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第十四話:ふたつの決断と、最大の選択への誘い


 アラムクを包囲している副将キドゥバのもとから、王弟(テギン)カラツへと急を報せる伝令がやってきたのは、草原はまだ青々としているが、朝夕には冷え込みを感じはじめたころであった。


 もう何百羽目であったか、木乃奚(ムラーヒダ)の山城から放たれた伝書鳩を鷹に捕らえさせたところ、手紙が暗号文ではなかったというのである。


「王弟が直接お越しになるならば、教導(イマーム)クルシャールがお目にかかる」


 ――と、カラツへ宛てられた文面は、本拠地を包囲され、通信も封じられて手詰まりを感じた木乃奚が、方針を交渉へ切り替えようと模索していることをうかがわせた。


 カラツは公主リーシェンをマリガンタに残し、ヤヒツとドゥーロに手厚い警護を命じた。自らは選りすぐりの精兵百騎を連れて西のアラムク山へ向かい、千二百里の路程をわずか十日で走破する。


 西方遠征の記録を残している書記官の筆にいわく、

 城は高見を絶し、これを仰視するに、帽ために墜つ――あまりにも絶壁が険しく、城を見るために顔を上げると、頭から帽子が落ちてしまう――というほどの断崖であった。


 切り立った岩山の上に建つ城は、わずかに胸壁や物見台の一部が見えるのみ。


 キドゥバが敷いた包囲軍の本陣へカラツがたどり着いてまもなく、城を監視していた兵士が報告のために駆けってきた。


 どこから現れたのか、旋宗の導師風の服をまとったあやしげな男が、岩山のふもとに姿を見せたというのだ。

 包囲をはじめて三月ほど、これまで、城から伝書鳩が飛び立っては胡軍の放った鷹に狩られ、いずこからか飛んできては鷹に(おど)されて逃げ去る、それ以外に動く影はなかったというのに。


「クルシャールならば、ひとりで本陣まで参るように伝えよ」


 カラツの命を受けて兵が哨所へ駆け戻っていき、しばらくのち、ひげを蓄え長帽をかぶった男が、ゆったりとした足取りで本陣へ近寄ってくる。


 懐に短剣を隠し持っている可能性はあるが、長服を着て外套はまとっておらず、一見は丸腰であった。


 手槍を並べて無言で制止する兵らを前に、足をとどめて、口を開いた。


王弟(テギン)閣下にお目にかかりたく。約束はしてあるはずだが」

「ひかえよ!」


 その態度を不遜と見て、肩を押さえつけて跪かせんと槍の柄を伸ばそうとした兵へ、


「よい、かまうな」


 とカラツは下知し、さらにキドゥバをのぞいて全員を退がらせた。

 旋宗を奉じる者は、地上の人間に拝跪をしない、ということは知っているのだ。まして、教導(イマーム)は神の代理人を称している。


 こちらは帯剣したふたり、向こうは要求どおり丸腰でひとり、どちらの立場が上かは、充分に示せている。


 いつでも抜けるように、剣の柄を腰の前へ倒し、キドゥバが詰問した。


「きさま、自分がたしかに教導クルシャールであると、いかにして証明するか?」


 あやしげな男は不敵な笑みを口の端に浮かべ、


「お疑いになるかな、王弟閣下?」


 キドゥバのほうを見ることはなく、カラツへと問い返してくる。


 三十あまりにも、五十すぎにも見える、つかみどころのない(かお)だったが、その異様な両眼の淵は、胡散くさいが、たしかに玄奥な秘蹟に通じているものを感じさせた。


 カラツは相手の正体を断言はせず、先を進めるようにうながす。


「そちらから呼び出したのだ、耳に入れるだけの価値がある話を聞かせてもらおう」

「講和の申し入れをしたく」


 クルシャールの提案に、カラツは鼻で笑った。


「講和? 降伏の間違いだろう? 城を明け渡し、各地に潜む殉教使徒(アサッシン)をひとり残らず出頭させるなら、礼拝の自由は許そう」


 カラツは波剌斯(パールシ)語も巴刺伯(ハジーラ)語も自在に介する。言葉の不如意で誤解が生じるなどという事態は、ありえなかった。


 クルシャールの眼が、ぬらりと光を放ったかに見えた。


「わしは閣下の敵を消して差し上げることができる。花刺子模(クァラザン)(シャー)でも、報格都(バグガッド)教主(カリフ)でも、そしてもちろん……大王(ハガン)であろうとも」


 剣鐶を鳴らし、キドゥバが得物の柄に手をかけた。

 カラツは副将を手で制し、催眠性のある眼力を放射してくるクルシャールの双眸を真っ向からにらみ返す。


「花刺子模がこの地の支配権を巡って、旧王朝塞爾柱(セイテュルク)と争っていたときも、きさまたち木乃奚(ムラーヒダ)はどちらの陣営にも殉教使徒を売り込んでいたそうだな」

「地上は人の子が縄張り争いをするところではないということ。神の御許へ至るための修身の場であり、真理(キヤーマ)に達すれば地上にあって楽園が実現する」


 自らの口説に酔う木乃奚の教導(イマーム)に対し、カラツは冷めた目のみを向けた。

 もしこの場に兵を残していれば、クルシャールの奇態な眼力と話術で、惑わされていたことだろう。そぶりは見せたが、キドゥバも実際に剣を抜いて斬りかかるまでは、できたかどうか、心許ない。


 カラツは心に絡みついてこようとするクルシャールの視線をあえて受け、気迫で撥ねのけた。


「私は太陽が見えぬところで陰謀を弄ばない。争いを避けることができないなら、(シャー)でも、教主(カリフ)でも、大王(ハガン)が相手であろうと、堂々平野で兵戈を交えるだろう。戦士の法を知らぬ外道よ、立ち去るがいい」

「真理に背を向けなさるか、王弟(テギン)よ」

「私が信じていないのは神ではない、きさまだ」


 会見を打ち切り、カラツは自らクルシャールを岩山のふもとまで送り届けた。礼儀というわけではなく、兵に任せれば、話術なりあやしげな秘薬なりで、籠絡されかねないと危ぶんだからである。


「隠し戸の位置を知ろうとたくらんでいるわけではない。この手の山城なら、吊り籠があるだろう。それを降ろさせろ」


 隠されている秘密の出入り口には伏兵を忍ばせていたのかもしれない。クルシャールは口の端をゆがめてから、不敵に笑って肩をすくめた。


「閣下は武徳をお持ちで」

「降伏する気になったらまた鳩を飛ばせ。それ以外の提案を聞く気はない」


 確実に教導(イマーム)を城の中へ追い返してから、カラツは今後木乃奚(ムラーヒダ)が姿を見せたならば、警告なしで射殺するよう命じた。


 つづいて、(シャー)ムハラズ宛ての書状をしたため、早馬で花刺子模(クァラザン)の首府グルガンシュへと送り出す。

 直接会談するため、カラツ自身がすぐあとから向かうと添えた。


 ――その五日後に開かれたカラツとムハラズの直接交渉において、暫定停戦は正式な終戦協定に更新された。


 主な条項として――


 花刺子模王ムハラズと王弟(テギン)カラツは対等な同盟を結ぶ。


 ムハラズは大王(ハガン)ズクライに直接臣従するものではないが、カラツの上位者としてその権威を承認する。


 花刺子模の国教である旋宗を大王国は公認し、木乃奚(ムラーヒダ)と呼ばれる真理(キヤーマ)派は禁教とする。


 花刺子模は旧来の範囲をその法的版図とするが、オクシス川以東においては王弟カラツが行政権を持ち、税率の設定権を有する。


 補償金として、大王国マリガンタ政庁は、従来のオクシス川以東ぶんの税額を毎年王ムハラズへ支払う。ただし花刺子模に直接徴収権はない。


 ――細目省略。


 条約のほかに、ムハラズといくつかの取り引きをして、カラツはマリガンタへと戻った。グルガンシュからの帰路は騎馬だけではなかったので時間がかかり、アラムクヘ向け出かけてから一ヶ月あまりがたっていた。


 なによりもまずリーシェンの顔が見たいと、城門をくぐるなり長老(シャイフ)ナジャールの館へ直行したカラツだったが、公主は不在であった。


 太守(ムクター)邸においた大王(ハガン)国政庁で、事務仕事の手伝いをしているという。


 執務室に飛び込んできたカラツを見て、リーシェンはにっこりと微笑んだ。


「殿下、お戻りでいらしたのですね。さっそくお仕事ですか?」

「あ、いや……」


 そなたの顔が見たくて急いできたんだ、と口にしようとしたカラツだったが、その前にリーシェンは表情をあらためていた。


「ズクライ陛下から、殿下へご書状が届いております」


 ついにきたか――カラツは蝋と編紐で厳重に封印されている大王の宸翰を受け取り、道中で開かれた痕跡がないことを確認する。


 西方平定は順調。ただし、当初の見込みとは異なり、武力による制圧ではなく、交渉によって――その報告は、これまでもたびたび本国へ送り出されていた。


 対する大王(ハガン)の答えは……


 ズクライが、直接西方を視察する。と、書状にはあった。



テキストは書き終わりました。

ざっとチェックして順次リリースします。予定より1話オーバーして全16話、今日中に完結まで行くはずです。

今しばらくお付き合いいただけますと幸甚です。

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