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第一話:戦雲迫る

短期集中連載です。15話前後予定。


 烈日に()かれる沙漠を、ひたすらに続く草原を、万年雪が冠なす山脈(やまなみ)を縫って、洋の東西を結ぶ大交易路。その中間点に近い、大山脈から西の内海へとそそぐ、黒河(カラダリヤ)が峻嶺を脱し流れを緩めるあたりに、その城市(まち)はあった。


 古来より難所を越えた商隊(キャラヴァン)がささやかな休息の宿としてきた、旅人たちの安寧の地は、春の盛りを迎えたいま、五万の鉄騎に取り囲まれている。


「――籠城したところで救援は望めぬ。降伏するしかあるまい」


 一市のみの城郭国家メラムの王、ヴィホフは、この非常事態へどう対処すべきか話し合うため集まった有力者たちを前にそういった。

 商人としては海千山千、知らぬことも(おそ)れることもない長老たちだが、法や手練手管の通じぬ馬賊の群れを遠望し、焦眉を寄せていた。


「しかしやつらは人面獣心、おとなしく城門を開いて、市民の安全を保証できましょうや?」

「東の帝国(カタイ)は、北半分をさんざんに焼かれ、皇帝も都を捨て江南へ逃れたと聞きます」


 交易商が出入りするメラムは、品物のみならず各地の情報が集まってくる市でもあった。


 城壁を取り囲んでいる鉄騎の群れは、東の大帝国、その北の辺土でほそぼそと暮らしていた遊牧民が駆っている。

 飽くことなき抗争を繰り返していた諸部族をまとめ上げ、大王(ハガン)を称するようになったズクライは、帝国へと攻め込み、騎馬軍団の恐ろしさをまざまざと見せつけた。


 帝国は防衛線を南へ千里下げ、乾いた平原では無敵だが、水辺と暑さを苦手とする胡人の馬賊たちは侵掠の手を一度止めた。


 占領地に兵の多くを残しつつも、一部の騎馬軍団は西へと向かい、大草原と沙漠を越えてこの地へとやってきたのだ。

 支配域を拡げ、帝国の残り半分を征するために、水や暑さを克服する術を獲得する意図があろう。たとえば、騎兵ごと大河を渡るための大型船の製造方法など。


大王(ハガン)ズクライは通商を推奨していると聞く。この(まち)が焼け落ちれば交易に多大な支障が生じると、理解しているはずだ。税を納め軍が必要とする物資も供与するが、兵卒の入城は遠慮してくれまいかと、交渉する余地があろう」


 ヴィホフの見解に、長老のひとりがうなずいた。


「なるほど。交渉を、いずれの者にゆだねますかな?」

「胡軍の指揮官はズクライの弟、カラツのようであります。兄より戦上手で財宝に興味を示さず、買収が通じぬ厄介な交渉相手だそうで」


 東方交易商とのつき合いが多い豪商が、そういった。ヴィホフはひとつうなずきつつも、落ち着いている。


王弟(テギン)カラツは約定を守る男と聞いている。この市の価値はわかっているだろう。だれぞ、胡人と取引をした経験があれば、交渉をまかせたい。手が挙がらぬなら、私が出向くが」


 村町に火をかけることいとわぬ蛮族の軍陣へ、自ら赴くという王の大胆な言に、メラムの有力者たちは静かなどよめきを発した。

 商隊(キャラヴァン)に休息を提供し、交易の仲介をして利益を得ている彼らは、文明の受益者であって、心情としては帝国寄りであった。


 物品を購うのに対価を持たず、暴力で奪い取るような輩と、ひざ詰めで話すなどおぞましい……。


 静まりきりはしないが明確な言葉の紡がれることのない、そんな中――


「わたくしがまいりましょう」


 鈴を鳴らすような声は、座の外側からかかった。


「……殿下」

「姫さま」

「公主」


 黒絹のような髪と青海の水面(みなも)のような眼をした少女は、老人たちのあいだをとおって、ヴィホフの前へと進む。


「リーシェン」

「父上が出向かれることはありません。わたくしが、彼らを草原の彼方へ帰らせましょう」


 十七になったばかりの、ヴィホフの娘リーシェンの美しさは、メラムの住民は全員が知っており、交易商たちの口を伝って、東西へも徐々にうわさとして広まりつつあった。


 東の帝国の皇帝すら、使者をよこして彼女の容色をたしかめようとしたほどである。胡人の騎馬軍団が帝国を半壊させなかったら、いまごろ、後宮へ召し出す勅状が届いていたかもしれない。


 まさか愛娘が手を挙げるとは思わなかったが、ヴィホフはわが子の知性と機微がひとかどのものであると、ひいき目ではなく確信していた。


「カラツの目的はこの(まち)ひとつではない。ここより西へ進み花刺子模(クァラザン)波剌斯(パールシ)を、あるいは南の達羅蓖荼(ダラヴィタ)羅麝沙(ラージャサ)を手中に収めたいのだ」

「父上は、彼らが西や南の諸国を馬蹄にかけることを是となさいますか」

「よきこととは思わぬ。だが、ここで彼らを止める力がわれらにはない。大王(ハガン)ズクライに貪婪(どんらん)のみでなく、(こころざ)しがあるならば、(いたず)らに殺戮のみを求めはしないはずだ」


 父娘(おやこ)の視線が交わされ、リーシェンは、ヴィホフが真にいわんとするところを諒解した。


「彼らが洋の東西をともに征し、交易路をこれまで以上に発展させるならば、この国の繁栄にも資すると、父上はそのようにお考えでいらっしゃるのですね」

「大王の(はら)づもりはわからん。見極めねばならぬ」

「わたくしにその役目、おまかせいただけませんか?」


 リーシェンの言に、長老たちが不安げなしわぶきを漏らした。


 大王ズクライは美姫に目がない、それはすでに広く知られたことであった。胡軍が帝国へと攻め入った際には、莫大な金銀財宝とともに、多くの佳人たちが連れ去られている。

 皇帝すら興味を抱いた、メラムの珠玉たる公主リーシェン、ズクライが欲さぬはずはない。

 確実に大王と対面できるといえばそうであるが……。


 しばしの沈黙ののち、ヴィホフは口を開いた。


「まずは王弟(テギン)カラツから話を聞き出すことだ。その上で、おまえの判断にゆだねる」

「承知いたしました父上。かならずや、メラムの国益にかなうよういたします」


 かくして、小なりとはいえ一国の命運は、ひとりの少女の魅力と口舌に託された。



公主リーシェンの名前は、司馬遼太郎の初期短編の一本である『戈壁の匈奴』の登場人物にちなみます。

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