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第九話:黒き影


 代官(ベイ)トゥキは、友好国メラムの王女リーシェンに対して目にあまる非礼があったとして、マリガンタ太守(ムクター)ハザンの名において職務不適格とされた。


「きさまら、ただではすまんぞ。異教徒どもと内通して蛮族にマリガンタを売り渡したと、(シャー)に言上する」


 捨て科白を残してトゥキは放逐され、城門はそのまま開け放たれた。


 王弟(テギン)カラツはマリガンタにも胡軍不入城の特権を認め、物資の供給のみを求めた。メラムの通行証が今後は免税特許状となることを説明し、マリガンタも交易路全域での税制統一に従うよう通告する。


「メラムの方面からやってくる商隊(キャラヴァン)に関しては、殿下の仰せのとおりにしましょう。これからメラムへ向かう商隊については、どのように扱えばよろしいですかな?」


 ナジャールの実務的な質問に、カラツはすぐ応じた。


「通行証発行の機関を設立し、支庁を交易路ぞいの主だった商都に設置する。メラムに立ち寄った際に証印を捺す制度とすればよかろう」

「メラムは交易路のほぼ中間地点です。メラムを経由するほどではない、短距離の交易に対する課税はどのようになさるのですかな?」

大王(ハガン)ズクライの名に服する範囲がどの程度まで広がるかによって、われら胡族の騎馬が行き交う頻度は変わるであろうが、短い距離の交易であれば、より頻繁に多くの商品をやりとりできるだろう。いくらか税率が上がったとして、不当とは思わん」

「メラムが商圏の範囲にある、短距離商隊はずいぶんと有利ですな」


 肩をすくめて見せたナジャールに対し、


「メラムが特権的地位に昇るのは当然だ。東西両洋統一の意義を、もっとも早く理解したのはヴィホフどのなのだからな」


 と、カラツの口調は峻厳であった。


 複数の文明圏にまたがる広大な範囲の治世を志向してはいるが、大王の権威は胡族の騎馬軍団の強さを裏打ちとした覇者の論理だ。民草からの信任を受けた徳治ではないし、神託を受けた天治でもない。

 時の研鑽を経てすでに王権を認められている、各地の統治者の上に立って、覇業を達成することがまず第一である。ひとりの王、ひとつの法による統一が正当であったと万民に認めさせるのは、結果としてあとからついてくることだ。


『華』の概念がある帝国は、彼らにとって卑賤な民族である胡人による統治はおろか、対等な同盟もありえないとし、服属のみを要求してきた。戦は避けられぬ運命であった。

 自主的に大王(ハガン)の権威を認めた初の主権国家である、メラムに特別な地位を与えるのは、カラツが考えるに当然のことだ。


 ナジャールは、彼の美しい姪であるリーシェンの存在がメラムに有利な要素となっているのではと考えていたが、王弟(テギン)の眼にいささかも色に迷う気がなかったので、探りを入れることはやめて事務的な調整項目の確認に戻った。


 花刺子模クァラザンの一都市としてではなく、太守(ムクター)ハザンと、地元部族の長老(シャイフ)であるナジャールが結んだ友好条約である、とマリガンタ側は体裁を繕い、いずれ全土を大王の勢力圏に組み込むつもりであるカラツは、名目上の言い逃れにはひとまず目を(つむ)った。


 メラムのときと同様、城外で兵卒たちと食べるといって、歓待を謝絶し太守公邸をあとにするカラツを見送り、ナジャールは首をかしげてリーシェンのほうへ語を投げた。


「リーシェン、あの御仁、じつは衆道がお好みだったりするのか?」

「そういうお話はうかがっておりませんけれど……」

「なぜ陣中におまえを伴っているのだ?」

「わたくしを大王(ハガン)へタダで差し出すのはいやだ、と、そのようなことはおっしゃっていましたが」

「その言葉、どのような意味に受け取ればいいのかのう……」


 閨閥を通じてさまざまな有力者との縁を築いてきた、老獪なナジャールはひげをひねって考え込んだが、男女の駆け引きにはまだまだうといリーシェンには、伯父がうなる意味はわからなかった。


 その夜――


 公主リーシェンは、伯父であるナジャールの屋敷に泊まっていくよう招待を受け、ひさしぶりに伯母やいとこたちと顔を合わせた。

 小なりとはいえ一国の王女であり、メラムの珠玉と謳われるリーシェンは、一族の誇りであり少女たちのあこがれの的であった。


「リーシェンさまは、てぎんとはがんのどっちとけっこんするの?」


 と、童女が純真な瞳でそんなことをいってオトナたちの顔を固まらせるひと幕もあったが、おおむねなごやかに時はすぎていった。


 ……宴が散会となり、みなが寝静まったころ。


 ナジャール邸の客間の窓を、外側から開く黒い人影があった。

 長老の寝室と同等以上に豪奢な、王族が(おとな)ったときにのみ使われる部屋は毛足の長い絨毯が敷かれていたが、板の間、石床であっても、侵入者が跫音(あしおと)を響かせることはなかっただろう。


 天蓋つきの、贅を尽くした牀台(ベッド)に近寄り、幔幕(カーテン)に左手をかけた侵入者のもう一方の手には、刃を黒く塗られた剣があった。

 幔幕が引かれ――


「おやおや、こんな婆に夜這いをかけて、どうしようというんじゃい?」


 出迎えたのは、ユン婆さんの声であった。黒ずくめの侵入者が、唯一のぞかせている目を血走らせて周囲を見回すのをよそに、老婆はひっひっひ、と笑う。


「声も出ないほどわしは美しいかえ? まだまだこの皺々もいけるかのう?」


 怒りに震える侵入者の手元の凶刃が見えていないわけはないのだが、ユン婆さんに怯えの色は微塵もない。


 歯ぎしりを立てて侵入者は剣を振りかぶったが、廊下を走る複数の足音が聞こえてきたので身を翻した。

 風のように窓をくぐって、飛び出していく。


「おやま、爺さんのところに行き損なったの」


 ひとりごちてから、ユン婆さんは牀台から下り、丹念に寝床を調えはじめた。


 身代わりとしてとはいえ、公主の寝所で墓守の婆さんが横になっているというのは本来不祥なことであるゆえに。


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