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 マルシェは素晴らしい催しだった。

 小さな店ひとつ毎に違う食べ物が売られていて、どれも初めて見るようなものばかり。

 食べながら歩くというのも初めてで、子供が悪戯を成功させたときみたいな、ちょっと悪いことをしているのに心が弾んでしまう、不思議な気持ちにさせてくれる。お腹いっぱいまで食べたのだが、それでも全部制覇とは行かなかったのではなかろうか。それだけがちょっと悔しい。


 一緒に並んで食べていたシリウスさまは、食べ物の種類により座る場所を用意してくれたりと、甲斐甲斐しく慣れない自分の面倒を見てくれた。それどころか、もう満腹だから、と、途中から自分の荷物持ちや、あろうことか財布(鞄ではなくポケットから出てきた!)を代わりに出してくれ、本当にご迷惑を掛けたろうと思う。気にするなと言ってくれたけれど、気にしない方がおかしいだろう。残ったお小遣いで何かお礼をしなくてはなるまい。



 食休みを終え、先程の飲食店が並ぶ一角とは別の場所を目指す。小物類や布、食器に本、装飾品が並んでいる。色とりどりの商品はどれも面白く、神殿では見かけない異国のものもあるようだった。


 深い藍色に金縁の茶器セットは本当に美しかったし、細いなめし革を編み込んだベルトは複雑な編みで出来た模様が珍しかった。仕立てたらさぞ素敵な服になるだろう布はひと巻ひと巻で色合いが異なり、染めたときの気候や材料に左右されるのだと店主が教えてくれた。古ぼけた本を並べていた店には、竜と姫巫女の話を元にした絵本があり、これの語り口はどのようなものだったかと思い返したりもした。


 どの店も楽しかったが、見て回るだけに留めた。途中、買わないのか? とシリウスさまにも聞かれたが、買ってもその思い出を眺めるだけになりそうで、それが何だか物悲しく感じて、どうにも手が伸びなかったのだ。




「――――あ、」


 それを見つけたのは半刻ほどのんびりと歩いた頃。


 半透明の小さな石だった。銅色の台にはめられたその石は、革紐に繋がれて首飾りに加工されている。


「おっ、お嬢ちゃんお目が高いね。それは宝石じゃないんだけど、ちょっと珍しいもんなんだよ。姫巫女の時代に流行ったもんらしいんだけどな」


 店主がそう声をかけてくる。

 中々正確な紹介だと思ったが、肝心な情報が足りていない。恐らく時代と共にその()()は語られなくなったのだろう。

 自分とて直接知っている訳ではない。『星』たちが連綿と残してきた記録を読んで知っているだけだ。


「綺麗ですね」

「だろう。どうだい兄ちゃん、可愛い彼女におひとつ贈り物など」


 急に店主が自分を通り越して向こう側のシリウスさまに話を振るものだから、驚いてしまった。

 駄目だ。それでは駄目なのだ。


「…………、スゥ殿」

「いけませんシリウスさま! これは、これはスゥが!!」


 振り返るなりいつにない大声を出したので、シリウスさまがびっくりして琥珀の瞳を丸くしている。店主の方に向き直ると、そちらも同じように目を丸くしていた。


「ご店主! こちらは! お幾らですか!」

「ろ、六十だ」

「スゥのお小遣いには限りがありまして。五十になりませんか」

「六十だなあ」

「五十……」

「わかったわかった、可愛いお嬢ちゃんに免じて五十五……」

「では五十二で」


 問答無用と告げた金額を店主の手に乗せると、一瞥してからにやりと笑った。


「……お嬢ちゃん中々うまいな? よし、じゃあ五十二だ。持ってけ!」

「ありがとう」


 首飾りを受け取る。お小遣いの残りを殆どはたいて手に入れた戦利品だ。大切に手のひらに乗せたまま、シリウスさまを振り返る。


「買えました」

「うん。見事な手腕だな、スゥ殿」

「では、これはシリウスさまに」

「――……え?」


 シリウスさまのその時の表情といったら、出会ってから今までで一番幼く見えたかもしれない。











「礼なんていいのに……」


 店を離れてから向かった、公園のはずれにある四阿(あずまや)にて。

 シリウスさまが、自分に握らされた首飾りを持ったまま、まだ困惑した表情を浮かべている。それに対して必死にかぶりを振って訴えた。


「今日一日、スゥの面倒ばかり見て頂いたのです。支払いだって……。その礼に、何卒納めてくださいませ」

「……、でも」


 言い淀む彼は眉根を寄せていて、とても難しい顔をしていた。


「折角やっと、気に入ったものが見つかったのでは……」


 そうか、彼は、自分が買わずに見て回るのを、中々気に入りが見つからないからだと思っていたのか。

 勿論、そんなことはない。お小遣いが潤沢で、持ち帰ったあとそれを楽しめる日常があったのなら、きっとあれもこれもと買い漁っていたことだろう。


 それに、スゥはこれを気に入ったから買ったわけでは、ないのだ。


「これは、あなたさまにこそ相応しい石と思いましたので」

「俺に?」

「はい」


 微笑んで、頷く。

 できるだけゆっくり、驚かせないように言葉を継いだ。



「これは、魔力を込めることができる石です」



 目の前の青年が息を詰める。

 もう一度、頭の中で唱える。ゆっくり、驚かせないように。


「スゥは聖歌を歌いますが、あれは魔力とは違うものです。なので、スゥにはその石を使うことはできません」

「…………、あなたは」


 琥珀が揺れている。開いては閉じを繰り返す唇が、言葉を探しているようだった。


「……やはり、知って」

「はい。魔力を使わないよう努めた戦いぶり、お見事でございました。あれならば誰にもあなたさまに魔力が宿っているとは分かりますまい」

「ならば、何故」

「神官とは、そういうことに敏いものです」


 本当は、彼の魂を知っているから気づけただけのことなのだが、その話は彼にするつもりはない。

 彼はそんな曖昧な返答でも納得をしたようだった。そうか、と小さく呟くと、それきり暫く口を噤んだ。

 風が渡り、鳥が鳴く。夕に傾き始めた陽の光に僅かに目を眇めていると、ともすれば聞き逃してしまうほどにささやかで掠れた声が、ぽつりと零れた。


「…………嫌、では」

「え?」

「嫌ではないのか、魔力持ちが」


 誰をも圧倒する力を持った青年が、怯えたように聞いてくる。まるで暗闇に取り残された幼子のようだ。

 安心させるように緩く微笑み、何のことはないという風に答えてやる。


「まさか。特にあなたさまのお持ちの魔力は、善いものと知っていますので」


 また、大きく琥珀が揺れた。


「善いもの?」

「はい。信じられませんか」


 逡巡し、僅かに俯く。沈黙が続いたが、それ以上余計な口を挟まずに答えを待った。


「……よく分からない。あると言われてから、一度も自分の意思で使ったことがないから」


 ――でも、と言葉が続く。


「あなたが善いものというのなら、そうなのだろう。そう、思える」


 揺れていた琥珀がとろけた。


 それがあまりに綺麗だったから、目が離せなくなる。

 なつかしい、けれどそれ以上に美しいと思う。

 これは、自分の頂く一ツ星の記憶ではきっとない。この二十日余で、神官見習いのスゥたる自分自身が、彼に抱いた感情の延長にあるものだ。


「それは、過大な評価を頂いた」

「過大ではない。俺が、あなたの言うことなら信じられるというだけだ」


 手のひらの上の石を指の腹でころりと撫でて、事も無げにそう言う。なんだか、とても照れくさい。


「魔力を込めてみてもいいか?」

「はい、是非」

「……ええと、こう、か?」


 使ったことがないと言っていたから、恐る恐るなのだろう。指先にゆっくりと魔力が寄せられ、それが半透明の石に吸い込まれていく。

 金色の淡い光。神秘的で、眩くも優しいその光が、彼の紺碧に散って、満天の星空のようだ。


 キン、と甲高い音がして、光は次第に空気にとけて消えた。半透明だった石は、彼の瞳と同じ、琥珀色に色を変え、輝いている。


「色が変わった」


 不思議そうに石を光にかざす青年に、微笑む。


「あなたさまの魔力の色です。なんと美しい」


 青年は返すべき言葉が見つからないのか、困ったように眉を下げてはにかんだ。


「きっとあなたさまを護ってくれます」

「……護る」

「はい」


 頷いて見せると、少しだけ考えるような素振りをして。それから、ふ、と自分に覆い被さるように唐突に彼が動いた。


「っ、シ、」


 彼の腕が自分の後ろ首の方へと回され――、よもや抱き締められるのかと思った瞬間、殆ど我が身に触れることもなく、その両腕はあっけなく元の位置へと戻されていく。と、同時に、胸元にころんとした感触が落ちた。

 見れば、先程の琥珀色に染まった石が、自分の胸元に揺れている。


「シリウスさま」

「あなたが持っていてくれ」

「これは、スゥがあなたさまに、」

「いや、俺はそれ以上のものを、もう貰った。……この石が、俺の魔力が、何かを護るというなら、……あなたに持っていて欲しい」



 遠く、鐘が鳴る。ひとつ、ふたつ、みっつ。

 ああ、時間だな、と青年が暮れ始めた空を眺めて呟く。


「帰ろう、スゥ殿」


 差し出された手。

 この手を取れば、もう、今日のこの時間は終わってしまう。


 風の往く音。葉が揺れるたび落ちる光。人々の遠く賑わう声。

 これまでの時間を忘れぬようにと、首に掛けられた琥珀をするりと撫ぜて、祈るように一度だけ目を閉じる。



「――――はい、シリウスさま」


 暫くの間を置いて、漸くその手を取った。







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