第八話:ひらめく白刃
戦闘です。チャンバラに興味のない方は飛ばしてください。
帯剣した衛兵をふたり従えて接見の間に入ってきた黒ひげの洒脱な男へ、リーシェンは落ち着いた視線を向けた。
「やはりおいででしたか、トゥキ閣下」
「女が賢しらに兵事を語るとは片腹痛い。胡人どもなど、王の軍勢の前ではものの数にもならんわ」
と、尊大な口調でうそぶいたトゥキだったが、リーシェンの容貌を見るにつれて目尻がだらしなく下がる。
「……ふむ、メラムの珠玉、あながち誇張されたうわさでもなかったようだな。おまえはムハラズ陛下への献上品にするとしよう」
「わたくしは正式な軍使ですよ。そして大王ズクライとメラム王ヴィホフの同盟を保証する人質でもあります。あなたの独断で胡族のみならずメラムをも敵となさいますか、トゥキ閣下?」
「軍使ではないからこそ城門をくぐれたのだと、いまさっきナジャールがいったばかりではないか。ちょうどいい機会だ、メラムも、真の主が花刺子模の王であることを知るべきだろうよ」
トゥキが指を鳴らすと、奥の間からさらに四人、公邸の表玄関のほうからも四人、あらたな衛兵が接見の間に踏み込んできた。
ナジャールが立ち上がって抗議する。
「トゥキ、きさまが王の代官であろうと、わしの姪に狼藉は赦さんぞ」
「ムハラズ陛下へお捧げするのだ、もちろん手はつけん」
トゥキは下卑た表情を浮かべ、代官へつかみかかろうとしたナジャールを、衛兵がふたりがかりで羽交い締めにする。
リーシェンは椅子に端座したままだったが、護衛の胡人は壁際を離れて公主のかたわら、守る位置についていた。
胡族はもとよりあまり背が高くないが、中でも小柄なほうであろうその姿に、トゥキは鼻で嗤った。
「余計なことをすれば寿命が縮むぞ」
「無粋な真似をしたのはそちらが先だろう」
胡人の青年は、花刺子模の通用語である波剌斯語を完璧にあやつった。
トゥキはたるんだほおを震わせながら叫ぶ。
「その侏儒を斬れ」
部屋の中央に方卓が置かれている接見の間で、リーシェンたち胡軍の使者一行がいる側には衛兵が四人。彼らはトゥキの命令で剣を抜きかけたが、護衛の青年は衛兵たちが手を動かしはじめてから反応したにもかかわらず、より迅速かった。
抜く手も見せず胡人の腰間から銀の光がほとばしるや、剣の柄を握ったまま、鞘から抜けずじまいでふたりの衛兵が倒れていた。残るふたりは抜剣したものの、刃身がぶつかる音は響くことなく、胡人の太刀筋に合わせられず床へと転がる。
一瞬のことにだれも声を上げることはできず、剣が交差して刃鳴りが立ちもしなかったため、部屋の外には異変が伝わらなかった。
四人目の衛兵が倒れたときには、すでに胡人の青年は身を翻し、床を蹴って方卓へ飛び乗り、接見の間の反対側へと走っている。
代官を守ろうと、ナジャールを抑え込むのに手がふさがっていなかった衛兵四名が人垣を作ったが、青年はその頭上を軽々と飛び越え、トゥキの眼前に降り立った。
自分の剣を抜いてトゥキが威嚇のために振りかぶると、青年はにやりと笑う。
ほとんど悲鳴にちかい喚声を発してトゥキが剣を打ち下ろし、鋼が衝突する、鋭い音がようやく空気を裂いた。
トゥキの剣は半ばから截断され、切っ先は天井に突き刺さった。
愕然とするトゥキの立派なあごひげが裁ち落とされ、むき出しになった喉元へ、ひたりと刃が据えられる。
「よい剣だろう。剃刀以上の切れ味で、鉄鞭よりも折れにくい。帝国へ遠征したとき手に入れた。さらに東の島国で作られている倭刀というそうだ」
片刃でゆるい弧を描いている刀身の剣を手に、胡人の青年はおもちゃを自慢する子供のような口調であった。
トゥキの首をたやすく刎ね飛ばし、残り六人の衛兵を斬り伏せるのに、さして手間取らないだろうことは明白だった。尋常な強さではない。
「きさま、人怪か……」
「胡人として当たり前とはいわんが、めずらしいと思ってもらっては困るな。この程度の使い手、わが麾下に千人はいるぞ」
青年のものいいで、ようやくトゥキは相手がただの胡人の警護兵ではないことに気づいた。
「まさか、王弟……?!」
「気がつくのが遅いな。その情けない面で王ムハラズの陣営へ帰るがいい。本来ならば、大王への軽侮、なによりリーシェンどのへの非礼、四つ裂きの上で火炙りにしても足りぬところだが、いまはできるだけ殺しはしないようにしている。リーシェンどのに感謝することだ」
刀の鋩子でトゥキの口ひげを雑に剃り落としながら、カラツは淡々とそういった。
最初に倒された四人も、床の上でうめき声を上げている。峰打ちですませて、生命は奪わなかったのだ。
拘束を解かれたナジャールが、威厳を取り戻して衛兵たちへ命じる。
「王直任の代官といえど、いまのトゥキの非礼なる態度、律法にも反しよう。この場はわしが預かる。おまえたち、怪我人を運び出して、太守ハザンを呼んでまいれ。太守と相談の上で事後策を定める」
『――はっ』
衛兵たちはマリガンタの住民であった。トゥキの命令権がもっとも上位とはいえ、直属ではない。醜態をさらした代官に、命を懸けてまでなお従う義理はないというものだ。
ひげを剃り落とされたトゥキはほおをわななかせはしたが、語を発することはできなかった。鼻でも耳でも首でも、カラツがその気になれば一瞬で切り飛ばせる。
接見の間にマリガンタ太守ハザンが到着し、伏せていた身分をあきらかにした王弟カラツとのあいだで、直接交渉がはじまった。
いまではすっかり廃れましたが、源義経が大陸へ落ち延びてチンギスハンとなった、なんてトンデモ珍説が20世紀地球の日本にはありました。カラツの出自はのちに本文中で触れますが、刀持たせたのはこの奇説をちょっとだけ意識してます。