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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死にたがりの居場所

 人類社会支援会。

 ただ、一般人はこちらの名前で呼んだ方が通じるだろう。自殺斡旋所、と。


 本来の目的はもちろん自殺者を集めることじゃない。死を伴う人体実験の被験者を募る施設だ。

 もちろんその設立は揉めに揉めた。僕はここの設立当初から被験者として参加しているけど、まぁその辺の話はどうでもいい。

 僕を含めて生きる意味のない人の方が圧倒的に多いことは分かっているんだけど、それを受け入れられない人の方が多いもしくは声が大きいことは分かっている。ただ、その人たちは僕に害にしかならないけど、ここはちゃんと僕のことを有効活用してくれる。


「相馬誠司君。君はちゃんと少数派の中でもさらに少数派だって自覚あるからこっちとしてはずいぶん楽だよ。ここにはいつ殺してくれるのかって質問する人が大半だからね」


 朝のカウンセリングの時間。社会学者だか心理学者だか忘れたけどその中年男性、前田さんの愚痴を聞く。


「いや、前田さんこの狂った組織の設立に関わっているんだから愚痴言う権利ないですよね」


 前田さんの方が年上だけど、この人の方が頭がいいことは知っているけど、尊敬する気はそこまでない。


「残念だけど君のことはどう扱ってもいいことにこの前決めてきた。権利ならある。じゃなくて作った」


 ホント、尊敬する気にならない。被験者の僕に何をしてもいいとか本気で思ってる。

 確かに僕自身だってそういう思考している。ただ、一般人は他人を意識的にサンドバッグにすることに忌避感を覚えるもののはずだ。本人が了承しているからって、実行できる人は一握りだ。


「まぁいいや。で、今日は愚痴聞けばいいんですか? この前の雷に撃たれるってのより楽ですね」


 僕が欠陥人間だってことはもう身に染みている。

 今更事実を突きつけられたところでどうってことはない。

 メンタルが瀕死になってからの回復方法は生きる上で必須技能だ。

 どうでもいいけど雷に撃たれたような衝撃と雷に撃たれる衝撃なら完治する分後者の方が楽だった。


「いや。新しいターゲットを告げに来たんだ。これ、次の被験者。足りない情報はこれまで通り自分で集めるなり何かしらで補ってね」


「また同じ実験? そろそろデータ集まってません? もう本職にやらせればいい」


 僕はここ半年程、この人の下でとある実験を行っている。

 ある程度いい結果を出せてもいる。サンプルなんて僕の他にもあるだろうし、何より失敗は気にしなくていいんだからいくらでも方法を確立できそうなものだと思うんだけどな。


「本職を雇ってまで解決したい問題じゃない。あ、これ一応秘密ね。対外的には全力を尽くしていることになっているから。最初に言ったように暇つぶし程度にやってくれればいいよ」


 データを収集していてもまとめていない可能性が出てきた。まぁやること自体は暇つぶしになるけど、確かにまとめるのって面倒くさいから僕だってしたくない。

 ある程度やって結果が出なかったら失敗という報告をすれば僕の仕事は終わりだ。




……。

………。




「佐藤栞。一九歳。身長一五五センチ。体重五一キロ。あれ、スリーサイズないじゃん」


「そういうの普通隠すものだもの。むしろ体重載っているならその資料燃やしてくれない?」


 今回の対象者は平均より少し小さいくらいの女性。

 へぇ。目を合わせて喋る人ここじゃ珍しいな。むしろ反撃できるほど強い。何があってこの死にたがりの巣窟にやってきたのやら。後で調べとこう。


「プライバシー欲しい? その発想なかったよ。ここにいる人ってそういうのどうでもいい人しかいないと思ってた。ここで測定した個人情報ってデフォルトで公開OKになってるから後で自分の設定見直しておくといいよ」


 なお非公開申請が通るまで三日ほどかかる。その間に必要な情報全部抜き出しとかないと。


「はぁ……。で、これ何の実験? 私実験内容知らされていないんだけどあなたが教えてくれるの?」


「そういうこと。僕は相馬誠司。二四歳。実はこの自殺斡旋所の一期生なんだ。半年くらい前にもう一人生き残ってた同期が消えたから最古参ということになるね。もう三年くらいここにいるから分かんないことあったら何でも訊いてくれていいよ」


「あなたいつ死ぬの?」


 おっと、なかなか辛辣。

 いや、だんまりを決め込まれると打つ手がないからこれはまだ良い方の反応だ。


「さぁ? そんなことは僕に訊かれても困る」


 ここで一番致死率の高い実験は新薬開発系のもの。だからこの実験への志望者が一番多い。

 僕は志望したことはないけど、毎食後ビタミン剤と称された薬は飲んでるし、二週間に一度は点滴を打ってる。当然、中身が変わっても僕には感知する術はないので、僕がいつ死ぬかなんて僕には分からない。強いて言うなら希望出してないから追加の薬を飲んでいない分少し可能性は低いけど所詮誤差。


「他に質問ないなら続けるよ。志望する実験は……」


 うわマジか。

 この娘の闇けっこう分かりやすいかも。


「そんな引くほど変? ここには私と似たような人いっぱいいると思っているんだけど」


「痛みを伴う実験全般、ね。あんまりいないよ。全然いないって訳でもないけどね。あとここの滞在歴が三ヶ月以上じゃないと被験できない」


 だからこそ新薬の開発が人気があるんだ。痛みが少ないものが多い上に、能動的に何かする必要がない。

 ちなみに次点は脳に電極を埋め込む実験。今はゴーグルをつけないとできないVRを、眠っている時に夢を見せるような形で実現させることに浪漫を感じる人間はだいたいこっちだ。脳以外は基本傷付かないから臓器提供もできて一石二鳥。僕も何回か参加してるから、次くらいには廃人になって帰ってくる可能性もそれなりにある。


「できれば麻酔なしで腕でも足でも切断して、そこから神経系つなげる義肢開発とかがいいわね」


 それもうなかったっけ?

 いや断念されたんだった……ね。


「じゃあ君の願望が叶うより先にこっちの結果出したいな」


「ようやく私が何に巻き込まれたのか説明してくれる気になったのかしら」


「実は単なる暇つb……いや冗談だって。自殺斡旋所(ここ)、わざわざ自殺者を増やすのか、とかなんとか社会問題になっているのは知ってる?」


 テレビで(自称)有識者がピーチクパーチク喋ってるし、ネットでも度々話題になるから流石に知っていると思う。今年一番笑った記事はここの存在の所為で児童の学力が下がるという都市伝説を追求したもの。エンターテイメントとして面白かったけど、これが世間から見たイメージなんだと思うとちょっと心配になる。まぁマスコミが自身の利益を追求することは当然だしこんな形になるのも理解できるから精一杯扇動すればいいよ。


「そういうのがあるのは知ってる。詳しい内容は知らない。興味もない」


 分かる。


「で、ここの被験者を減らす策を実施したいんだけど、残念ながら人手がない。だからここの被験者に別の被験者を改心させてみようって計画が生まれたんだよ。要するに自発的に出て行ってもらう」


 露骨に迷惑そうな顔をされた。

 巻き込んだの僕じゃないからできれば僕に当たらないで欲しいな。


「あと、今のままだとこの建物の規模に対して入居希望者が多すぎるからそういう面でもここから追い出せるなら追い出したいって背景もあるよ」


「人が多すぎるなら全員殺せばいいじゃない。本人の了承はとっくに得ているんだから簡単よね」


「それだと人工多い国に有利過ぎるからね。どこかに制限つけないと見境なく人体実験する国が出てきちゃう可能性を否定できない」


「……自殺希望者の人口、日本って上から数えた方が早いくらいよね? じゃあ制限なくした方が有利なんじゃない?」


「その辺の議論したいなら僕は役者不足。僕はこのくらいの情報で納得した。佐藤さんが納得できないって言うなら自分で調べて」


「面倒だからパス」


 自分の命を預ける施設について調べないのは怠慢だよ。

 ここに怠惰に暮らすことへの抵抗がある人なんて見たことないけどね。


「ごめん、私たぶんあなたにどんな影響受けようがここを去ったりしないと思う」


 プライバシー気にしてたしその辺徹底的に暴けば追い出されてくれないかな。

 配置換え希望されて終わりか。


「相馬君、だっけ? なんで私が選ばれたのか知らないけど諦めてよ。いまさら生きろって言われても鬱陶しい」


 立場逆だったら僕だって同じことを言う。


「だから最初言った暇つぶしもある意味当たっているんだよ。最短二週間、最長二ヶ月くらい君と話をして、駄目そうですって報告して終わり。ぶっちゃけそこまで力入れてる実験でもないし僕自身もそこまで意欲的な訳じゃない。佐藤さんここの適正高そうだしね」


 ここは人を選ぶ施設だ。適正がない人はここで生きてはいけない。

 適正ある人も前触れなく死ぬ。

 話してみた感じ佐藤さんはもうここにだいぶ馴染んでいるみたいだしここから出て真っ当に生きる方が難しそうだ。


「そういえばいつからいるの? えっと」


 手元の資料を確認する。

 入居日の欄には、二ヶ月前の日付が載っていた。


「二ヶ月か。そこそこだね。食堂とか廊下ですれ違ってたかな」


「知らない。他人の顔なんて全員同じに見える」


 分かる。ここ人の入れ替わり激しいし、ほとんどの人は同じ服(支給されるジャージ)で分かりづらい。

 それでも若い人は珍しいし、若い女の子はもっと珍しい。まぁ他人なんて髪型変えたらもうそれだけ別人だ。


「今日は顔合わせだけのつもりだったし、こんなものかな。明日出掛けるからそのつもりでいてね」


「ここ、外に出られるの?」


「意外? 出たことないんだ。じゃあアレもやったことないよね。君の連絡先に明日の午前中やっといて欲しい実験あるからコード送っとくよ」


「やらなきゃダメ?」


「駄目。君が今日中に登録しとかないと僕が予定勝手に入れちゃう」


 どうせ相手は同類。気を使う必要なんかない。

 佐藤さんも決まった予定に逆らうほどの気力はないらしく、素直に従ってくれる。


「じゃあもう君が予定いれといてよ。任せたからね」


 いや、面倒なだけだな。外出申請とかもこっちでしちゃおう。




……。

………。




「で、いくらだった?」


「一万円。ホントにもらえることにびっくりした」


 やってもらった実験は、


・確定で五千円を貰う。

・五十パーセントの確率で千円。五十パーセントの確率で一万円がもらえる


 の内どちらか一つを選ぶというもの。五十パーセントを決める方法はこちらで指定していい。


「意外とギャンブラーなんだね」


「意外? 期待値高いのこっちよね?」


 数学的な期待値はギャンブルする方が高い。でもここに来るような人生諦めているような人にとって、五十パーセントの幸運を信じることができる人は半々くらいだ。中には「2D6の期待値は5」みたいに宣言する固定値主義者までいる。


「あなたはどっちを選んだの?」


「僕はちゃんと千円」


 何回繰り返そうが期待値高い方を選ぶから固定値教は履修してない。そいつ最近見てないけどまだ生きてるかな。

 あれ? 最後に会ったのいつだっけ?


「それ初回だけ固定であとは内容が少しづつ変わる。週一で受けれるしお小遣い欲しくなったら参加する感じでいいよ」


「毎週って結構根気いるよね」


「僕今百万円当たる一パーセントの確率追い求めてるよ。ここ社会学系のアンケート調査とかやってるし面白い奴もそれなりにあるよ。あとでオススメ教えるから暇があったら受けてみて」


「その程度でここから追い出すつもり?」


 ?


「ごめん、何でもない。それより百万円なんて使い道あるの? 私達に?」


「あぶく銭消費する方法なんて決まってるだろ」


 少し歩き疲れたくらいのところの賭博場に到着する。客の半分くらいはうちの被験者らしく、配った金を回収するシステムらしい。賭博法? 自分の射幸心制御できない人はちゃんとウチに来るから大丈夫。


「私やり方知らないよ。一万円で楽しめるものなの?」


「賭け事に勝つ方法は知ってる?」


 一階のパチンコやスロットに興味はないので上の階に行く。トランプを使ったカードゲームをメインに扱う階に到着。

 ここなら佐藤さんがどういう思考するか測ることができる。


「同元になる?」


 正解。ここ少し詳しく調べる必要あるけど、自殺斡旋所と繋がっている。

 チップを買わせてルールを説明する。


「カードを二枚もらったら『オールイン』とだけ言えばいいよ。あのテーブルね」




……。

…………。




「なんかよく分かんない内に増えた」


「本当に勝っちゃった……」


「え?」


「ま、それだけあればどんなゲームでもルール覚えるのに十分。一応今朝の実験の続きだから何か一つくらいはルール覚えてね」


「……。まぁいいけど」


 賭け事は勝てば楽しい。

 ただ、自分の力で勝てないなら途端につまらなくなる。

 ただ、大抵は負けないと強くなれないんだよね。

 あとなんだかんだカードに愛されてないといけない。その素質は十分のはずだ。


「じゃあさっきの。あなたも来て」


「いいよ、ポーカーの役は知ってる?」


 テーブル代がいるけど、身内だけでまったりもできる。


「そもそもトランプってカード何枚あるの?」


「ジョーカーないから五二枚。いや訊き方変じゃなかった? ひょっとしてトランプ知らない?」


「存在は知ってるよ。遊んだことはない」




……。

…………。




「……嘘……だろ」


「なんかまた増えた」


 僕ポーカーの確率上げるための訓練三回くらい受けたことあるのに。

 なんならマナー悪い客追い出すために雇われたことすらあるのに(イカサマ込み)。

 ディーラーに何度もイカサマしてないよねって確認の視線送ったけど無視された。


「これ、思ったより楽しいかも」


「そりゃそれだけ勝てばね!」


 ここ数年で覚えた趣味をたった一日で抜かれた?

 いや、たった一日で集束するはずない。

 こういう日もあるだろうけどなんで今日なんだ。


「よし、ここ食堂もあるんだよね。私がご飯奢ってあげよう」


 その笑顔に勝者の余裕を見せる佐藤さんは、昨日よりちょっとだけ楽しそうだ。

 敗者の僕は彼女に従うことしかできなかった。




……。

…………。




「「おすすめで」」


 ここおすすめ不人気らしいんだよね。

 僕いつもこれだしちゃんとおいしい。不人気の理由は単純にメニューが特定の料理で固定されているからだ。


「面白い話があるんだ」


「……」


 出てきたのはカレーライス。

 具材やトッピングが変わったりするけどここ、というかこの辺り一帯でオススメや日替わりなんかは全部カレーになっている。

 自分の被験者カードを取り出して薬をもらう。僕に倣って佐藤さんもカードを提示していた。

 義務はないから薬を出してもらう必要はない。現にここで食事をする被験者の半分以上がやってない。毎食後きっちり飲むような人は外出しないってデータがもうある。


「ここに来て最初に出てきた料理覚えてる?」


「カレー。シーフードだったのが珍しくて覚えてる」


「じゃあ次は何が出て来たかな」


「? カレー。流石に具が何かは覚えてない」


「じゃあここに来てからカレー以外の料理食べたことある?」


「……そういばないかも。あれ? 一回もなかったっけ?」


「ないよ。そういう実験だからね。いつ音をあげるかってやつ。ここの適正度測るうちの一つ」


「どういうこと?」


「平均三日でカレー以外のもの出してくれって要望が出るんだと」


「? おいしい、よね? 私味覚変?」


「いや変じゃないよ。少なくとも僕はおいしく感じるし、話を訊くまで疑問に思ったこともなかった。ほら、毎朝カウンセリングやるでしょ。一週間経ったころから食事に対する不満しつこく訊かれなかった?」


「訊かれた、ような? うん。『いつもおいしいです。ありがとうございます』くらいの返事を何回かしたよ」


「普通、って言葉はあんまり使いたくないな。九割以上の人は一週間以内にカレー以外はないのかって言うらしいんだよ」


「どういうこと? 口に合わないの? ……?」


「味に飽きるんだと。ちなみに僕はずっとカレー食べてるからデータでしか知らない。大半の人は毎食カレー生活に不満を持つらしい。僕や君みたいに不味い訳じゃない、って理由で毎食同じ料理でいいって人は完全に少数派だって」


 もちろん、最初からそういうふうに育てられたとかなら話は変わってくるだろうけど、現代日本で育つなら僕達みたいな例は稀有といえる。隣で和食とかラーメンとか食べている人がいるのも理由の一つらしい。

 不満言った時点で実験終了、他の物出てくるようになるからな。


「……」


「疑いの目で見たって事実だから。なんなら今度施設の方の食堂で何出されてるのか見渡してみなよ。カレー食べてる人全然いないから」


 カウンセリングの助手として潜り込んでもいいけど、それはこの施設を一年以上生き残る必要がある。二ヶ月しかここで生活していない佐藤さんじゃ無理だ。

 もっとも僕も当時ご飯に不満があることが信じられなかったから気持ちはすごくわかる。


「仮にそれが本当だったとして、私にそれ言ってよかったの?」


「いいよ。今日の昼どうするか見た後なら教えてもいいって」


 まぁ僕はそれを知っていても結局他のもの食べてないんだけど。

 自分で決めることがもう面倒くさい。味に偏りはあるかも知れないけど栄養価はバランスよく作られているし逆らう理由が分からない。

 きっと佐藤さんの方も一緒だ。




……。

…………。




 そこから一ヶ月。

 経過観察で施設でも一緒にいることが多くなり、毎日ではないけどお互い別の被験していない限りは一緒にいることが多くなった。

 よくやるのは一緒に外出した時にやったポーカーというカードゲーム。


「「エースのスリーカード」」


 へぇ。

 なかなか珍しい。


「どうしたの?」


「いや、面白いことになったなって。ファイブポーカーだと同じ数字のスリーカードはジョーカー使わない限り起こりえないからね」


「ファイブポーカー……。ジョーカー……?」


「知識の偏りが酷い……」


「半分はあなたの所為なんだから文句言わないでよ」


 これ僕の所為?

 二人じゃババ抜きも七並べも楽しくないじゃん。いいや、次ジョーカーいれよう。

 あの店ジョーカーありでやるイベントあったはずだから無駄ではない。




……。

…………。




「ロイヤルストレートフラッシュ!!」


 !?

 初めて見た。え、マジで!?


「ふふん、気付かなかったでしょ」


 一気に力が抜ける。

 今日ディーラーやってみたいなんて言い出した意味が分かった。

 思い返せばやけにもたもたカードを切ってた。

 初めてだしと気にしなかった、というよりはイカサマを想定していなかった。


「ちょっとコツを掴むまでしばらくかかったけど、相手が無警戒ならほぼバレない方法調べたんだ」


 ……。

 まぁ、いいか。今何言っても負け惜しみにしかならない。


「楽しい?」


「あなたにそんな顔させることができたんだから、覚えた価値あったわ」


「はいはい、結構悔しいよ」


 この一ヶ月、僕もそれなりに楽しかった。

 それは間違いない。




……。

…………。




「相馬誠司君。これをやってみる気はないかね」


 そろそろ来ると思ってたよ。

 タイミングを見計らったかのように、新しくとある実験の案内が来る。


「これは危険度が高い上に強い意志が必要だ。コストも今まで以上。やる気がないなら参加資格はない。希望者なら他にもいるから君が無理して参加することはない」


 知っている。

 途中で諦める人は向いていない。資材と時間の無駄だ。


「受けますよ。それに、僕が途中で投げ出すような人じゃないことはもう前田さんも知っています」


「もちろん知っているとも。君が投げ出すようならそれはもう実用の範囲外だ。希望日はあるかね。来週ならどこでも構わないよ」


 来週まで待つ気はないくせによく言う。

 三日後、佐藤さんとまた出かけることになっている。

 なら、できるだけ早い方がいいな。


「明日、いや、今からでも構わないですか? 三日後は外出できるくらいが理想です」


「ふむ、確かに今から取り掛かるなら丸二日リハビリできる。経過観察にもよるが条件付きで許可できるよ」


 言ってみるものだ。科学の進歩ってすごい。

 それを可能にする技術、その第一号より前に享受できるんだ。


「だが、いいのかね。焦る必要はない。覚悟を決める時間くらいあるんだよ」


「覚悟? なんのです?」


「その言葉を本気で言える君は異常だ。もっとも、今更言うことでもないし、我々にこんなことを言う権利なんてないがね」


「権利ならこの前作ってませんでした?」


「……あれは冗談だ。君の強さに甘えさせてもらっているだけさ」




……。

…………。




「おは……よ、う」


「ん、おはよう」


 珍しく廊下で佐藤さんとすれ違う。このタイミングで会うのは予想外だけど、都合が悪い訳じゃない。

 ちょうど今日の午後一緒に出掛ける予定もあるし、ここでいくつか確認しておきたいこともある。


 今右腕を上げることができないので左手を振って佐藤さんに応える。

 ちらりと佐藤さんの状態を確認。見た目に特に異常はない。

 まぁここ何の前触れもなく突然血を吐いて意識失う人いるから素人が診断とかできないんだけどね。でも見たい部分は専門的な知識がなくとも一目瞭然。


「それ……」


「こんなところで奇遇だね。約束まで時間あるけどどうする? ちょっと用があるからお昼は一緒できないけど、午後の外出申請はちゃんと通ったよ」


 ちょっとだけ遮ってみる。

 意地悪したくなっただけだけどちゃんと怯んでくれた。

 少しだけ残念。


 残念か。

 そっか。僕は今残念と感じているのか。自分で思っていたよりも、僕はなかなかのヒトデナシだったらしい。


「……そんなはず、ない。だって」


 だって、何だというのだろう。

 ここの狂気を読み違えた、とかかな。


「だっても何もないよね。こうなることを望んだのはむしろ佐藤さんの方でしょ」


「私の……せ、い?」


 前から思ってたけど、この娘かなり賢い。

 今の僕の状況が佐藤さんの言動に起因するものだと一目で気付くくらいには頭の回転が速い。

 ポーカーもみるみる強くなった。


「原因となったのは間違いなく佐藤さんだよ。佐藤さんの所為っていうのは暴論の域だから責任を感じる必要はない、っとと」


 身振りを加えようとして、ついバランスを崩してしまった。

 やっぱりまだちょっと慣れないな。

 でもこれ慣れるのか?

 それ検証するためのものだったりするから下手したら永遠にこのままかもしれない。


「……っ」


 佐藤さんは蹲って、吐き気を抑えるように口に手を当てる。

 これは駄目だな。

 ここまでダメージ受けるのは意外だった。


 ということは僕が今やる役目は追い打ちをかけることかな。


「見てみる? 僕の右腕が今どうなっているか」


 僕は今、訳あって右肩を出しやすい服装をしている。



 そして、僕の()()()()()ことをわざわざ見せつける。



 肩の部分から金属が十センチほど生えており、先はない。

 義手を嵌めるようにできているが、こうして外すこともできる。よく分からないけど佐藤さんが志望した通り神経とつなげることができたらしく、義手をはめると動かすことができる。ただ、触覚が一部しかないし、今こうしている時も無視しづらい痛みを感じることが欠点。

 そのせいで一昨日はろくに眠れなかった。腕をつけていない時は多少マシになるのが救いだ。


「残念っちゃ残念だよ。僕としては佐藤さんに会ったらお揃いだね、って言うつもりだったからね」


 半分くらい本気で期待していた。

 でも、佐藤さんは僕ほど壊れてはいないらしい。


「この計画、お察しの通り佐藤さんが志願したから実現したんだ。間接的とはいえ、佐藤さんはちゃんと僕の腕がなくなったことに関わっているよ。三ヶ月前のある日、大きな肉体的苦痛を許容して、腕がなくなることを前提とする実験への協力者が現れた。こういう計画って、ここできた当初はそこそこ合ったんだけど、今はもうほとんどないんだ。なんでか分かる?」


 なんとか顔を上げて僕を力無く見上げる佐藤さんは、まだ僕の言うことを理解し返答する力が残っているようだった。


 その瞳の奥にあるのは自分の所為で僕の腕がなくなった罪悪感?

 それとも理解の範囲外にいる未知のものに相対した恐怖心?


「危険度が高かった? 違う、そんなことじゃ止まらない。人の腕を切る実行者の忌避感が限界だった?」


 確かに、自分の腕がなくなることへの許容はどうやらあったらしいが、今の佐藤さんは自分のせいで僕の腕がなくなったことに対して強い罪悪感を覚えている。


 優しい答えだな、とは思う。


 ただ、あくまでそれは人を人と見たときの話だ。

 自分含めて人間をデータとしかみない人の答えではない。

 僕みたいな人間の答えじゃない。

 僕は、数あるサンプルのうちの一でしかない。


「一つ、ここでより早く死ぬために嘘を吐く人が結構いるんだよ。酷いよね。痛いなら痛い。もう駄目ならもう駄目。そう言って欲しいのに、全然言ってくれない。これじゃあ動物実験と変わらない。養うつもりないからそんな人はさっさと処分する。まぁその人たちにとっては正解の選択肢だったかもね」


 動物実験と変わらない、とはいうけど人間大の大きさの動物を使えるのは便利なものらしい。

 それに本人は駄目でも、臓器や血は優秀なこともある。

 ちゃんと役立ててあげないとね。宝の持ち腐れだ。


「何、言ってるの?」


「二つ、生きるのを諦めるんだよ。リハビリ込みで実験なのに、意欲的にならない。言われたことを十分の一くらいやって、無理ださっさと殺してくれって言うんだ。ふざけんな、って思うよ。実験だってコストかかるのに、それが全部パーだ。リハビリに強い意志が必要ってことかもしれないけど、そんなのやる前から分かっていたことだろう? まったく、命を何だと思ってるんだ」


 その話を聞いたときは本当に訳が分からなかった。

 少数派の中の少数派と自覚させられたのはこの時が初めてだ。それまでは漠然とした違和感だったけど、自殺斡旋所(ここ)に期待した僕は明らかにここで浮いていた。

 自殺斡旋所(ここ)に死にに来るのは理解してたし、僕自身、いつ死んでもいいと思っている。

 だけど、まさか無為に死ぬことを良しとする人がいるなんて思ってもみなかった。

 最期に一花咲かせて散ろうという僕の考えが異質中の異質だなんて想像もしなかった。


「私は、……」


「ホッとしたんでしょ。迷っているうちに被験者の枠が埋まっていたことに。この実験受けるような人は、返事は来週って言われて来週まで待つような人じゃ資格すらないんだよ。ここ一ヶ月、楽しかった? それはそれでいいんだよ。だけど、死ぬことを躊躇うような人はここにいらないし、覚悟がない人はもっといらない。遊びに来ているなら、さっさとおうちに帰りなよ」


 当時を思い出して、その理不尽な憤りを佐藤さんにぶつける。

 あのプライドも何もなく、自ら死を選ぶ勇気すらない人たちと一緒にされたのは間違いなくここに来て一番不愉快なことだった。

 せめて役に立ってからくたばれ。



 ()()()()()()()()()()



「佐藤さんもさ、ひょっとして自分の命がどうだっていいだけなんじゃない? 君はここに死にに来ただけ。欲しいのは言うこと聞くし喋るモルモットなんだよ」


 鳴き真似でもしようか迷って、モルモットの鳴き声をしらないことに気付く。鳴かない動物だったかな。


 これまで接した感じ、佐藤さんは生きるのが嫌なだけでモルモットを志願している訳じゃない

 出会った当初はちゃんと死にたがり、というより自分の命含めて無関心なイメージだったけど、最近の佐藤さんはちょっと変わった。

 たぶん外の世界で楽しいことを知らずにここに来て、思ってたより楽しく過ごせてたからここがどういう場所か忘れちゃっていたんだろう。

 それでも、失うのが自分なら平然としていたんじゃないかと思う。


「今どんな気持ち? 自分の動けなくなる要素はちゃんと把握・共有しとかないと迷惑だよ」


 恫喝しているうちに、佐藤さんの様子がだんだんとおかしくなった。

 ちょっと過呼吸の症状がでているかもしれない。

 廊下に一定の間隔で設置されているナースコールを押す。


「じゃあね」


 聞こえているか分からないけど、お別れの挨拶をする。

 すぐに駆け付けてくれた職員さんに会釈してこの場を離れるために歩を進める。


 これで終わりかな。

 僕は新しくできた友人を失い、佐藤さんはここに来る前の生活に戻る。

 それが理想のストーリーのはずだ。




……。

…………。




 佐藤さんとの再会は意外と早く、その日の昼食の時だった。



 ――ドン!!!!!



 食堂でご飯を食べていると、向かいの席に荒っぽい音を立てて座ったのが佐藤さんだ。

 マジか、結構脅したと思ってたけど、たった一,二時間で回復できる程度のものだったのか。


「考えたら私何も悪くないよね」


 さっき見限ったつもりでいたけど、評価を改める必要があるな。

 ひょっとしたら次は僕の方が言い負かされるかもしれない。


「だから最初に言ったじゃん。佐藤さんの所為って言うのは暴論だって」


「まぁ貴方ほどここに馴染めていなかったのは認める」


 第一声より少しだけ落ち着いた声音で自己評価していた。

 どうやらもう普通に話せるらしい。

 強い。


「そもそも佐藤さんのここに対する適正、かなり高いよ。追い出せって最初に来たのを疑問に感じるレベルだった」


 それこそ、逆ドッキリのように僕を追い出す実験を疑いもした。


「ここに来てから身長・体重の急な増減なし。スリーサイズも同様。食欲や睡眠時間にも特に変化なし。つまり、佐藤さんにとってここの生活は日常と言い切っても構わない程度のものだった」


 常に死のリスクがある環境は、それだけで強い負荷がかかる。

 体調を壊す人は多いし、体調を崩すまでいかなくても慣れない環境で安定した生活を送ることができる人はここですら少数派だ。

 ここに来る前も標準的な体重・体格だったから虐待があったわけでもない。


「あぁ、それでスリーサイズの情報必要だったのね」


 思い出すのは初対面の時。

 あのあと佐藤さんの情報調べたけど、情報が封鎖された気配はない。

 今もフリーパスで閲覧が可能だ。

 あの時の受け答えも一般的な女性はこう答えるはずっていう常識からとりあえず言ってみただけの可能性が高い。


「そういうこと」


 右手でフォークを置きながら応える。少し失敗して痛みが走るがこの程度もう気にしてられない。

 少し時間はかかったけど、なんとか完食できた。


「今日はカレーじゃないんだ」


 佐藤さんの皿には相変わらずカレーがのっかっている。

 対して僕が今食べたものはカルボナーラ。わざわざ頼まないと出てこない。


「僕はカレーでもいいけど、一般人はそうじゃないわけで、だからスプーン以外も使えるようにならないとね。部屋では箸使う練習もしてるから、そのうち和食も頼んでみるよ」


 もう同じものばかり食べてもいられない。

 いろんな状況に対して、できるできないを確認していかなきゃならない。

 回復できるって前例を作らないといけない。


「せめて左手斬れば良かったのに。もしくは手首からとかでも良かったよね」


「手首からは僕も訊いたよ。なんかスポンサーの意向だって。利き腕なのは途中で僕の心が折れないようにだよ」


「どういうことよ」


「だって、左手なくなっても右手でなんとかしちゃいそうでしょ。その点左手じゃそこまで器用には動かせないから諦めずに右手使えるように頑張れそうじゃん」


 あんなこと言った割に、僕の方も途中で投げ出さないように予防線張ってたんだよね。

 ちょっとカッコ悪いけど、途中で投げ出すよりマシ。

 痛みについてはこれから改良していくらしい。


「やっぱり貴方ちょっとおかしい、と思ったけどここじゃあ貴方の方が正解なのよね。うん、結構動かせてるように見えるよ。上手じゃん」


「これ集中力いるし油断すると変な動きして痛いんだよ。正直よく腕外せるように作ってくれた」


「私じゃやっぱり投げ出してそうだなぁ。本当にこれ私の希望で実現したの?」


「きっかけ、というよりリミッターの一つが外れた感じらしい。四つしかない枠すぐ埋まったから追加募集あるかも?」


「参加悩んでいるうちにまた定員オーバーしてホッとする未来が見える。そして今度は君の左腕ないの見せつけられそう」


「そしたら今度こそ君の所為って言ってあげるよ。でも両腕ないと腕の付け替えが自分でできなくなるから嫌だな」


 佐藤さんが口を閉ざす。

 しばらく黙々と食事中。

 僕もう帰っていいかな。


「ねぁ、どこまでが貴方の作戦だったの?」


 不意に口を開いたと思ったら、問い詰めるような口調。

 いや、作戦って言われても困る。


「基本方針はなるようになるだよ。今日を除いて、君を追い出すために特別なことをしたつもりはない。全部佐藤さんがどういう人か知るための行動だった。あんまり迷惑そうなら付きまとうのは最初だけだったけど、割と楽しそうに付き合ってくれたから調子乗った」


「ふーん。私ってどんな人間だった?」


「ここでの適性が高いのはもう言ったと思うけど、外でもやっていけそうな人だとも思ったよ」


「そうなの?」


「そうだよ。知識量はかなり偏ってたし友達いなかったんだろうとは思ったけど、別に記憶力が悪い訳じゃない。思考は論理的、共感能力もある。外で楽しいと思うことに一つも出会えなかったとかじゃない?」


「外ってそんなに良いもの? 人生を懸けるに値する?」


「僕は外の世界そこそこ好きだよ。こんなところにいたら説得力なんてないかもしれないけど、少なくとも嫌なことばっかりじゃない。あくまで僕の場合の話ね」


「私、ここにいる人はみんな世界か自分のどちらか、ううん、両方かな。両方が嫌いな人ばっかりだと思ってた」


「いや、外だろうが世界と自分が嫌いじゃない人なんている訳ないでしょ」


 そりゃあ好きになる部分もあるかもしれないけど、嫌いな部分が一つもない人なんている訳ない。ないよね?

 近すぎて無関心でいることもできないはずだ。

 まぁ僕の感性なんてあてにできないことはもう身に染みているから自信はない。


「貴方私を外に出したいのよね?」


「うん? 別にどっちでも? 朱に交われば赤くなるともいうし、ここにいてもいいよ。君をここから追い出すって実験、結果を求めてやっている訳じゃないからね」


 そう、初めから完璧な人なんていない。

 佐藤さんならここに染まることができる。

 でも、多分でしかないことが申し訳ないけど外でも生きていける。

 どっちでもできるのは良いことだ。


「ホント、これからどうしよっかな」


「午後どうする? 義手の持ち出し許可出なかったから隻腕になっちゃうけど、カードなら左手でもできるよ」


「そういう意味じゃない。あとそんな気分じゃないからパスで」


 そんな気はしてた。




……。

…………。




「よくやってくれた。佐藤栞君はここから出ていくそうだよ」


 翌朝。

 いつものカウンセリングで前田さんから結末を聞く。

 昨日の様子から言ってそんな気はしていたから、特に動揺はない。

 少し寂しさを感じるけど、まぁこの程度の感情の揺れはよくあることだ。


「まぁここ以外で過ごせる手段と能力あるなら出て行った方がそりゃ健全だよね」


 ここには、自分の命を大切にするという価値観は存在しない。

 別に生命に対しての冒涜とかは思ってない。個人的にはハチみたいに個を認めていない生物と同じ感覚。


「それで、義手の調子はどうだい? だいぶ使いこなしていると聞いているけど本当かな?」


「嘘ですね。力加減が上手くいかなくて箸は握りつぶすし不意に動いちゃって強烈な痛みが来る。神経を繋げるってだいぶ無茶なんだと身を持って体感してるよ」


 痛み止めに手を出すと人工神経を義手に通した意味がなくなるのがつらい。

 改良のために精一杯意見を出しているけど、反映されるのはいつになることやら。


「今の状態で箸使って食事はできそうかい?」


「義手の方が添えるだけで左手で箸を扱うなら訓練次第でできそう」


 つくづく人間の腕は偉大だったと実感する。

 だって動かしたら動く。


「ふふ、わざわざ食事メニューまでリクエストを出すようになったんだったろ。どうだ、少しはカレーに飽きたって気持ちも分かるんじゃないかい?」


「依然として事実として知っているだけです。むしろスプーンがあんなに便利な道具だったと再認識させられました」


「そうかい、味の方はどうだね?」


 これは、ひょっとして試されてる?

 昨日のデザートとして出されたものちょっとアレだったからな。


「バイトでも雇いました? プリンだけ下手糞でした」


「……おっと。えー、それはなんと言ったらいいか」


 珍しく前田さんが口ごもる。

 僕に言いづらい事実を隠していて、それが不都合に働いたんだろう。

 何だ、僕は何を知らない?



 その答えは、この部屋にある姿見の奥から聞こえてきた。


「悪かったわね」



 聞き覚えがある、いや、佐藤さんの声が鏡の向こう側から不機嫌そうな気持を伝えてきた。


「仕方ないじゃない、初めて作ったんだし、むしろ無難にできた方だと思ってるんだけど」


 そういやこれハーフミラーだったね。

 僕も向こう側にいたことあった。

 滅多に使わないし、意識しないように心掛けてたからびっくりしたよ。


「あー、あのプリン佐藤さんが作ったってこと?」


 自分が写っている鏡に向かって話すことに違和感を禁じ得ないけど、なるべく鏡の奥の佐藤さんを意識する。

 僕今君が帰ったって聞かされたはずだったんだけど、出発はまだだったらしい。


「だいたい普段カレーしか食べてないくせに何評論家気取ってるのよ。別に不味かった訳じゃないでしょ」


「確かに不味くはなかったけど、このカレーでむしろ舌肥えたから。カラメル焦がし過ぎ、甘すぎ、必要以上に()が入ってたし、逆切れ良くない」


「うるさい。次、絶対上手いって言わせてやるから」


 次?

 まぁここ差し入れ受けつけてないわけじゃないしそんな未来もあるか?

 いやここに来たことは黒歴史として封印しておくべきじゃないか。


「次の機会、僕が生きてるといいね?」


 少しだけ釘をさす。

 僕のことは覚えていても碌なことにならない。

 忘れることができるほど薄い付き合いでもないと思うけど、蓋をして思い出さないようにするくらいはできるはず。


「いや、どうせ生き残るよ。少なくとも義手の経過観察いるでしょ」


「確か二年計画。それまで処分はされないと思う」


「二年ね、分かった」


 守秘義務……はいいか。

 ここ、ちょっとやそっと突かれた程度ではびくともしないし。

 情報統制怖い。




……。

…………。



……。

…………。



……。

…………。




「ただいま」


 誰もいないアパートの一室に戻る。

 ここに来るのは三か月ぶり。

 私の実家だ。


 母はまだ仕事のはず。

 父親はいない。あったこともない。


「おかえり」


 誰もいないはずだったから、返事があったことに少し驚いた。


「帰ってたんだ」


 仕事が忙しくて、日曜日でもない限りこの時間帯はいないはずだ。


「栞が帰ってくるって聞いてね。何年か振りに有給取っちゃった」


「そう、まぁいいや。丁度ママに訊きたいことあったんだ」


 この人のことは好きでも嫌いでもない。

 それなりに恩は感じているけど、ちょっと近しい他人、くらいの認識でしかない。


「珍しいね、なになに?」


「料理を、教えて欲しい」


 多分私たちの間で、下手したら十年以上空白だった母子(おやこ)らしい会話。

 内容もそうだけど、どう接していいか分からずに少し言葉に詰まってしまう。

 母は目を丸くして、信じられないものを見たような顔を経由して、数秒後妙に納得した顔になった。

 自分でも驚くような頼み事だったけど、母の方は私がこうなることに驚きはしても納得できないほどじゃなかったらしい。


「男? どうせロクでもないやつでしょ」


 少し嬉しそうなのがムカつく。

 確かにロクな男じゃなかったのが図星で余計腹が立つ。


「確かに自殺斡旋所ってロクな奴いないかもだけど、そんな言い方しなくてもいいじゃん」


「いやいや、場所は関係ない。あんた私の娘よ。ダメ男に惹かれる遺伝子持っている訳よ」


 ストンと、その言葉は私の胸に入ってきた。

 今まであんまり自覚できなかったそれを、今なら少しだけ認めることができる。

 そうか、私があいつに惹かれたのは、お母さんの遺伝なんだ。


「今日初めて、ママがママなんだなって思った」


「どこで間違えちゃったんだろうね、私」


 数か月程度では忘れられない、自虐的な顔。

 でも、今日は私も向き合おう。


「私達、だよね。正直私って育てやすい娘じゃなかった。でも、変わろうと思ったんだ」


 あの時、死が遠ざかったことに心底ホッとした。

 その後、私に降りかかるはずだった傷を代わりに負った人を見て後悔することになった。


「ありがとう、栞。じゃぁまずは買い物ね。今から行く? それとも一休みしてから」


「今からでいいよ。何買うの? 肉? 魚? お菓子とかも作ってみたいんだけど」


「そんなもの後でいいの。貴方には真っ先に必要なものが足りてないんだから」


「何?」


「可愛いエプロンよ。きれいな食器も捨てがたいけど、とりあえずエプロンね」


「……別に味は一緒だよね?」


「栞、頭は悪くないのに……」


「可哀想な人を見る目止めて。私何か変なこと言った?」


「言ったのよ。貴方料理人になりたい訳じゃないでしょ。なら、まずは可愛い女の子の手料理って付加価値を最大限生かしなさい」


 びっくりした。

 たまにしか作ってくれなかったけど料理上手だったし、何か特別なコツでも教えてくれるのかと思ってた。


「その付加価値いる?」


 味に変化ないし、あいつ妙にグルメだったからそんなことに騙されるような感じじゃなかった。


「想像してみて。貴方はその人にご飯作ってもらうなら、絶対にエプロン合った方がいいでしょう」


 まぁ、分からなくもない。

 エプロンの下がいつものジャージだったのが私の想像量力の限界だった。

 一緒に賭博場行った時はちゃんとジャージ以外の服着てたはずだけど、どんな服だったかもう思い出せない。


「いや、ママは付加価値なくても十分美味しいもの作れるじゃん。そっちも教えてよ」


「まぁ、ありがと。でもママが料理上手なの、貴方のパパのおかげよ」


「どんな人だったの?」


 パパについて質問したのは、この時が初めてかもしれない。

 今まで避けてたけど、これからはもっと知っていこうと決めたんだ。


「どんなに失敗しても、絶対に美味しいって言っちゃう人。悔しかったから死ぬ気で練習したわ」


「私、やっぱりママとは似てないかもしれない」


「何よそれ。まぁ良いわ。ねぇ、栞を変えてくれえた場所、どんなところだったの?」


「……そうだね。少なくとも、私の居場所じゃなかったよ」


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