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第二話:メラムの珠玉


 その髪は蓬莱(クケタウ)黒絹(カラユフェク)のごとし。

 その眼は月下の青海(インゲス)のごとし。

 その膚は天山(テングリ)の峰雪のごとし。

 その身は仙境(ウィジュマフ)(シャフトル)のごとき芳香を放った。


 旅の蘭嘛僧ジョルチによる、メラム王ヴィホフの娘リーシェンに関する記述である。禁欲を旨とする蘭嘛宗の教えもあり、描写は比喩的だったが、それだけに読む人の想像力に働きかけるものがあったようだ。

 帝国の皇帝がリーシェンに興味を覚えたのも、こうした伝聞によるものだろう。


 その傾城が、メラム市を包囲する馬賊の陣営へ、盛装を整えて向かっていく。


 またがっても徒歩とさして視点の高さが変わらない、小馬に乗った胡人の騎兵たちは、呆然となってリーシェンを遠巻きに眺めるばかりであった。


 同じ人間だと、思えないのだ。


 作りものか、あるいは化生のたぐいなのではないかと。


 メラムを取り囲む胡族の陣地の一角、大きな旗がたなびいているところが本営だろうと、あたりをつけて進んでいたリーシェンの前に、部将らしき、ひとまわり大きな馬を駆った男が立ちふさがった。


 顔を上げて、武人の陽に()けた厳つい面相へまっすぐ目を向け、リーシェンは口を開く。


「わたくしはメラム王ヴィホフの娘、リーシェンともうします。貴軍の主将、カラツ閣下にお目どおりを願いたい」

「そちらのお国に、女人が軍使を務めるしきたりがあると聞いた記憶はないが」

「お話はすべてカラツ閣下に。父ヴィホフはわたくしに交渉の全権をゆだねております」

「たしかか」

「この状況でうそをつく意味も益も、われわれの側にはございません」

「しばし待たれよ」


 馬首を返し、王弟(テギン)の本陣であろう大きな幕屋へ向かう部将を見送って、リーシェンは吐息をついた。カラツに対しても、場合によってはその兄にして大王(ハガン)ズクライにも、臆することなく口先だけで立ち向かわなければならない。なかなか疲れそうだ。


「お(ひい)さま」

「だいじょうぶです、まだはじまったばかり。弱音を漏らすのは早い」


 かたわらからかかった気遣いの声に、リーシェンはわずかに表情をゆるめて応じた。


 胡軍の陣営へ出向き、交渉がうまくいったとしても、ことのしだいによっては彼らの本拠地まで連れ去られる――なにひとつとて保証のない王女の決死行に、侍従として同道を志願してくれたのは、肝の据わった老婆であった。


 怖いもの知らずのユン婆さん――墓守に嫁ぎ、亭主に先立たれても変わらず墓場に隣り合った家で寝起きをすること、もう五十年。魑魅魍魎だろうと墓荒らしだろうと歯牙にもかけぬ、老女傑である。


「この婆の老い先短い生命(いのち)あるかぎり、半馬人どもに狼藉を許しはしませぬよって」

「怪我をするようなことはしないでください。あなたにお願いしたいのは、わたくしの護衛ではなく、境外の地でも文明人としての体裁を保つため、身だしなみを維持していただくことですから」

「ひっひっ、万事このユンにおまかせあれ」


 ユン婆さんのすきっ歯のあいだから妖怪じみた笑いが流れ出したところで、さきほどの部将が戻ってきた。


 今度は馬を下り、片ひざついてかしこまる。


「リーシェンさま、総司令カラツが、ぜひお会いしたいとのことであります。それがしは鉄騎長ドゥーロともうします。こちらへどうぞ」

「ごていねいにありがとう、ドゥーロどの」


 まだ前線には出ない見習いであろう、紅顔の少年が走ってきて、鉄騎長の馬のくつわを()()いていった。徒歩(かち)のまま先導するドゥーロに、リーシェンとユン婆さんもつづく。


 旗を持った兵士たちが左右一列に並んで、人垣で通路を作った。

 大王(ハガン)ズクライの大旆(たいはい)、総司令カラツの軍旗、あとは兵を出している各部族、勢力のものであろう、色とりどりの旗指物が風に泳ぐ。どうやら、正式な使者として認めてもらえたらしい。


 カラツの本営は、ひときわ大きく、紅い布張りの幕屋であった。中はやはり薄暗かったが、思っていたほどではない。うまく陽光をとおす構造になっているようだ。


 鉄騎長ドゥーロが御簾の前で拝詭し、その奥へと告げる。


「殿下、メラム王の名代、リーシェン公主をお連れいたしました」

「ご苦労。退がれ」

「御意」


 リーシェンにも一礼し、ドゥーロは表へと出て行く。


 御簾が左右へ開いて、胡人の王ズクライの弟であり軍の総司令、カラツが姿を現した。



デビュー初期の司馬先生は『戈壁の匈奴』のほかにも『ペルシャの幻術師』『兜率天の巡礼』と、ファンタジー色が強い短編を書いています。『梟の城』以前の作品を自分が書いたとは思いたくない、とのちにインタビューで語っていますが、切って捨てるには惜しい面白い作品群です。時代の理解が追いつかなかっただけ。もし『ペルシャの幻術師』が正しい評価を受けていたならば、司馬先生は歴史小説家ではなくファンタジー小説家になっていて、日本のライト文芸の夜明けは数十年早まっていたかもしれないなあ、とか個人的には思ったりします。


R4・10/5追記

絵の上手い友人に教えてもらったのですが、『ペルシャの幻術師』はコミック版あるんですね。しかも第1話の公開日は去年年末ではありませんか!

私がこの話書いて公開してたころには、『ペルシャの幻術師』コミック版も作画作業中だったんでしょうねえ。

シンクロニティを感じました。

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