04
とにかく、建物中に。
子供や女の人を優先して。そう言われて、彩花たちも非常階段まで辿り着いたが、ステージに落ちてきた怪魔に悲鳴が上がる。
建物に入ることができなかった人たちが襲われる音が響く。
「ドアを閉めろ!! 入ってくるだろ!!」
「ふざけんな!! だったら、テメェが外に出ろ!!」
建物の中に入れた人と入れない人たちで、悲鳴のような言い争いが飛び交う。
怒号に連鎖するように泣き叫ぶ声まで混ざり、階段中にひどくこだました。
「……」
隣にいた灯里まで気分が悪そうに俯き始め、彩花は掴んでいた手を強めに握った。
「大丈夫」
「さやかちゃん……」
すぐに助けが来るから。そう言いかけて、どうして自分がここに隠れているのかが不思議でならなかった。
自分は魔法が使えて、魔法士を目指しているのに、どうしてここで隠れているのだろうか。
自分が戦うべきじゃないか。
彩花が、灯里の腕を離そうとしたその時だ。
「ジャマだ! 退け!!」
先程から妙にそわそわとしていたヒロが、近くにいる大人を蹴り飛ばしながら、ドアの方に歩いて行ってしまう。
「あ、おい! 君! 危ないぞ!!」
慌てて制止する声や手など、全て払い除けて進んでいくヒロの後ろを、彩花も慌てて追いかける。
「灯里はそこにいて!」
そう言い残して、彩花もヒロに続いて、屋上へ戻れば、眩しい光に一瞬目が奪われた。
すぐに戻ってきた視界に映ったのは、自分の想像とは全く違う真っ赤な景色と本能的に吐き気を催す匂い。
「――っ」
口へせり上がってくるそれを必死に抑える。
怪魔はまだ遠くにいるはずなのに、足が震えた。
「逃げちゃ、ダメ……」
私は、魔法士になるんだから。
この程度の死体も、怪魔も、怖がっていたら、ダメだ。
震える足でゆっくりと踏み出した足に当たる硬い何か。
「石……大丈夫。大丈夫だから」
自分に言い聞かせるように、一歩踏み出し、指を杖代わりに魔力を集中させる。
怪魔までの距離を測って、魔法を放つ。
何もしていないのに上がる息を堪えて、魔法を放とうとしたその時、狙っていた怪魔の腕が飛ぶ。
「ヒャッハッハッ!!」
狂ったように笑いながらヒロの振るう槍に、迷いも恐怖も無かった。
ただ、目の前にある怪魔を倒し続ける。
そんな様子に少しだけ安心してしまった自分に、首を横に振ると、他にも怪魔がいないか、周囲に目をやる。
そして、階段の建物の上、自分を覗き込むように見つめる怪魔と目が合った。
「ぁ……」
大きな腕が自分を捕らえようと、振り下ろされようとしていた。
尻餅をつきながら、先程不発に終わった魔法を、その怪魔に向けて撃てば、腕は逸れ、壁にヒビを入れる。
壁の向こうから聞こえる悲鳴に、離れるように這えば、怪魔は彩花を追いかけてきた。
「こっちだ!」
魔法が効いた様子はない。だが、自分が守らないといけないと、防御魔法を張りながら、声を上げれば、怪魔が目の前に迫っていた。
ひどい音共に、体は空中に投げ出されていた。
「ヒロくん……? さやか、ちゃん……?」
ドアのすぐ前。追いかけてきてしまったらしい灯里が、こちらを見ていた。
逃げて。
叫びたかったのに、声が出せなかった。
たった一言でいいのに。
伸ばした手は、何も掴めはしない。
「――――」
その時、指先が黒く、どろりと重い何かに触れたような気がした。
世界は暗く、音は遠く、前にいたはずの怪魔は、より大きな腕がその怪魔を蚊でも叩くかのように壁に叩きつける。
目の前で起きたはずのそれを理解する時間はなく、自分の尻に感じた柔らかな感覚に、足元見れば、黒い平たい魚のようなそれがいた。
「かい、ま……?」
敵意は感じない。
魚のようなそれは、ゆったりと空を泳ぐと、屋上まで戻り、彩花を下した。
すっかり静かになった屋上から見える景色は、全て色を失っていた。音もどこか遠く、ふわふわとおぼつかない足元。
周りには、光を全て吸収するかのような影のように黒い生き物たちが泳ぎ回る。
「灯里……? ヒロ……?」
何故かはわからないが、彼らからは敵意を感じない。
彩花はふたりを探そうと、足を進めてすぐに見つけた灯里は、周りの生き物と同じような黒に染まっていた。
深く、深すぎるほどの黒。まるで、あの生き物たちと同じように世界に溶け込んでいってしまいそうな黒。
――連れていかれる。
この世界が灯里を連れて行ってしまう。
根拠のない確信に、彩花は震える足を抑え、強く踏み込んだ。
「灯里……! 灯里っ!!」
縮みあがった声帯を無理にでも、何度でも震えさせる。
届かないじゃない。絶対に届かせる。
黒く溶け出すような灯里の体に指先が触れる。
どろりと重たい何かは、指先を通り抜け――――
「灯里ッ!!!!」
通り抜けさせない。
触れたその感覚を離さないように抱きしめた。
「ダメだよ。灯里。行かないで」
腕の隙間から消えて行ってしまうのではないかと、涙共に溢れてくる言葉は、拙い子供のような言葉ばかり。
どうすれば彼女が消えないのか。
自分には、彼女を助けるための力も何もない。
「――――灯里がいなくなったら、私、魔法少女になる理由なくなっちゃうよ。リボンちゃんより、ずっと強くて、かわいい魔法少女になるのに。灯里がいないなら、意味ないもん」
駄々をこねる子供のようだ。
いやいやだと自分の理由ばかりを並べて、こんなこと言ったって意味がないのに。
でも、自分にはそれしかなかった。
「――――ぁやかちゃん、魔法少女やめちゃうの!?」
初めて聞いた焦る声と共に強引に引き剥がされると、いつもの灯里が自分を見下ろし、直後もっと驚いたように肩を震わせた。
「ななな泣いて!? なにょえっ!? え、あ、ぅえぇっ!? あ、うぁ、ぃ、ヒロくん!! ヒロくん!!」
彩花から溢れる涙を拭うが、絶えず溢れる涙に、ヒロの名前を叫び出してしまう。
「テメェが悪ィ、テメェで何とかしろ」
「理由がわかんないんだってばぁ!!」
服を赤く濡らしたヒロが、瞳孔が開いたまま、しかし足取りは狩りの前の獣のように妙な静けさを持って近づいてくる。
その様は、泣いていた彩花ですら、その涙が止まるほどの迫力だったが、直後、腕の中に納まり、彩花の背中を擦る灯里に、一度目を閉じるとため息と共にその場に座った。
「ヒロ、その怪我、大丈夫なの?」
「は? ヨユーだろ。こんなの」
「たぶん、余裕じゃないから病院行った方がいいよ」
具体的にどこかと言われるとわからないが、未だじんわり広がり続けている赤色は、手当てをしないでいいわけがない。
だが、ヒロは一度灯里に目をやると、明後日の方向へ目をやった。
その動きだけで、先程の魔法を使ったのが、灯里であることがなんとなくわかってしまった。
「ん、彩花ちゃん、もう泣いてない?」
「うん。ヒロ見てたら、ひっこんじゃった」
冗談交じりにそういえば、灯里もヒロへ目をやり、思い出したようにヒロに近づくと服を捲った。
「灯里……? なにしてるの?」
「止血。とりあえず、止血と固定だけはしといてって話だから」
治癒魔法は高等魔法のため、子供に使えるとは思えないが、先程の魔法も灯里が使ったらしいのだから、もしかしたら使えるのかもしれない。
自分なんかより、ずっと魔法が使えて、人を守れる力を持っている。
「灯里はすごいね。私なんか……」
「?」
服を下しながら、彩花に振り返る灯里は、伏し目がちの彩花ににじり寄ると、その手に触れる。
「彩花ちゃんは、すごいよ」
そんなわけはない。怪魔一匹に何もできず、突っ走って死にかけただけ。
「別に、私に嘘つかなくていいんだよ。私なんか、すごく、ないんだから」
胸が締め付けられるような気がした。
自分で認めたくはなかった。自分だけは、認めたくなかった。
「……好きだから」
突拍子もない言葉に顔を上げれば、灯里の目が覗き込んでいた。
「わたしは好きだよ。さやかちゃんのこと。キラキラ、ピカピカしてて、すごくきれいで、好き」
だから、嘘なんかじゃないよ。
そう微笑む灯里の顔を見つめることはできなくて、慌てて自分の胸の中に頭を抱えるように抱きしめた。
「ぷぺっ!?」
「ぅ、ぁ、ま、また泣いてるから、顔見て欲しくない!!」
「ぅぇええ!?」
熱い頬を隠すように、暴れる灯里を抑えるように抱きしめた。




