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第五話:父娘のわかれ


 大王(ハガン)ズクライ万歳、総司令カラツ万歳――


 五万の軍勢が唱和する歓呼の声が、平原に轟き渡る。

 当然ながら、メラムの市中どこにいてもその叫びは聞こえた。あまりの大音声に、城壁が揺れているように感じられるほどだ。


 ズクライへの礼賛はおざなりであり、兵士たちはカラツに対して真の熱狂を籠めていると、城の楼閣にいながらしてヴィホフは察していた。


「……恐ろしい男だ。あの王弟(テギン)のために、兵らはためらいなく死ぬだろう。地上のいかなる兵団を持ってしても、十倍の数をそろえたところではたして止められるかどうか」

「現に五百万を動員した帝国(カタイ)は、五十万を超えぬ胡軍に敗れました」


 かたわらでそうつぶやいたリーシェンへ、ヴィホフは父として案ずる目を向ける。


「リーシェン、本当にカラツどのの陣に帯同するのか?」

「わたくしは、カラツさまのことが嫌いではありません。大王ズクライがどのようなお人なのかはわかりませんが、カラツさまは信用してよいように思えます」

「カラツどのには王者の器がある。……それだけに危ういのだ。天に太陽はふたつ必要ない。大王が、自らの威名をしのぐ弟を邪魔とする日がくるやもしれぬ」

「もし、大王がそのような妬心をいだくとしたら、真の王としてふさわしいとはいえないでしょう。カラツさまよりも本当に度量が大きいひとなのだとしたら、大王ズクライは私情を大義よりさきに立てはしないはずです」

「カラツどののほうが大きくあってほしい、そう聞こえるな」


 と、父にいわれ、リーシェンはほおを紅くした。


「わたくしは、メラムの国益にもっとも適う殿がたにのみこの身をささげます」

「私はおまえを送り出すときに、カラツどのと話したのち、おまえ自身の判断にゆだねるといった。おまえが自分のしあわせに一番と思う選択が、メラムの益にもなる」

「メラムの発展、父上の栄光が、わたくしのしあわせです」

「カラツどのか、大王か、いずれであっても、国や父のために奴婢となってはいけないよ。正妃とまではいわずとも、かならず夫人としての地位を約束させなさい」

「はい。わたくしはメラム王ヴィホフの娘、たとえ相手が世界すべてを統べる覇者であろうと、端女として仕えはしません」


 沈みゆく夕陽に染まる大平原に槍剣の林を突き上げる騎馬軍団を眼下に見ながら、小国の王家の父娘(おやこ)は離別のときが迫っていることを感じていた。


 翌日――


 払暁とともに、胡軍は進発準備を整えた。

 総司令カラツは城外で兵卒たちと食事をしてから、酒宴の席でヴィホフと盃を酌み交わし、やはりというか、幕僚たちはメラムの城内で(やす)ませ、自身は夜半に野営陣地へと戻っていた。


 暗殺や毒殺を怖れての、小心からくる行動ではない、ということはヴィホフにも、リーシェンにもわかった。胡人たちが無数の部族にわかれていたころ、一氏族の郎党を率いていたときからの習い性であり、苦楽のすべてを供にするからこそ、カラツは全軍からうわべでない士心を得ているのだ。

 東の大帝国を攻略していた途上でも、カラツは陥落させた大都市の楼中で享楽に浸ることなく、兵卒たちと野営で寝起きしていたことだろう。


 陣をたたみ隊伍を組んだ五万の鉄騎の先頭から、総司令としての偉容を整えたカラツがメラム市の城門へと馬を進めてきた。


 開かれた城門の前では、胡軍のために供出される食料を背負った荷駄が、献上品として集められたメラムの選りすぐりの財宝を積んだ荷車が、そして、側付としてユン婆さんを従えたリーシェンが待っている。


 公主リーシェンこそが、商都メラムの国主ヴィホフが差し出す最上最高の供物なのだということを、城内の市民も、城外の胡人たちも承知していた。


 馬を寄せてきたカラツが、鞍上からリーシェンへ微笑みかける。


「リーシェンどの、西への案内(あない)、よろしく頼む」

「お役に立てるかわかりませんが、殿下がお望みであれば地の涯てまでお伴いたしましょう」

「西の大洋へ陽が沈むところ、そなたと見るのも悪くないかもしれないな」


 というや、カラツは馬を下りてリーシェンを抱き上げ、鞍へと座らせる。自らは鐙に足をかけることもなく馬の背へ戻り、リーシェンをうしろから支えながら手綱を()った。

 大将軍であるカラツの乗騎は、胡人たちがずっと飼ってきた小馬ではなく、帝国を攻めた際に戦利品として得た雄大な体躯の駒だ。肩の高さまである馬の背になんの足がかりもなく飛び乗る、カラツが一騎兵としても練達の使い手であることをうかがわせた。


 鞍上に担ぎ上げられてもおどろき(おび)えることなく、背筋を伸ばして均衡(バランス)を取るリーシェンに、カラツは楽しそうに話しかける。


「馬に乗れるのか」

「得意ではありませんが」

「いいな、今度は伴駆けしよう」

「わたくしでは、とうてい殿下の騎走にはついていけません」


 胡人の遊牧民は、生まれてきたら歩くよりさきに馬の乗りかたを覚え、寝ている時間より馬の背の上にいる時間のほうが長いとすらいわれる。その馬術の妙は、都市や農村の定住民ではどうやっても身につかないものだ。


「早駆けだけが馬の使い道ではない。寝ころんで起きない羊を、道草食って動かない牛をせき立てていたのがもともとのわれらだ」


 田畑を耕さず、気ままに山野をさすらっては、ときに町や村の人々が蓄えた富を奪いに襲撃してくる――騎馬遊牧民に対する定住民の印象というのは、東の帝国でも、西や南の諸王国でも、もちろん交易の中継基地であるメラムはじめとする商業都市国家でも、似たようなものだ。


 だが、胡人たちは、人間界における、野生界での鹿や猪に対する餓狼の群れに相当する存在なのだと、単純に断じることはできないのかもしれない。


 大王(ハガン)ズクライの統一への大望、そしてなによりカラツ自身の(こころざ)しをもっとはっきり知りたい――子供のころ父ヴィホフがひざに抱き上げてくれたときと同じあたたかさを背に感じながら、リーシェンは、冷酷な侵掠者としての(かお)と、鷹揚な王者としての貌を併せ持つ胡族の王弟(テギン)へ、にわかに興味が深まっていることを自覚していた。


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