第四話:同盟締結
メラムの城市をぐるりと取り囲んでいた騎馬軍団が、西側へと集結した。
城門が開き、足止めされていた商隊が、東に、西に、あるいは北、南のほうへと旅路を再開する。メラムへ入ることができず、遠巻きに様子を見ていた商隊も、胡軍が通行の安全を保障すると通知し、おっかなびっくりながらも休息のために市へと向かってきた。
城内では、五万の兵に振る舞うため、市民総出で料理が作られはじめている。
総司令カラツと少数の幕僚、文官である巴刺伯人のアリ・サーバスのみが城門をくぐり、メラム側の要求どおり、兵卒は城壁の外で待機していた。
独自の文字を持たず、周辺の諸民族から適当に文字を借りてきては書き言葉をつづっていた胡族であったが、大王ズクライによって勢力が拡大され、行政文章、外交文章を統一する必要ができたため、巴刺伯人が傭われたのであった。
メラム王ヴィホフと胡軍総司令カラツのあいだで条文の細目が定められ、アリ・サーバスが文面に起こす。
メラムに立ち寄っていた師子の商隊の長老を証人として交え、読み合わせを行い、草稿の解釈に齟齬がないことを確認して、双方一部ずつを清書し、友好条約がまとまった。
メラムの国璽が捺され、王弟カラツの名において大王ズクライの代書とする。
それによると――
メラムは大王の軍勢が求める補給品を、可能な限り納める義務を負う。
メラムは軍勢の入城を拒否する特権を持つ。
大王麾下の軍勢は、メラムを経由するあらゆる商隊の通行の安全を保障する。定められている関所以外で、商隊から通行税、安全保障税その他を徴収してはならない。違反した部隊の指揮官は死刑に処する。
――重要なのはこの三点であった。
メラムはとおりかかる胡軍に物資を供給しなければならないが、住民の生活に支障が出るならば上限を決めることができる。
一方で、大王の勢力圏で交易を望むなら、すべての商隊は事実上メラムへ立ち寄る義務を負うことになる。メラムの通行証を持っていない商隊に対しては、胡人たちは依然金品供出を求める権利を持つからだ。
これはかならずしも理不尽ではない。商隊というのは、常に山賊や野盗に脅かされながら旅をしているものだ。胡軍の騎馬隊が交易路を行き来していれば、無頼根無し草の賊は仕事がしづらくなる。メラムの通行証さえ持っていれば、剽悍な馬賊たちが頼もしい用心棒へ変わるのである。
署名をすませた条約書を象牙製の筺へ収め、王弟カラツは大きくうなずいてから立ち上がった。
「東西交易路のほぼ中間、もっとも重大な要衝を平和裡にわれらの友邦とすることができた。兄ズクライも満足するだろう」
「殿下のご深慮、万謝に堪えません。道中の安全が保障されることは、交易に従事する者すべてが願ってやまぬことでありました」
本心から安堵してそう述べるヴィホフへ、カラツはこともなげに肩をすくめてみせる。
「この城市を力で落とすとなれば、帝国の京を攻めるのと同じ準備が必要だろう。われらが攻略した帝国の旧領にも、各県の主城のうちいくらかが、降らぬまま残っている。まだわれらには、高く堅固な城壁を巡らせた都市を兵糧攻め以外で落とす力はない。そちらから開門してくれたことは、望外のことであった」
「商隊の行き来を、三月も滞らせるわけにはまいりませぬゆえ」
「――なるほど、そういうことであったか。あなたは実に賢明な統治者だ、ヴィホフどの。リーシェンどのをわが帷幕へよこしてきたのも、あなたの指示であったか?」
「いえ、娘が自ら手を挙げました」
ヴィホフの答えに、カラツは一瞬虚を突かれた顔になったが、すぐ喜悦の表情を浮かべた。
「ますます気に入った」
「娘の処遇、殿下のご一存におまかせいたしますが……はたして、大王におかれましては、ご不興賜りませんでしょうか?」
やはりというか、ヴィホフからも問われて、カラツはため息をついた。
「兄の悪癖は、どこへ行ってもうわさになっているな。いやしくも大陸すべてに覇を唱えようというのだ、女人ひとりにかかずらって正道を失すれば、諸王の王として器を疑われよう。いかにわれらが精強であろうと、万里を隔てそれぞれに億の民がある洋の東西、力だけで平らげることはできぬ。ひとりの王により、ひとつの法で統治されることの利点を、各地の民が理解しなければ樹たぬ国だ。道理をもっとも早く感得したあなたがた父娘を、決してないがしろにはさせない」
東の地の涯てから西の地の涯てまでを統一する――この壮大な構想は、ズクライのものなのであろうか、それとも、カラツ独自の見解なのか。
ヴィホフとしては、大王ズクライの示した諸国統一計画のもと、カラツが忠実に働いているものと願いたかった。
もし、ズクライは栄華と権勢を求める野心しか持たず、カラツのみが征服の意義と利点を理解しているのだとしたら、大王と王弟は遠からず決裂する。
そして、ヴィホフの娘リーシェンが、兄弟相克のきっかけともなりかねない……。
にわかに表情を硬くしたヴィホフをよそに、カラツは城主の間から立ち去ろうとしていた。
「殿下、どちらへ?」
「メラムとの同盟が成立したことを、城外の兵らに伝えてくる」
「殿下おん自らでありますか? ささやかながら、宴の準備をいたしておりますが」
「ああ、部下たちとアリ・サーバスをもてなしてくれ。私も食事をしたら戻る、ヴィホフどのと盃を交わしたい」
「お食事を外でなされると?」
「兵らだけ露天で待たせてはおけぬ。私のぶんは、表の大鍋で作っているものでいい」
有無をいわせぬ態度で、カラツは表へと出て行った。
控えの間に待っていた部将たちへ、自分の代わりにメラム王から饗応を受けるよう命じ、食事がすんで酒宴になったら戻ると告げる。いつものことなのか、反駁する者はいない。
去り際に、カラツはリーシェンへだけ、人なつこい例の笑みを向けた。