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かつて暴虐の限りを尽くし、街を破壊したという竜は、ひとりの姫巫女により眠りについた。長い長い眠りは、姫巫女の生まれ変わり、そのまた生まれ変わりが、代々に渡り竜にかかったその眠りの『御業』を重ねてかけ続けることで保たれていたという。
その姫巫女の生まれ変わりのことを、姫巫女の魂――すなわち一ツ星を頂くものとして、『星』と呼称する。
当代の『星』には、『星』の鑑別名として、スピカという名が与えられているのだが――、それを知るものは多くない。
先代の『星』の時代の終わりに、竜は死んだ。それゆえ、長きに渡る『星』の役目は終わったとされ、先代の『星』は、「もう次代は現れないかもしれない」と言い残してこの世を去ったという。
しかし、十年と少し前、洗礼に現れた少女が、『星』であると見出された。
もうこの世に竜はいない。その『御業』を与えるものはいない。けれども――、『星』が当代にも存在するのには、何か意味があるはずだと。年嵩の神官長はそう言って、『星』を神殿へと迎え入れたのだ。
当代の『星』、スピカ。十七歳――姫巫女が竜を眠らせたというその歳に至るまで、彼女が神殿を出ることは簡単には叶わない。神殿内にて秘されて護られる、なにものでもない、ただの『星』。
そう、である、はず。なのだが。
◇
「外出許可?」
「はい」
「私が、それを出すのか? 貴女に?」
「はい。神官長に聞いたところ、神官長はスゥに許可を出す立場にないと仰って。そうなってはもう、この国の長に貰う他ないと、あなたさまにお願いにあがった次第です」
その『星』が、騎士団を彷徨くようになって二週間と少し。
騎士団ならば、自分の目も神殿の目も届きやすく、そう危険もないだろうと、よく分からない理由ながら、神官長がよいと言っているのならば――と国王たる自分も許可を出したのだが。
外出許可。外出。
駄目だ、頭痛がしてきた。
「……『星』」
「神官見習いの、スゥでございます。陛下」
「神官見習いは、私にこんなに簡単に謁見できないのだがね?」
「ははは、左様ですか」
気にも留めない笑い方をして、少女が美しい所作でカップを傾けた。
「因みに、外出とは、どこへ?」
「食べ歩きに連れて行ってくださると」
「………………、誰が?」
「シリウスさまが」
シリウス。シリウス・レンオアム、といったか。
騎士団に七つある部隊のうちのひとつ、第三部隊の隊長を若くして務める男。
今、この少女が、手伝いを理由に周囲をうろついている、その目的の張本人である。
「『星』、」
「スゥ、でございます」
「……スゥ。シリウスは、何か貴女にとって特別な相手なのだね?」
ぱちくりと大きく瞬き、薄く微笑みを敷くその容貌は、幼げながらにとても美しい。他に見たことのない鮮烈な紅色の瞳は、全てを見透かしているかのように輝いていた。
「とても特別です。誰より、幸せでいて頂かなくては」
「ほう。幸せで、ね……」
「はい、陛下。当代が此処にいるわけが、あの方を見て、分かった気がするのです」
直接言葉にするつもりはないのだろうが、そこまで言ってくれれば否応なしにも分かる。
彼は――シリウスは、あの竜の一ツ星を頂くものなのだ、と。
「彼を、どうするつもりなのかな、スゥは」
「ですから、幸せに」
「眠らせる、のではなく?」
「まあ、今も少しばかり眠ってもらってはいますが……、もうあんなに眠る必要はないでしょう。だって、シリウスさまはもう、『ただのひと』なのですから」
当然のように話すけれど、真意が分かるはずもない。王たる自分も、歴代の『星』の記録には触れさせてもらえないため、竜と姫巫女の関係について知っているのは、王族に伝わる伝承に基づくもののみ。恐らく上辺だけだ。
ここにいる少女ひとりだけが、彼の内に別の何かを透かして見ている。
見られぬようにそっと溜息をつくと、少女の言葉はまだ途中だったらしく、すらすらと後が続いた。
「彼がスゥに望んでくれることならば、それは叶えなくてはなりません。ということで、外出許可を頂きたく」
「そこに戻るのか…………」
「戻るどころか、最初からその話をしております陛下」
彼女がこんなに言い出したら聞かないとは、ここ最近まで知らなかった。国王に許可を求める態度とは到底思えない。
「スゥ」
「なんでしょう」
「貴女に万一があってはいけない。ゆえに、貴女は神殿で護られている」
「ええ、『星』でしたら、そうですね」
こともなげに少女が言う。
「……なにを」
「スゥは今、神官見習いなのですよ。本来ならば勤めの時間以外は縛られず自由にする権利があります。けれども、神官長もあなたさまも、きっとスゥが勝手をすれば、シリウスさまを責められるでしょう? それでは困ります。ですから、スゥはきちんと許可を取りに来たのです」
つまり要約すると、勝手に出かけても良かったのだが、許可を取りに来てやった――譲歩した、と彼女は言っているのだ。
「いや、神官見習いというのは偽の肩書きだろう?」
「違いますとも。『星』はなにものでもないただの『星』なので、神の名のもとに願い出て、このひと月の間だけ『神官見習いのスゥ』になったのです。きちんと籍もありますよ」
ふんす、と胸を張って拳を胸に当てて見せる少女に、げんなりする。まさかそこまで周到に身分を作っていたとは。意味の解らない出向許可に気を取られていたのもあり、書面にそんな記載があったかどうかも思い出せない。
「…………そこまで確認しなかった」
「それは陛下も仕事を怠りましたなあ」
ははは、と面白そうに少女が笑った。
『星』はただの姫巫女の『星』ゆえに、個人としての籍も何もない。それを逆手にとれば、何ものにでもなってしまえる、ということだ。実際、『星』の仕事を終えてから、他の何ものかになり、市井におりた『星』も過去にはいたという。
「参ったな。……影の護衛はつけても?」
「ようございますが、……必要あるのですか?」
「なに?」
とんでもないことを言い出す、と訝しむと、少女はからりと笑って、さも当然といったふうに言い切った。
「この国で一番お強いのは、シリウスさまでしょうに」
それが姫巫女の『星』であるから出た言葉なのか、はたまたこの二週間彼の周りをうろついた神官見習いであるから出た言葉なのか――こればかりはこの国の王たる自分にも、判別がつきそうになかった。
「それで、どこに行くのだっけ?」
「食べ歩きです!」
「…………食べ、歩き……」