第七話:公主、軍使になる
カラツ率いる胡軍は高原の西端で王弟の来着を待っていた部将キドゥバと合流し、総勢十五万の大兵力となった。
迎え討つべき花刺子模軍は、合計では胡軍をしのぐ数であったものの、王ムハラズ親率の中央軍のほかに一隊五千を超える兵団はなく、集結できていない。
カラツが騎兵のうち二万を鉄騎長ドゥーロに率いさせて威力偵察へ放つと、各個撃破されることを懼れて各諸侯軍は城市に籠もり、ムハラズの本隊は大河オクシスを渡ることをためらった。
胡族の騎馬軍団は水を嫌う、ということは広く知られていたのである。
カラツは副将キドゥバに大半の兵力を預けたまま、軽快な本隊のみで大平原を進んだ。点在する緑泉に依拠する城市のかたわらを素どおりし、周辺で最大の人口を擁する交易都市マリガンタの近郊に達する。
マリガンタは花刺子模でもっとも豊かな市だが、政治的中枢は、より西に位置するムハラズの本城グルガンシュにあった。
胡軍は飛び石のように草原にちらばるオアシス都市をひとつずつ攻め落とすだろうと予測していた、ムハラズや、麾下の諸将、諸侯の裏をかくカラツの機動である。
震え上がったマリガンタの人々に対し、征服王ズクライの弟として、仮借なき破壊と殺戮を繰り返してきた恐怖の申し子は、文面で平和的開城の条件を示した。
そればかりか、書翰を手に城門の前までやってきた胡軍の使者は女人、しかもマリガンタにゆかりある、メラム公主リーシェンであった。
城門が開かれ、リーシェンは市内へと招じ入れられた。
公主本人と、側づかえであろう老女に、護衛は歳若い胡人の兵士ひとりだけであったため、守備側も過度に警戒することはなく、そのままとおされた。
マリガンタ太守公邸の一室で待っていた恰幅のよい初老の男が、リーシェンの姿を見るなり席を立つ。
「リーシェン! ほんとうにおまえだったとは」
「おひさしぶりですナジャール伯父さま。お変わりありませんか?」
「あの病魔の猖獗が去って以来は、まあそうだな、大きな不幸も今日まではなかった。……なぜおまえが胡族の陣中にいるのだ」
「強いられてのことではありません。父ヴィホフの判断と、わたくしの意志でカラツ殿下のお伴をしているのです」
メラムが胡族と対等の同盟を結んだこと、大王ズクライに東西両洋を統一する大望のあること、王弟カラツは武力のみに訴えて西方諸邦を平らげるつもりはないと、リーシェンは母方の伯父へ説明する。
「わがメラムも、ここマリガンタも、東西の交易が存立の要です。ひとつの法による統一は、かならずや将来の繁栄につながるでしょう」
「かつて交易路ぞいに並ぶ各市は、マリガンタ、シャーシュガンタ、ボラートなど、メラム同様に一城が一国だった。だがこの地に律法がもたらされてもう五百年ちかい。ひとつの法に服しているのはわれわれであり、統一を望むならそちらが従えばいい――王はそういうだろう」
「帝国も胡人たちに服従を要求しました。答えは北半分の壊滅です。花刺子模が相手となっても変わりはないでしょう。戦いになれば、かならず胡軍が勝ちます」
抵抗の無益を説くリーシェンだったが、ナジャールは渋面でかぶりを振った。
「……わしに権限はない。太守のハザンはともかく、王の代官トゥキは、この城市を胡人に渡さぬよう命じられてやってきたのだ」
「ハザン閣下、あるいはトゥキ閣下とお話はできないでしょうか」
「ハザンならともかく、トゥキは話にならんだろう。女が軍使にやってくるとはなにごとだと、露骨に見下しておる」
「わたくしの約束はカラツ殿下の約束になると、保障できますが」
「トゥキのやつは、花刺子模より帝国の権威を重んじ、景教を主宗とするメラムのことが、かねてより気に食わんようでな」
そういって、ナジャールは肩をすくめた。
「トゥキ閣下は、わたくしを交渉相手とお認めにならないということですか」
「王弟当人がやってきても、トゥキは譲るまい。『死守せよ』の一点張りだ。リーシェンはわしの身内であって軍使ではないということにして、ハザンが開門を拒否するトゥキを押しとどめたのだ」
「トゥキ閣下の、花刺子模政庁の要員は市内にどのていどいらっしゃるのでしょうか」
「……リーシェン、おまえ、滅多なことをいわんでくれ」
ナジャールは声をひそめたが、リーシェンはあえて抑えることなくつづける。
「トゥキ閣下以下、王の官吏のみなさまには安全な退去を保障します。マリガンタを明け渡していただけないでしょうか」
「それは叛乱の使嗾だ。王ムハラズよりマリガンタを預かっているのは、トゥキだけではない。わしもハザンも、王より信任を受けているからこそここにいるのだ」
「では、王の軍がやってくるまでお待ちになりますか。カラツ殿下はもとよりそのつもりです。マリガンタを囲って、花刺子模の主力兵団が救援に現れたところで、堂々野戦で決着をつける。ムハラズ陛下以下二十万の屍が地に満ちれば、トゥキ閣下のお考えも変わるでしょうか」
静かな口調でリーシェンは述べ、マリガンタに立ち寄る、東からやってきた商隊から、胡軍のおそるべき強さを聞いているナジャールは貌を蒼くしたが、そこで奥の間につながる扉が開いた。
「話をさせておけば調子に乗りおって、この小娘が」