。無意識に伏せていた視線を上げると、琥珀の双眸に射抜かれた。



 ――――こわい。



 駄目だ、落ち着いて、落ち着かないと。

 胸元の石を、無意識に握りしめていた。



「――何故おまえが、それを持っている? 姫巫女よ」



 空気が震えるような声が落ちてきたのは、その時だった。











 声は確かに目の前のいきものから発せられた。


 ――――竜の声。

 理解できている。


 姫巫女の力は、まだこの身に残っていたのだ。

 安堵する一方で、見据えられた琥珀の威圧感に、完全に気圧されていた。足が竦んでその場から動けなくなっている。口も思うように回らない。


「こ、……れは」

 何とか声を絞り出す。


「妾にと、授けていただいた、もので」

「授ける? なれば、その力の持ち主はどこだ。どうして此処に現れぬ」


 通じて、いる。

 こちらの話に返答がある。対話が出来ている。


 落ち着け、落ち着け、と石を握りしめたまま、深呼吸を繰り返した。


「紺碧の竜は、ただのひとに、なりました」

「……ただのひとに?」

「は、はい。それゆえ、此処には参りません」

「まさか、信じられぬ。……おまえがまた、彼奴を何処かで寝かしているのではないのか?」



「っ絶対にそんなことは致しません!」



 ――――しまった、と思ったけれど、もう遅かった。

 落ち着いて冷静に話をするべきなのに。衝動的に声を上げてしまっていた。


 目の前の琥珀が、何やら面白そうにゆるりと歪む。


「ほう。絶対に。三百年余り、彼奴が死ぬまで寝かせておいて、よく言う」

「そ、れは――……」


 言い返せなかった。実際にその通りだったからだ。絶対的な力を持つ竜を前に、言い訳などできるはずもない。


「それでも、もう、流転して、ただのひとになったあの方を、永久(とこしえ)に眠らせたりは、妾には決して――」


 必死だった。口の中がからからに乾いて、生理的な涙がせり上がってくる。

 何と伝えればこの気持ちを、『星』たちが、姫巫女が抱いてきたこの想いを、分かってもらえるのだろう。どんなに言葉を尽くしても、難しい気がしてならない。

 それでも。それでも、対話を諦めるわけにはいかなかった。


 伝えなければ。ただのひととなった彼も、そして今此処へ現れたあなたさまも、眠らせたくなどないと。もう繰り返したくないのだと。

 けれども、から回る唇を嘲笑うように銀の竜は告げた。


「信じるものか。おまえは、紺碧を殺した女ぞ。……どれ、儂にそれを見せてみろ。それで全て分かろう」


 銀の竜が、静かにその首を伸ばし、鱗に覆われた太い腕を掲げて――――。


 鋭い爪が木漏れ日に煌めく。

 いけない。

 思わず首飾りを護るように一歩後退るが、もう間に合わない。背後に控えた騎士たちの怒号が樹々に木霊するなか、掲げられた腕が覆うように目の前に大きな影を作って、逃げ道を奪った。



 駄目。この琥珀だけは。駄目――――!





「――――スゥ殿!」




 ぎゅうと固く目を瞑った先で、何かを弾く甲高い音。ぐ、と体を引き寄せられる。

 ――――あたたかい。

 ゆっくりと、恐る恐る目を開ける。目の前に、美しい紺碧が揺れていた。よく知った花の香りがする。



「……シリウス、さま…………」



 瞳からぽろりと涙が零れた。恐怖ではなく、場違いな歓喜で胸が打ち震える。

 此処に来るはずのないそのひとが、片手に自分、片手に金色を帯びた剣を構えたまま、銀竜をしかと睨み見据えていた。






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