第十一話:公主、幕議に出席する
マリガンタの開城と、王弟カラツの寛大な処置は、周囲のオアシス都市へすぐにうわさとして広まった。
野蛮な馬賊による略奪や虐殺を危惧していた各市は態度を軟化させ、草原を通常の速度で移動していた胡軍の副将キドゥバのもとへ、平和的開城を求める使者が複数の市からやってきた。
当然ながら、カラツの意を受けて太守ハザンと長老ナジャールが、マリガンタに立ち寄った商隊に、各地へ話を伝えるよう含ませたのである。
シャーシュガンタ、ボラート、イディス、アルマータなど、オクシス川以東の主要な大交易路ぞいの商都は大王ズクライの権威を認め、胡軍への補給に同意した。
これによって、花刺子模の東部はほぼ全域が、血戦なきまま胡族の勢力圏となった。地図を赤く染めながら進行した大帝国の征討とは、まったく様相を異とする展開である。
王弟カラツの指示により、胡軍は各都市の城内には立ち入らないよう徹底された。占領地の人心を安定させるためであったが、それ以上に、木乃奚の殉教使徒の暗躍を警戒してのことだ。
兵が市内に駐留すれば、潜伏している工作員が無関係の市民を殺傷して胡軍の仕業だと見せかけ、離間策をしかけてくるだろうことを見越した処置である。
市中で休まずとも、冷涼な草原であれば、元来遊牧民である胡人は野営を苦にしない。しかし、花刺子模の首府であるグルガンシュ方面へ進軍するなら、いつまでも露天に幕屋を張って寝泊まりするというわけにもいかなかった。
花刺子模の支配層である巴刺伯人の故地である、大沙漠へ近寄るにつれ、陽光は苛烈になり、草木は減っていく。城市へ立ち入ることのできる条件を調えなければならない。
周辺地域の平定がおおむねすんだと見た総司令カラツは、キドゥバ、ドゥーロら、主だった部将を召集し、マリガンタ近郊で幕議を開いた。
「諸君の働きにより、オクシス川以東は大王の御領となったが、今後は、王ムハラズのみならず、木乃奚もわれらの敵となろう。やつらの本拠地はアラムクにある。険しい山岳地だ」
カラツが花刺子模遠征の現況と、これからの見通しについて概略したのにつづき、
「花刺子模軍も、これまでいくどとなく木乃奚の討伐を試みてきました。端的にいって、連中のほうが城攻めならばわれわれより巧みですが、ことごとく頓挫しております」
と、キドゥバがアラムクは難攻不落であることを述べ、諸将は拱手してうなった。
胡族の騎馬軍団は、平地での会戦ならこの世で一番強いが、水と、暑さと、堅固な要塞は苦手だ。
得意と不得手をしっかりわきまえているからこそ、東の大帝国を半壊させることができたのである。己の力を過信して海上や暑熱の密林へ進もうとすれば、手痛い教訓を学ぶことになろう。
「各地に潜伏している殉教使徒は、さほど大勢ではないでしょう。アラムク周辺を封鎖して、連絡網を断てば、本拠地を陥落させることはできなくとも、やつらの動きを鈍らせることができると思われます」
「それくらいしかあるまいな」
消極的な方策しか思い浮かばず、渋い顔を並べる幕僚たちを前に、カラツはかたわらを見やった。公主リーシェンを同席させているのだ。
「リーシェンどの、なにか気のつくことはないか?」
いきなり話を振られたリーシェンだったが、幕議卓の上に広げられている花刺子模の地図をしばらく眺めて、口を開いた。
「えー……木乃奚の人たちが、山奥の本拠地と各市の潜入工作員の連絡を、早馬でしているわけではないと思うのです」
「おそらくそうだな。潜伏中の殉教使徒が命令なしで動きはしないはずだが、先日マリガンタでそなたの身を狙い、私が顔を見せると釣られて出てきた。われわれが高原から下りるなりマリガンタへ直進するとあらかじめわかっていたなら、馬で命令書だけを運びはしないだろう。人員を増やしていたはずだ。あれほどの腕利きが五人十人といれば、相当やっかいだった。……となると、なにを使って連絡しているのか」
「伝書鳩ではないでしょうか?」
定期的に交易路を行き交う商隊を運用している商会は、相場が急変して予定外の商品を仕入れさせたほうが儲けになる機会が到来したときに備えて、拠点ごとに鳩小屋をおいている。
そのことを知っているリーシェンの発言に、部将たちの幾人からは同意の声があがった。
「帝国も鳩は使っておりましたな」
「敵襲を伝える役には立ちますが、あまり細かいことを書くと手紙が奪われた際に漏洩のおそれがありますまいか」
「暗号くらい使うだろう」
「伝書鳩は便利ですが、そこまで当てになるものでもありません。しょっちゅう寄り道はするし、手紙を落とすこともある。文面があからさまにおかしな手紙は、無関係の人間に拾われても怪しまれます。花刺子模の官吏も木乃奚のことは警戒している、不用意な真似はしないでしょう」
「では、一見だと普通の文が書かれている符丁か」
「あまりに当たりさわりのない手紙を、わざわざ伝書鳩で飛ばすのも不自然にならんか?」
議論が本質から離れた瑣事におよんできたので、カラツが席を立って決定事項のみを端的に告げた。
「キドゥバよ、歩兵三万、工兵一万、騎兵五千を率いてアラムクヘゆけ。山城を攻める必要はない、木乃奚どもを外に出すな」
「御意」
「ヤヒツ、各城市の太守に、鳩楼を調べると通告しておけ。伝書鳩を一羽きりで飛ばすことはあまりない、とくに重要な指令ならばな。遅れて飛んできた鳩がいれば、木乃奚の命令書が手に入るかもしれん」
「御意に」
その他各将にも最低限の留守部隊をのぞいて出立の準備をさせるよう命じ、カラツは幕議を散会させた。
動きはじめた野営陣内が活気に満ちる中、王弟は当然のような顔をして、リーシェンについてくる。