その一 列島の消失
ちょっとセンチメンタルな恋愛で色づけした、短いSF小説です。
400字詰め原稿用紙で38枚程度の短編です。
大学一年の時に書いたのですが、いま調べたら、あの不朽の名作、小松左京の「日本沈没」が出たのが一九七三年(昭和四十八年)でした。あの名作に比べるべくもない、話にならないレベルの低さだけど、同じ題材としては五年くらい先んじていました。みんなあの頃、同じ発想をしてたのかな。
いまは廃止されてしまいましたが、当時、駒澤大学に岩見沢教養部があって、最初の二年間、北海道で暮らしました。両親は名古屋に住んでいて、島流しに遭ったような気分でこれを書いたのだと思います。
■自分自身の過去の作品の再掲です。
初出は昭和四十二年(一九六七年)に発行された「北海道駒澤文芸・六」という学校の文芸部の機関誌です。『北海道駒澤文芸6』昭和四十二年十二月十一日発行/北海道駒澤大学・岩見沢駒沢短期大学文芸部刊/当時のペンネーム・安芸ひろし。改めてここに掲載するに当たって、少しだけ添削しました。
眼を覚ましたばかりのぼんやりした頭が、左半分だけ痛かった。
まだ眠っているアイダの白い肩の肉がカーテンの端からの朝の光に輝いていた。
パリでの四日目の朝だ。
起き上がらずに、東京に残して来た鞠子の事を少し考えた。やはり鞠子を愛していると、自分に確かめてみる。他の女と寝た後で、自分自身に課しているおまじないである。
フロントに、今日の新聞を持って来るように電話する。
昨日、仏字新聞を持って来たので大変だった。
部厚い新聞を挟んでのアイダの奮闘の甲斐も無く、とうとう一面も読み切れずに終った。会話がせいいっぱいの気位いの高いパリ・ジェンヌの英語ではせいぜいその程度と諦めるしかない。喋るのは問題ないのだが、活字になったものを正確に通訳するのは意外に難しいらしい。
昨日のそれからのフロントへの文句が効いたのか、クラークはやけに鄭重だった。
それにしても、朝っぱらから金髪をふり乱したフランス娘が新聞片手に、アクセントの定まらない英語でまくしたてていて、それをなんとか理解しようと頭をかかえているねぼけまなこの日本人、なんて図はどう考えてもまともじゃない。
然し、新聞は面白いものだ。新聞記者とか小説家とか外交官なんて連中は新聞を仕事のために読むが、カメラマンはそうじゃない。むしろ自分の芸術のためにだ。
新聞がなくたってカメラマンは動き回れる種類の人間だ。が、結局、俺もマスコミの一端でしかないのかもしれない。
日本の俺の友人で、やはりカメラマンだが、アフリカのケニヤで象の大群が発見されたと新聞で読んでその日の内にアフリカへ向けて発った奴がいる。もっとも、彼はそれから、アフリカが気に入って帰って来ない。
だから、俺も新聞だけは欠かさない。
新聞はくだらない事を、テレビやラジオのようにいやおうなしに吹き込んだりはしないからだ。
そのかわり、ひょっとしたら南極あたりで先史時代の美女の氷づけ、なんてのが発見されないとも限るまい。そいつを見のがすのは俺の性分じゃない。
ボーイは英字新聞を俺に手渡し、チップを大事そうにポケットに入れて立ち去った。
彼らにとっては、新聞なんかより、なにがしかのチップの方がよほど大事というわけだ。不幸な連中に違いない。
アイダの幸福そうな寝顔をのぞき込んでから、ベッドの端に腰かけて、例のごとく裏側から新聞を読み始めて、俺は苦笑した。
日本の新聞で言えば第一面に当たるところが、その新聞では全面、広告で埋めつくされている。その広告をながめながら、俺はやはり根っからの日本産なのだなとあたりまえの事を考えた。
苦笑いの遅々として止まないのに我ながらあきれて、シャワーを浴びにバス・ルームへ入った。
日本人と知って用意したらしいホテルのガウンは、日本人離れのした俺には少々小さすぎた。手回しが良すぎるとこんなものだ。だから高級なホテル程、住みにくい。
「オハヨウ」
ドアを大きく開けてアイダが飛び込んで来た。
日本大使館に勤めていながら一向に日本語を覚えようとはしない彼女は、パリへ来てロンドン・タイムズを読むような俺と似通った所があるのかもしれない。
脱いだガウンを彼女に放り投げて、ひとりにしておいてくれと俺は言った。
トイレと風呂の中で考え事をするのが俺の家系の癖だ。悪い癖ではないと思う。どちらにしろ貴重な時間だ。
俺はシャワーを浴びながら、またも、鞠子の事を考えた。そして自分を待っている者がどこかに、あの東京にいるのだと感じて何かしら妙な気持ちになった。
アイダは――彼女は、俺の悪い癖の犠牲者だ。いや、ひょっとしたら俺の方が彼女の犠牲なのかもしれない。
俺は自分の生活について考えた。
パリヘ来たところで別に俺の生活のテンポが変わるわけではない。だがアイダがこの三日程の間に何か、俺の生活の中に特別な位置を占め始めた事は確かだ。
しかし、そう遠くない未来に、俺はアイダを棄てて帰ってゆかねばならない。
彼女はそうと知りながら俺を愛そうとし、愛したに違いないが。俺も、アイダもまた、確かな生活のテンポにはあきたらない種類の人間なのかもしれない。
バス・ルームを出てガウンをはおると、俺はベットの端に腰かけて、アイダが投げてよこしたフランスパンをかじった。
どう考えても変な二人だ。
アイダがバス・ルームへ入ってから、俺はしかたなく新聞を拾って読み始めた。
一面を見たとたんに俺は驚いて声をあげた。信じがたい事が、そこに大きな活字で載せられてあった。
Where have Japan gone?
以下訳文抜粋
【十時七分、各国のレーダーは日本近海の船舶からのSOSをキャッチした。SOSの内容について、まだ詳しい事は発表されていないが、同時刻に日本の方向で見られた不思議な光に関連があるものと見られている。なお、今朝、横浜入港予定だった英国船ゴールデン・フラワー号、及び、米国第七艦隊よりの入電には、二十六日午后十時七分に認められた不思議な光に関するものもあると思われ、発表が待たれている。日本列島に起ったと思われる大異変の結果、相当大規模な津波がひき起こされ、オホーツク海から太平洋南部までの広範囲の国々に深刻な被害を与えたと思われる。現在のところ、韓国の釜山、仁川、中国の天津、上海、香港などでは都市機能がほぼ完全に停止している。南北アメリカ大陸の西海岸へは二十四時間以内の到達が予想されており、大規模な避難が呼びかけられている。また、航行中の船舶のほとんどとの連絡が途絶えており、日本近海にあった小さな船舶はほとんど絶望と見られ・・・】
俺は眼を疑った。一体、何が起ったと言うのか。確かに五日前、俺が羽田を発った時、眼下に日本列島は何の変わりもなく、あいかわらず大学生のデモなんかで騒々しかったが、別に地殻の変動なんてなかったし、活火山が新しく出来たって事もなかったはずだ。
俺はとっさに何をしたら良いのかと考えた。しかし何も出来るはずもなかった。フロントに電話をかけながら、俺はふと鞠子の事を考えた。
――今朝の新聞をみんな持って来てくれ。それから日本大使館へつないでくれ、急ぐんだ。
フロント・クラークはひどく鄭重だったが、日本大使館への電話はたてこんでいてしばらく結がりそうもないと申し訳なさそうに断った。
「結がりましたら、すぐお呼び致しますから」とフロント・クラークは言った。そして、御同情に耐えませんとつけ加えた。
俺はクラークの慰めの言葉を最後まで聞かずに受話器を置いた。なんだか急に、とてもたまらない気持ちになった。
「どうしたの?」
バス・ルームを出て来たアイダは俺をのぞき込んで訊いた。俺はベッドの上に放り出した新聞を指さして、水さしの水をガブ飲みした。水がひどくまずかった。ミネラル・ウオーターとか言う日本の水とは比べものにならない味もそっけもない液体だ。
ボーイが新聞の束をかかえて来たので、俺はそいつをひったくって大見出しを見た。どれにも、やはり一面に同様の記事が載っているようだ。大きな日本列島の絵が画いてあるものもある。
それをまとめてアイダに放り投げ、ドアを閉めようと振り返ると、ボーイがまだじっとそこに立ちつくしている。
「なにか用か、と訊こうとして思い出し、ガウンのポケットにあった小銭をみんなボーイの手にねじ込んでドアをたたきつけた。ベッドを振り返ると、アイダは新聞に囲まれて眉をしかめていて、俺が眼で説くとため息をついて首を横に振った。
先日、一括してアップしたのですが、誤字脱字が多かったので、分割してアップし直しました。