【剛剣姫】ベルライン
一応恋愛もののはず……
ベルライン・フォルトバルン
人は彼女を【剛剣姫】と呼ぶ。
幼い頃から卓越した剣の才を見せ、十六になる頃にはすでにその名を知らぬ者はなかった。騎士学校でも彼女に肩を並べられる者はおらず、若くして【剣聖】の称号を得る。
彼女自身は騎士としての地位を望み、まわりもそれを当然のように受け止めて彼女を王立騎士団に推挙した。
この国では女が騎士団に入ることは少なくはない。しかしそれは、爵位の低い家に生まれた場合や、出世を夢見る平民の場合であって、彼女のような伯爵家の令嬢が騎士団に入ることは考えられないことでもあった。
ここは王宮主催の舞踏会
ベルラインは自分が場違いであることを十分に承知していた。
舞踏会だというのに、伯爵令嬢であるはずの自分はドレスを纏わず騎士の恰好をしているのだ。
―やはり来るのではなかった……
そう思わずにはいられないほど、まわりの令嬢たちは華やかだった。
薄い肩に華奢な身体。ひとりで歩けるのが不思議なくらいの細い足。
ベルラインには無いものばかりだ。あると言えるのは鍛え上げた腕と広くなった背中。そして、幼い頃から一日も欠かさず振り続けた剣によって出来上がった豆だらけの無骨な手。
―こんな女に踊りを申し込む男などいるはずもない。
もっとも、それをベルラインは悔やむことはない。今の自分を選んだのは自分自身なのだ。 幼い頃から男に媚びるのが嫌だった。貴族の令嬢は男によって人生が決まってしまう。そんな馬鹿げたことで自分の人生を決められたくはなかった。
自分の努力で、自分の才能で、そして自分だけの力で人生を切り開いていく。
そう考えた時、ベルラインは自然に剣をとった。この世界では、剣こそがそれを可能にする数少ない方法だったからだ。
騎士学校を出て、王立騎士団に入り、手柄もそれなりに立ててきた。
なのに、出世の階段を上っていくのは自分よりもはるかに技量の劣る男たちだった。
どれだけベルラインが手柄を立てようとも、けして彼女の地位が上がることはなかった。
騎士団は女に門戸を開いていても、女に出世の階段を上らせることはなかった。
騎士たちの伴侶候補
それが騎士団に入った女たちに求められていた役割だった。
なんのことはない。つまるところ騎士団も舞踏会もたいして変わりはなかったのだ。
もちろん出世を望まないのであれば、このまま騎士団に居座り続けることも可能だろう。
しかし、同期の女たちはすでに騎士団を退団している。みな騎士団の男たちに見初められ、男を支えるために家庭に入ってしまった。
もうベルラインより年上の女騎士はひとりもいない。最近では自分を見るまわりの視線が違ってきているのも感じている。
ベルラインとてたったひとりで生きて行きたいとは思っていない。
ただ、男に自分の人生を委ねるのが我慢ならないだけだ。
自分の努力や技量を正当に認めてくれ、お互いがお互いを支え合い高め合う。そんな関係を構築してくれるような男がいれば、ベルラインは喜んでその男の手をとるだろう。金や地位を求めているわけではない。お飾りの妻としてではなく、ひとりの人間として対等に扱って欲しいと願っているだけなのだ。
―それほど難しい願いなのか……
信頼足る男と一緒であればどんな生活だって構わない。
裕福でなくとも構わないし、自分が支える覚悟だってある。
貧しい平民であれば妻が働くことなど当たり前なのだ。こんなことなら平民に生まれたら良かったと思ったことは一度や二度ではない。
「帰ろう……」
こんなところにいても何の意味もない。自分を対等に認めてくれる男など舞踏会で見つかるはずもないのだ。ここにいるのは女を装飾物としてしか見ない男ばかり。そう思ったベルラインは舞踏会場の入口に向かって歩き始めた。
心なしか自分を見るまわりの視線に嘲笑が混じっている気がするのは気のせいか。
「これはこれは、こんなところで【剛剣姫】に会えるとは思わなかったな。時間の無駄だと思ってた舞踏会だが、【剛剣姫】と踊れるなら来た甲斐があったってもんだ」
帰ろうとしたベルラインの前にひとりの男が歩み出てきた。
ベルラインよりひと回りは大きい体躯と身にまとう闘気が、男が只者ではないことを物語っていた。
「俺は育ちが良くなくてな。踊りの作法もろくに知らないんだが良かったら踊ってもらえるかな?」
男はそう言って強引にベルラインの手を取った。
踊りの申し込みにしてはかなり無作法だが、ベルライン自身も踊りに誘われたこと自体が初めてだったのでそのまま黙って男に引かれていった。
「こんな恰好の女でいいのか?」
「そんな恰好だからいいんだろうが。ドレスを着た女なんざ興味もねえしな」
そう言って男はベルラインの手を握りしめた。
豆だらけの無骨な手を男はなんと思ったのだろうか。そう考えてベルラインは顔を紅く染めた。
だが男はそんなことを気にする素振りもなく、片手をベルラインの腰にあて、優雅にベルラインをリードした。
踊りの作法など知らぬ。そう言った男ではあったが、ベルラインを優しく包み込むようにリードする様は十分に淑女を踊りに誘う資格があるように思われた。
「名前を聞いても」
「バロウだ。バロウ・アルスハイト」
その名を聞いてベルラインは驚いた。
アルスハイトの名を持つ者はこの国ではひとりしかいない。
「アルスハイト辺境伯?」
「ああそうだ。堅苦しいのは嫌いなんでバロウでいい」
アルスハイト辺境伯。しかし、彼にはもうひとつの名があった。
【不敗の殺戮者】
素性は今もってよく分かってはいない。
しかし、その戦功は輝かしいものだった。数々の大戦で手柄を立てたばかりか、そのほとんどが圧倒的不利を覆す奇跡的な勝利ばかりだったのだ。
天才的な軍略家。しかも、北に住んでいた邪竜すら滅したとも噂される剣技の持ち主。
まさに、この国が誇る英雄と言ってよかった。
「なにも私など誘わなくても、貴方の相手を望んでる令嬢はたくさんいるだろうに」
「匂いのきつい女は好きじゃねえ。それに、あんた以外に興味もねえ」
そう言ってバロウはベルラインの瞳をまっすぐに見つめた。
「まさか【剛剣姫】がこれほどの美女だったとは」
「なにを馬鹿なことを。美しい花を抱えたいなら私よりも美しい女性がいくらでもいるぞ」
バロウは握っている手に力を加え、怒ったように言った。
「なぜ自分を蔑む必要がある? 俺が今、相手にしているのはあんただ。あんたを口説いてるつもりなんだが迷惑だったか?」
バロウの言葉にベルラインは思わず下を向いた。確かにそのとおりだ。男からの褒め言葉を捻くれた物言いで誤魔化しているのはベルライン自身なのだ。いくら男に褒めてもらった経験が無いからといって、けして許されるものではない。
「悪かった。男に褒められ慣れてないんだ。嬉しくないわけじゃない」
「そうか。なら気にしなくていい。騎士団の中で女がやっていこうと思ったら、相当の苦労があるのは聞かなくても分かる。まあ、俺から見れば王立騎士団の連中は馬鹿ばかりだがな」
「仮にも王立騎士団だぞ?」
「だから何だ? 辺境伯の俺には関係ない話だ。文句があるなら爵位など叩き返してやる。何度でも言ってやる。ベルラインという才能を腐らせている王立騎士団は馬鹿でクソだ。おまえの才能を見抜けない騎士団になんの価値がある? ベルラインがただの剛剣の持ち主だと思ってる連中は馬鹿なんだよ。まあ王都での用事も済んだし、俺は帰るがな」
「用事?」
「ああ、【剛剣姫】を攫って帰るという大事な用事だ」
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
荒涼とした場所にバロウとベルラインはやって来た。
「私をこんな所に連れてきてどうするつもりだ?」
「お前にこれを渡そうと思ってな」
バロウはそう言うと、手に持った剣をベルラインに投げつけた。
ベルラインはそれを受け取ると、剣から沸き立つ夥しい闘気を肌で感じた。握った手が燃えるように熱い。鞘の中の剣がベルラインに自由を求めていた。はやく、解き放ってくれと訴えているようだ。
「これは……?」
「聖剣ラスカロンだ。聞いたことくらいはあるだろう?」
もちろんベルラインもその剣の名は知っている。この国どころか、大陸中を探しても聖剣ラスカロンのことを知らぬ騎士などいないだろう。古の勇者。伝説の存在である勇者が邪竜を討った剣がまさにこのラスカロンなのだ。
「まさか……」
とても信じられないと言った表情でベルラインが鞘から剣を抜いた。
ブォォォンという低い音と共に、赤い闘気が鞘の中から放たれる。赤い焔は握った手を伝い、徐々にベルラインの全身を包みこんでいった。
「どうやらラスカロンはお前を主と認めたらしいな。さすがは剛剣姫だ。俺よりも上手く使いこなせるんじゃねえか」
「邪竜を討ち滅ぼしたと聞くが?」
「ああ、そのラスカロンでな。そいつは使えるぜ。ドラゴンの鱗すら切り裂くんだから」
「どうして私にこれを……」
「いやなに、聖剣を持てば少しくらいは俺を楽しませてくれるかと思ってな。じゃあ始めるか」
そう言った瞬間、バロウはいきなり踏み込んだ。腰の剣に手をかけ、瞬時のうちにベルラインの間合いに入ってくる。
すでに剣を手に持っているベルラインにはバロウの剣を受ける余裕は十分にある。はずだった。
ギャシャアアアアンンンン!!
バロウの腰にあった剣がベルラインの目の前にある。ぎりぎりのところで聖剣がバロウの剣をくい止めていた。もし聖剣がなければ、ベルラインの顔は今頃ふたつに分かれていたに違いない。
「ラスカロンがあって良かったな」
バロウの言葉にベルラインは頷くしかない。バロウの剣に反応できたのは聖剣ラスカロンだからだろう。
「否定はできないな」
「だが、聖剣がお前を主と認めたからこそ反応したとも言える。聖剣だからじゃない。お前が聖剣を持ったからだ」
自分の力ではなく聖剣の力。自分でもそう思っていたベルラインにとってバロウの言葉は驚きだった。
「おまえは何が言いたい。いったい私に何をさせたいのだ? おまえの部下になれとでも言うのか?」
そうだと言いながらバロウは身を翻してベルラインの腹のあたりを薙ぐ。ベルラインは咄嗟に間合いを詰め、その剣をはらいながらバロウの肩に聖剣を振り下ろす。
「俺の右腕だ。悪い話じゃないだろう」と聖剣を受けながらバロウが言う。
「そうか。私の剣の腕が欲しいのか。なら、力づくで従わせてみろ!」
聖剣を振り上げ、渾身の力で振り下ろす。何の策略もない単純な剛剣。
しかし、それこそが、ベルラインの真骨頂なのだ。
女だからと言われぬために、死ぬような思いをして身につけた男以上の剛剣。
その剛剣こそがベルラインであり、ベルラインそのものだった。
ギャシャアアアンンン!!!
ベルラインの剛剣がバロウの鼻先で止まる。この剛剣を受けきれた騎士はベルラインの記憶にはない。ましてや、手に持っているのは聖剣ラスカロンだ。
「これを……止める者がいるのか」
「止めただけだ。もう、この剣は使い物にはならねえ」
バロウの持つ剣にヒビが入っている。おそらく、もう一度ベルラインの剛剣を受け止めることはできないだろう。バロウの持つ剣は聖剣や魔剣などではなく、ごく普通の剣なのだから。
「お前は大軍を率いることのできる将軍の器だ」
バロウはベルラインを見て言った。
「なにを馬鹿な……私は女だぞ」
「信じられねえのか? 女には将軍などできないと。もしそうだとしたら、女を馬鹿にしているのは外ならぬお前自身だ。俺は剛剣姫と呼ばれた豪傑を自分の部下にしたいと思っている。しかし、将軍の地位にビビるような腑抜けなどに用はない。さっさと帰って騎士団で満足してろ」
ヒビの入った剣を鞘に納めると、バロウは踵を返しながら「聖剣はお前にやる。気が変わったら訪ねてこい」と言った。
「待て!!」
足を止めたバロウが振り返る。
「一度でいい。おまえの本気の打ち込みを受けてみたい」
バロウは笑みを浮かべ、ベルラインの頼みに答えるように足を踏み出した。
「ヒビの入ったなまくらでいいならな」
鞘から抜いた剣を上段に構えるバロウ。何の変哲もない剣が大きく見える。聖剣の焔を覆ったベルラインとは違う。バロウ自身の黒い焔が剣を覆い尽くしている。
―バロウが持てば、どんな剣でも聖剣か……
バロウの口から一塊の気が漏れ出る。それと同時にバロウの体から夥しい闘気が湧き上がり、そして、次の瞬間、バロウの両腕だけがベルラインの目の前に振り下ろされた。
ベルラインの前に、バロウの剣はあらわれなかった。
「持たなかったな」
バロウの振り下ろしに耐え切れなかった剣は根本から折れていた。
もし、剣が折れなければ、自分の身体はふたつに分かれていたに違いない。ベルラインにそう思わせるほど圧倒的な剣だった。思い上がっていた自分の心を激しく揺さぶる剣だった。
男に媚びることを嫌い、男に伍するためだけに鍛錬してきた。その結果、ベルラインを剣で打ちのめすことができる男などいなくなった。
だが、目の前の男は違う。自分よりも遥かな高みにいる。
自分は再び追いかけることができるのだ。
そんな存在に出会えたことがことのほか嬉しかった。
「おまえの元で将軍を目指すのも悪くないか……」
「ああ、おまえを扱えるのは俺しかいねえ」
「これでますます女から遠ざかる」
「女から遠ざかる? どういう意味だ?」
「剣を振ることしか能が無く、手の平は豆だらけの女など相手にする男などいまいよ。ましてや将軍を目指そうものなら、生涯独身は決まったようなものだ」
自分の手の平の豆を見ながらベルラインは自嘲気味に呟いた。
男に媚びない人生を送りたいと願ったのはベルライン自身なのだ。
そして、それが今、実現しようとしている。
自分の力を正当に認めてもらえる主を見つけることができたのだ。
これ以上、何を望むというのか。
「口説いていると言ったはずだが?」
バロウはベルラインの手を取り「この手がいいんじゃねえか」と言った。
「俺の母親はたったひとりで俺を育ててくれた。朝から晩まで畑を耕してな。母親の手も豆だらけであかぎれだらけだった。だが、そんな母親の手を女らしくないとは一度も思ったことがねえ。おまえのこの手もどこに出しても恥ずかしくない。おまえにはこの手が必要なんだ。だから隠すんじゃねえ。言っておくが、俺はこの手に惚れたんだ」
自分の手を握りしめる男の口から出た「惚れた」いう言葉に、ベルラインは信じられないといった顔でバロウを見つめた。
「俺じゃあ不服か? もっと育ちの良いおぼっちゃまが好みか?」
「そ、そんなことはない……」
バロウはベルラインの腰に手をまわすと、そのままベルラインの身体を引き寄せた。
ベルラインとバロウの顔が触れそうになる。
男とこんな近くで顔を合わせたことのないベルラインは、剣を交える時より心臓が高鳴っていた。
「あっ」
「こういう時は黙ってるもんだ」
「ち、ちがう」
「何が違う? 嫌なのか?」
「嫌じゃない。嫌じゃないんだ。ただ……女らしくないと思うだろうが、唇が……ひび割れてる」
バロウはそんなことかといった表情でこう言った。
「そんなものはすぐに治る。こうすればな」
こうしてベルラインは生まれて初めて男と唇を重ねた。
それが、バロウと共に大陸の歴史を変えていく稀代の英雄【剛剣姫】の物語のほんの始まりだったことは、この時のベルラインには知る由もなかった。
最後までお読みいただきありがとうございました。