6.温泉って何ですか?
温泉という言葉を聞いて、フィリアは即座に尋ねた。
「温泉……って何ですか!?」
エメは呆然とする。
「温泉は温泉だ。地中から湧いて来る湯であるが、皆これを風呂として使う」
「へー、お風呂なんですか?」
「……おい、リュカ。説明してさしあげろ」
リュカは困った顔で聖女に告げた。
「要は、野外のお風呂ですね」
「でも外でお風呂なんかに入ったら、すぐに体が冷えるわ」
「それが冷えないんですよ。体の芯から温まるんです」
「そうなの?面白いお風呂ね」
「世界各地にあります。私もこの本に書いておりますので、一度お読みになってはいかがですか?」
フィリアは早速、手渡されたウルフ・トラベラーズ・ガイドを読んだ。
「へー、地中から湧くお湯……色んな効能があるのね」
「そうなんです。薬湯に近いものがありますね」
「温泉の湯には癒しの力があるのね?」
「そういうことです」
エメが二人に割って入った。
「そう、温泉は人の体を効果的に癒すものなのだ。食事や娯楽もいいが……これが一番聖女に癒しを与える」
「そうなんですね。知らなかった~」
「何せ童話には出て来ない題材ですから、フィリア様が知らなくて当然ですよ」
フィリアはガイドをじっくりと読み込んでいる。
「……と、まあ今日はこの辺にせんか。みんな、そろそろ寝た方がいいだろう」
エメはそう言うと、リュカに問う。
「お前も疲れたろう。今日のところは家に帰れ」
「はい。ではフィリア様、また明日……」
「あ、ちょっと待ってリュカ」
フィリアは彼を呼び止めた。リュカは面食らっている。
「はい……?」
「リュカ、一緒の部屋で寝ましょうよ。私、あなたがいないと不安で」
リュカは困惑し、エメは深刻な顔でフィリアを見つめている。
「ふむ、なるほど……聖女様は幽閉されていたので人間関係に疎く、異性との距離感がないのだな」
リュカは少し肩を落とすと、長老に視線を戻した。
「そうですね。一度、その辺りを教えておかなければならないかもしれません」
「リュカよ、今夜はどうする?」
「やはり、私も聖堂に泊ります。旅に出る前に一度、きちんと聖女様と膝を突き合わせて話し合っておきましょう」
「そうだな、それがいい」
リュカはフィリアに告げる。
「フィリア様。癒しの旅に出るにあたって、二人の決まり事を作りましょう」
「決まり事?」
「はい。フィリア様は長らく幽閉されており、社会に出たことがありません。ですから、外に出て危ない目に遭わないように、お互いに守るべき約束事を決めておくのです」
「ふーん?どんな決まりかしら」
「とりあえず、話し合いはこちらで」
三人は聖堂中央から裏手に入り、休憩室に入る。
「まず申し上げておきたいのは、我々にはそこまで資金がないということです」
フィリアは頷いた。
「そういうわけで、これからの旅の宿では、我々は一緒の部屋に寝泊まりします」
三人はそれぞれベッドに腰掛けた。
「宿はだいたい、このような部屋になっています。一室につき、ベッドが二つです」
「そうなのね」
「それぞれ、夜は別々のベッドで寝ましょう」
「分かったわ」
「それでですね、問題は着替えなのです」
「着替え?」
フィリアは首を傾げる。
「はい。着替える時は、お互いの姿を見ないことにしましょう」
フィリアはこくんと頷いた。
「分かったわ。でも、何で?」
「私は裸を見られるのが恥ずかしいのです」
「上半身裸なのに?」
「えーっと、下半身を見られるのが恥ずかしいのです」
「ああ、そういうことね……って、さすがに私もそれが恥ずかしいことぐらい、分かります」
「そうですか、なら大丈夫そうですね……」
リュカはほっとした表情を見せた。
「でもほら、リュカは獣人だから」
その言葉に、リュカの表情が少し曇る。
「余りそういう感情を持たないのかなーって思っていたの。でも、私たち人間と同じように羞恥心があるのね?」
「……そうです」
「私、あなたは誠実だって信じてるわ。だから同じ部屋でも平気よ。さっき同じ部屋でって言ったのは、こういうことを言いたかったの。驚かせてごめんなさい」
それを聞くや、リュカはくすぐったそうに笑う。
「……ありがとうございます」
「だからね、もう敬語はいいわよ。お互い旅に出るし、対等に行きましょう」
エメも隣で聞きながらにやりと笑う。リュカは困った顔になる。
「はあ……」
「敬語はまどろっこしいわ。それに……」
フィリアは少し言い淀んでから続けた。
「私、あなたともっと仲良くなりたいの」
フィリアは人に心情を隠すことを知らないのだった。真っ赤になったリュカに、エメが耳打ちする。
「……やはり、〝伝説〟は繰り返すのか?」
リュカは首を縦に振る。
「……かもしれません」
「となると、このままだとリュカは──」
彼は考え込むようにうつむいた。
「引き返すなら今だぞ」
リュカは無垢な瞳のフィリアをじっと見つめる。
「……聖女様の護衛に選ばれた時点で、覚悟は出来ています。私は聖女様を助けます」
「……そうか」
エメは静かに神官を見守った。リュカは気を取り直すように聖女に微笑む。
「では、フィリア様。今日のところは休みましょう。明日からよろしくお願いします」
「リュカ、敬語……」
「フィリア。今日は休んで明日に備えよう」
「分かったわ。おやすみ、リュカ」
エメが静かに退出し、聖堂内で狼獣人と聖女は二人きりになる。
聖女は初めて、ふわふわのベッドでゆっくりと眠った。