9.私、可愛い?
「おう、狼族の神官かぁ……」
兎耳筋肉兵士はすごみつつ、リュカの周囲をぐるぐると徘徊した。
「神官だったら、あれを持ってるだろぉ!?あーん?」
「そう怒鳴るなよ……はい、これだね」
リュカはフィリアから荷物を受け取ると、兵士に手形を手渡した。
「……こりゃ珍しい。神官長の通行手形だな」
「その紋様が描いてあるっていうことは、分かるだろう」
「!」
兎耳筋肉兵士は急に汗をかき出した。
「いや、まさかそんな……」
「聖女の背中の紋様だ」
兎耳筋肉兵士はリュカとフィリアを見比べ、はっと息を呑んだ。
「これは……まっこと失礼した!」
フィリアは兎耳兵士の仰々しい声にいちいちびっくりしている。
「それならば、早急に姐さんに引き合わせないと……!」
「……姐さんによろしく」
「よし、そこの兵士二名!」
兵士は援軍を呼んだ。
「神官と聖女様を宿にお連れしろ!」
二人は取り囲まれ厳重な警備体制の元、宿屋へと連れて行かれる。
「ちょっとちょっと、リュカ」
「心配するなフィリア。兎族はみんな威圧的で声がデカいけど、基本いい人ばかりだから」
「ほ、本当かな……」
宿に向かう道すがらでも、兎族の雄同士は常に言い争っている。
「何をあんなに怒っているのかしら……」
「兎族は街に人口がすぐ増えるから、縄張り意識が強いんだ。あとは……意外と臆病なんだよ」
フィリアは耳を澄ませる。
「ワシのシマじゃこらああああ!!」
(シマって何かしら)
兎耳筋肉兵士が戸惑うフィリアを見て、笑いながら言う。
「今の時期は皆気が立っています。祭りに出す屋台の場所取りに命を懸けているのです」
「屋台?」
リュカが言う。
「屋外に出す店だよ。聖女祭りのためにお店を出すんだ」
「どんなお店が並ぶの?」
「そうだな……お面屋とか、魚掬いとか、くじ引きとか、食べ物屋とか……」
「えー!楽しそう!」
フィリアは目を輝かせた。
「そう、楽しいんだ。なぜ楽しいのか……分かるか?フィリア」
リュカに問われ、フィリアはどきどきと胸を鳴らした。
「まさか……聖女を癒すため?」
「正解。千年前の狼頭の聖女の訪問日に合わせて、祭りをしている」
「じゃあ、私のせいであんなに言い争ってるってこと?」
「そういう風に受け取るなよ。みんな、千年前の聖女様を救えなかったことを悔やんでる。今度現れる聖女こそは、助けたいと思ってるんだ」
フィリアは祭りの気配を感じながら、空を見上げる。
千年前の無力な聖女様も、ここで同じ空を見上げたのだろうか。
宿は小高い山の上にあった。
森の中の、美しい洋館造りの宿屋。中に入ると既に兵士がいて、二人を部屋まで連れて行ってくれた。
彼は見張りをするらしい。フィリアとリュカは同じ部屋に入ると、それぞれベッドに寝転がる。
「ああー、何だか宿に着くまでで、既にかなり疲れたわ……」
「本当だな」
「ところで……聖女の紋様って何?」
リュカはがばっと起き上がった。
「知らないのか?狼頭の聖女は、背中に特定の紋様が浮かんでいるはずだぞ」
「し、知らない。私自分の背中を見たことがないから」
「いや……本当に言葉がないな。合わせ鏡すら見たことがなかったのか」
「そうね。親からは、自分の顔や姿を眺めるのは悪いことだと教えられたわ」
「……なぜ?」
「さあ……私が私を見つめると、何か不都合があったのかしらね」
リュカはうずうずと、落ち着きなく己の頬をさする。
「……聞くだに苛々するな、フィリアの親の話」
「……ごめんなさい」
「あっ、違……うーん」
しょげるフィリアと向き合うと、リュカは覚悟を決めたようにこう告げた。
「多分だけど、それはフィリアの顔が可愛いから」
フィリアはぽかんと口を開けた。
「?」
「だから、フィリアが自信をつけないように、鏡を見るなと言ったんだと思う」
「可愛い?」
「うん……」
「私が!?」
リュカは顔を真っ赤にして、こくこくと頷いた。フィリアは立ち上がると、天に両の拳を突き上げた。
「ありがとう、嬉しいよリュカ!」
「う……うん」
「そっか、私……可愛いのか」
「あの……あんまり過信されても困」
「リュカも可愛いよ!また狼の姿になってよ!」
「……!」
リュカはがっくりとうなだれた。
「あーもう、どうにでもなれ……」
リュカはベッドに寝転ぶ。フィリアは壁掛けの鏡を眺めて、自分に言い聞かせるように呟く。
「私……可愛い……」
リュカはそれを見て吹き出した。
「自惚れ鏡だな。自分の顔って、何だかんだ落ち着くんだ」
「確かに鏡を見ていると、何だか気持ちが集中して来るわね……」
室内に静寂がおとずれる。
「あれ?」
フィリアは呟いた。
「何でだろ、ずーっと見てたら可愛くなくなって来た……」
「それぐらいにしようか。今度は自分のアラが気になって来るから」
「そういうものなのね」
「外見に関する悩みは、誰しも一度は通る道だと思う。自信がついたり、なくなったり……その繰り返しなんだ」
「そっかあ。私、誰もがする経験すらして来なかったんだ……」
「落ち込むなよ、これから経験すればいいだけなんだから。ほら、狼の姿に戻ったぞ。気を取り直してモフっとけ」
「ありがとう、リュカ」
フィリアは何もかも忘れてふかふかの狼の腹を両腕で撫でさする──と。
トントン。
ドアがノックされ、兎耳筋肉兵士が入って来た。
「聖女様、姐さんがお呼びです」
「姐さん?」
リュカが小声で言う。
「姐さんとは、この兎の里・ヤムナを治める女王のことだ」
「じょ、女王?ってことは、一番偉いの?」
「そうだな」
「女王様なんて童話でしか見たことない。楽しみ!」
不安よりすぐに好奇心が勝ってしまう聖女を、兵士もリュカも微笑ましく眺める。
「では、私について来て下さい」
フィリアと獣人の姿に戻ったリュカは連れ立って、「姐さん」に謁見すべく兵士の後をついて行った。