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第十三話:静穏は束の間か、平和への道か

会話劇なし、状況推移の説明のみです。読み飛ばしてしまっても問題ありません。いちおう最後のほうにリーシェンとカラツは出てきます。



 木乃奚(ムラーヒダ)の本拠地である西のアラムクへ、副将キドゥバと全体の三割の兵を割いた胡軍だったが、減少分はマリガンタはじめとする各市と周辺民が補い、総勢は十五万ほどから変わらなかった。


 オクシス川を挟んでにらみ合う王弟(テギン)カラツと花刺子模(クァラザン)(シャー)ムハラズの陣のあいだを、太守(ムクター)ハザンと長老(シャイフ)ナジャールは使者として往復した。各城市、太守、部族長に叛意はなく、木乃奚を掃滅するというカラツに協力しているだけである――と。


 前後関係を故意に取り違えた詭弁であったが、木乃奚の殉教使徒(アサッシン)に長年悩まされてきたムハラズは、胡軍との休戦に一考の余地があると認めた。

 なに食わぬ顔で商人農民兵士、ときには官吏の中にまで入り込み、思いもかけぬ瞬間に牙を剥く暗殺者――その矢面に胡人が立ってくれるというなら、お手並みを拝見しようではないか。


 マリガンタ代官(ベイ)であったトゥキが、カラツとその背後にいる大王(ハガン)ズクライは、最初から西域全体の征服を目的としている、と私怨混じりながら事実を指摘したが、ひげをまだらに剃られた情けない顔では、正しい意見でも説得力に欠けるものであった。


 オクシス川を当面の境界線とすることで話はまとまり、ムハラズは首府グルガンシュへと帰還し、ひとまず血戦は回避された。


 その間に、カラツから命を受けたヤヒツは、各地の鳩楼を調べ、公主リーシェンが示唆していた、木乃奚の密命伝達網が伝書鳩であることを裏づけようとしていた。


 このあたりの土地の人々は、肥料となる鳩の糞を集めるため、中空の塔を築いて、内部に煉瓦を互い違いに組み、岩棚を再現した構造物を建てる。塔の外壁は頂上付近にしか開口部がなく、山猫や蛇といった鳩の天敵が入り込めないようになっている。

 楼塔さえ建てておけば、餌をやる必要もなく、寝床や営巣地にするため勝手に鳩が集まってくるという按配であった。


 伝書鳩に使われるのは訓練された鳩であるが、ときおり仕事を忘れ、同族に混ざって野生に帰ってしまう個体というのはいる。未配達に終わった手紙を探すなら、鳩楼が一番効率がよいのだ。


 指令を受けた殉教使徒(アサッシン)はもちろん証拠を残さない。手紙はすべて焼き捨ててしまうし、暗号表も脳裏に納めており書き出すことはない。

 だが、カラツに敗れ自刃した男は組印の一部を持っていた。おそらく、手紙を複数に分割し、正しく並べたときだけ真の用件があきらかになる仕かけがあるのだろう。文字とも紋様ともつかぬ、知らなければ紙の汚れと思って見すごすような、およそ印章として使うためではないだろう判であった。


 仕事を忘れた鳩の脚に結ばれたまま、あるいは糞に埋もれて塔内の底に落ちていた未配の手紙のほとんどは、急を要する商談や、花刺子模(クァラザン)政庁の官吏への命令書であった。


 だがその中に一通、故郷の父の危篤を伝える内容の手紙のかたすみに、回収された殉教使徒の組印と酷似した染みが残されていた。


 もちろん、単なる偶然かも知れない。裏を取るには、父の危篤を報らせる手紙の受取人が実在したかを調べる必要がある。

 だが、カラツは疑いが充分に濃くなれば、それ以上調べる必要はないと判断した。すでに予防措置は講じられている。


 アラムクへ向かうキドゥバの部隊に鷹匠を帯同させ、木乃奚(ムラーヒダ)の山城に近い峰を占拠して、周囲の鳩という鳩を狩らせているのだ。

 胡族の貴人は鷹狩りをたしなみとし、けっこうな数の鷹を遠征にも連れてきていたのである。カラツも、自身の名鷹二羽を預けて鳩を追わせていた。


 ……ひと月がたち、アラムクの包囲は持久戦となり、花刺子模(クァラザン)(シャー)ムハラズとは停戦が成立したため、王弟(テギン)カラツの本隊に所属している胡人たちはひさしぶりに軍務から解放された。


 しかし、彼らの暮らしぶりは変わり映えしなかった。


 戦時でも後方に家畜を連れているのは常のことであり、一日の大半を馬に乗って駆け回っている。周囲の草原は、胡族の故郷である帝国の北辺よりいくらか湿潤で、むしろ彼らにとってはすごしやすかった。

 マリガンタなどいくつかの城市(まち)では、門前に、煉瓦や石組みではない胡人好みの建物を造りあらたな街区を設けたが、大半は相変わらず野外で幕屋を張って寝起きしていた。


 カラツはマリガンタの太守(ムクター)邸に大王(ハガン)国の政庁を設立し、アリ・サーバスを筆頭に、ハザンら各地の太守を補佐として執務をはじめていた。


 もっとも、律法(シャリーア)に反するものを胡人が食べても処罰の対象とはならない、と定めた程度で、統治の方針そのものは旧来から変更しない。各地の太守、長老(シャイフ)に引きつづき日常の政務は任せる。


 重要な点は、オクシス川以東は、胡族の領土である帝国北部にいたるまで、メラムにさえ立ち寄れば交易にかかる関税が低率に抑えられる、ということである。


 花刺子模(クァラザン)軍と停戦は成立したものの、(シャー)ムハラズと講和条約は結んでいないし、大王ズクライへの服命を誓わせたわけでもない。


 商売上の旨みをちらつかせ、西部の大商人をオクシス川のこちら側へ招き寄せて、経済的にムハラズの向こうずねを蹴り飛ばそうというのである。


 武器を剣から法に替えても、カラツは抜け目なき戦略家であった。


 マリガンタ城内で占領域各地の報告を受け、裁可と追認を与え、必要に応じて指示を出すと、カラツはこれまでどおり草原の幕営へ戻った。兵らと馬で駆け比べ、騎射を競うのは胡族の日常であり、彼らは平時にあっても腕を鈍らせることがない。


 これまでとひとつ変わった点といえば、ときおりのんびり――胡人の基準としては――と、メラムの公主リーシェンの乗る馬と伴駆けする王弟の姿が見られるようになったことである。


 リーシェンは政治的人質ではなく、カラツの伴侶となる女性なのだということは、もはやだれの目にもあきらかであった。


 花刺子模(クァラザン)の人々からすれば、友邦メラムの公主であり、マリガンタの名士ナジャールの姪であるリーシェンがカラツの后となれば、今後も胡族による統治が穏健なまま継続されるだろうと期待でき、歓迎すべきことであった。


 一方の胡人たちにとっても、リーシェンの存在は感慨深いものがあった。

 色好みの大王(ハガン)ズクライと正反対に、王弟(テギン)カラツは女を寄せつけることがなかった。近づいてくる、あるいは修好や融和を求めて各地の有力者が送り込んできた女性たちを、すべてズクライのもとへ送っていたのだ。

 先日に(シャー)ムハラズが使者とともに遣わしてきた三人の美姫も、大王への使節団というあつかいでそのまま東へ向かわせていた。


 二十代もそろそろ終盤にさしかかる王弟が、やっと身を固めてくれるかと、すくなからぬ胡人たちは安堵の吐息をついたものである。



伝書鳩が軍用にもっとも多用されたのは第二次大戦だったそうです。伝書鳩対策に鷹が使われたという記録も近年のものしか見つけられませんでしたが、発想としては昔からやっていてもおかしくないと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  最新話、拝読させていただきました。  鳩楼などの現地の風俗の描写まで細かく書かれており、しっかりとした知識の上に物語が創り込まれていることに感嘆いたします。  名前などの固有名詞で物語の…
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