第三話:胡族の王弟
大王ズクライの弟にして西方遠征軍総司令カラツは、十七のリーシェンより年長ではあったが、十歳は離れていないだろう。黒いくせっ毛と、やはり黒い目。いくらか陽灼けしているが、膚の色は騎馬民族の男子としては薄い。
なによりリーシェンがおどろいたのは、カラツが小柄なことだった。おそらく、立って並べばリーシェンのほうが背は高かろう。
帝国の北半分を焼き払い、百万を超える血を流した猛将だとは、思えない。
「うわさのとおり、いや、それ以上に美しいな」
カラツも、リーシェンを観察していたようだ。ドゥーロを退がらせた際よりすこし高い、よくとおる声だった。
貴人に対する礼をほどこし、リーシェンも口を開く。
「はじめて御意をえます、カラツさま。メラム王ヴィホフが娘、リーシェンにございます」
「さっそくだが、用件をうかがおうか」
「食料と水はおわけいたしますので、囲みを解いていただきたいのです」
単刀直入なカラツの物言いに、リーシェンも思わず本題をいきなり切り出してしまった。
カラツは愉快げに笑う。
ははは、と幕屋の外まで聞こえるだろう声をひとしきり響かせてから、胡人の王弟は小邦の姫へ視線を戻した。
「ヴィホフどのは城守としても有能であろう。われらはこのとおり野戦の仕度のみ、城壁を破る兵器も、工兵もない。籠城していれば、そちらの食料が尽きるよりも、このあたりから馬に食わせる草がなくなるほうが早かろうに。そうなれば、われらは移動するしかない。――なぜ急ぐ?」
「わたくしには、戦ごとはわかりかねますゆえ。ヴィホフより、殿下へご提案をするよう言づけられているのみでございます」
うそである。リーシェンはいくらか兵法に心得があった。カラツの言葉に裏がないことも、ここへたどり着くまで、それとなく陣営のあちこちを眺めてきたのでわかっている。
彼らは、メラムを攻め落とせると思ってやってきたわけではなかったのだ。
カラツは楽しげに話をつづける。
「ヴィホフどのの提案とは、なにかな」
「西か、南か、殿下がお望みの方面へ、土地に精しい者を案内役として手配できます」
「補給と道案内、その便宜と引き替えに、対等の同盟を結べ――と?」
「ご賢察いただき、痛み入ります」
頭を下げて視線を隠したリーシェンに対し、カラツは裾を払って豪奢な座を立った。
リーシェンのかたわらまで進み出てきたカラツは、存外に人なつこそうな顔で問うてくる。
「リーシェンどのは西と南、どちらに精しい?」
「……いえ、わたくしは、いずれも精しいというほどでは。母がマリガンタの出身なので、西には二度ほど行ったことがありはしますが」
「そうか、では西にしよう」
カラツがなにをいっているのかわからず、リーシェンはぱちくりと目をしばたたかせた。
「殿下?」
「兄ズクライは、メラムが進んで城門を開き、われらに降ったと知れば、かならずそなたの身を求める。帝国の皇帝が後宮へ迎え入れようと望むほどのそなたの容色、うわさに毫も詐りはなかった」
とまで述べて、手を伸ばしてリーシェンのあごを撫で、おとがいをつまんで顔を上げさせる。
「私は今日まで兄の命にのみ従い、戦果のすべてを捧げてきた。だが――そなたを、すくなくともタダでは渡したくない」
鷹のように鋭い眼だった。だがその深奥には、これまで他者に心を許したことのない若者が、はじめて自分以外の人間を求めるゆらめきがあった。
リーシェンは才気煥発とはいえまだ十七、カラツの存外に繊細な心理の機微まではわからなかった。
ユン婆さんなら察したかもしれないが、公主のななめ後ろで控える老女には、カラツのまなざしが注がれてはいない。
「わたくしに同道をお命じなさいますか」
「ここにおいていけば、私が征旅に就いているあいだに、兄がそなたを連れ去るだろう」
「わたくしが殿下のお伴をすることで、大王のご不興がわが父へ、あるいはメラムの市へ向かうことはございませんか?」
「メラムの城市、その民、ヴィホフどの、出入りする商人にいたるまで、だれにも手出しはさせぬ。そなたはわれらとメラムの友好の証しであり、征旅に不可欠な案内人だ――ということにする」
カラツの示した絵図に乗ることを、リーシェンは決意した。人質になる覚悟は最初からしていたことだ。ズクライか、その弟か、大したちがいではあるまい。
大王がどんな人物なのかはわからないが、王弟は、こうしてしばし言葉を交わしてみたぶんには、話のわかる人物のようでもあるし。
モチーフ明確な馬賊軍団ですが、地球の歴史とは改変点が多くなっています。