52.あなたに残せるもの
リュカは結婚制度について説明した。
この世界には、男女が一生一緒に暮すためにする契約が存在すること。
その契約は、二人の間で解消したい時は出来ること。
契約期間中に死亡すると、お互いの財産を分け合えること。
それから──
「この契約は子どもを産んだら、それが二人の子どもであることを証明出来るんだ」
月明かりだけの暗い部屋で、布団に寝転がりながらフィリアはリュカから結婚制度についてのレクチャーを受けていた。
「子ども……」
「そうだ」
「そっか。家族って、そういう契約の中で集まって暮らしているのね」
世の中の仕組みが分かるほど、フィリアは虚しさを募らせるのだった。
自分が生きていたのは、家族の〝中〟ではない。明らかに〝外〟だったことを痛感させられる。
その契約が、果たして自分を幸せに出来るのかは不安だった。
「その契約をリュカと結んだら、どうなるの?」
リュカは顔を赤くしたまま答えた。
「要するに、これは財産とか子どもとか……〝相手に何かを残す〟制度なんだよ」
フィリアは考えた。リュカに何かを残せるのなら、いいような気がする。
「でも、〝相手を縛る〟制度でもある。契約中は、別の異性と結婚出来ない。恋愛も出来ないんだ」
「縛る……。そうなの」
「だからこの契約をしたがらない人もいるね。生涯相手を変えない狼族には、あまりいないけど」
言いながら、リュカは這って行ってフィリアの顔を覗き込む。フィリアは彼の顔を眺め、その頬に触れた。
「リュカは〝結婚〟ってしたい?」
「したい。すごくしたい」
意外にも勢いのある返答に、フィリアは頷いた。
「そっか。リュカがしたいなら、私、してもいいよ」
そう言われた彼は尻尾を振って喜んだが、
「でもさ、フィリアはことの重大さを理解していない気がするんだけど……大丈夫?」
と尋ねる。フィリアは微笑んだ。
「だって、いつでも契約は切れるんでしょ?」
「そう言われると……まあそうなんだけど」
「私、リュカに何かを残したい」
リュカはフィリアに覆い被さると、その額に自らの額をすりつけた。
「そっか……ありがとう、フィリア」
「ねえ、子どもってどうしたら出来るの?やり方を教えてよ」
リュカは少し息を止めてから、
「……もう少しあとで教える」
とだけ答えた。
「そう……?」
「結婚してからでも遅くない。あと、落ち着ける場所を一緒に探してからにしよう」
「うん」
「じゃあとりあえず、うちに来る?」
フィリアは目を見開く。
「あれ?リュカって家を持ってるの?」
「持ってるよ、一応」
「見てみたい!」
「じゃあ一度、イレオンに戻るか」
「どんな家だろ。わくわくする!」
「先に言っておくけど、ボロ家だぞ」
「ボロ家!?そう聞くと、なおさら綺麗な家より見たくなるわね!」
二人はくすくす笑って抱き合った。
小さな島の片隅で。
イレオンに戻ると、狼獣人たちが二人に群がった。
誰が用意していたのか、紙吹雪が舞う。騒ぎを聞きつけたらしく部下を引き連れ、エメがやって来た。
「おお、意外と早く戻って来たな」
「猫の島で、セシリアの葬儀を済ませて参りました」
「そうか……猫の島といえば、サシャの」
狼族全体に少し悲し気な空気が流れたが、
「しばらくイレオンでお世話になります、エメさん」
というフィリアの言葉で、再び狼族が沸いた。
「聖女様のためなら、新しい家を用意するぞ」
「え、えーっと……私、一度リュカの家でお世話になろうかと」
エメは仰天した。
「えっ!あのボロ家でか!?」
そこまで言われるリュカの家を、是非見てみたいとフィリアは思った。
リュカがフィリアを引き連れて行くと、他の狼族もぞろぞろとついて来た。一体そのボロ家はどこにあるのだろう。
二人は、城塞都市の城壁の前に立った。
城壁に、粗末な木の扉がついている。
「ここだ」
とリュカは言った。
「えっ……ここ!?」
それはどう見ても家ではない。壁だった。周囲の狼族からも、笑い声が響く。
「これ、家じゃないわよね?」
「まあ確かに。正確には壁だ」
「ええー!」
「内部は、狭い縦長の部屋があるんだ。狼族の神官は、皆この城壁内部に住むことになっている。この城塞都市に敵が攻めて来た時、真っ先に戦う役目があるのが狼族の神官なんだ」
フィリアは昔読んだ絵本に書いてあることを思い出した。古代の騎士の多くが神に仕える身であり、教会の庇護下にあったということを。
「それで、こんな狭いところに住んでいたのね」
「まあ入りなよ。初めて入るだろ、こんなところ」
「うん!楽しみだな~」
二人が扉の向こうに入ると、見物の狼族たちは散って行った。
扉の向こうには短い階段があり、そこを降りると居住スペースがあった。
縦長の床に、ベッドと机が並べられている。歩けるスペースはごく僅かだ。壁の上部に点々と小さな窓がついており、小さな光が床に落ちている。
フィリアは周囲を見渡した。
「キッチンもお風呂もないのね」
「寝に帰るだけの場所だからな。狼族の多くは自炊をしない。屋台で買って食べる。風呂も風呂屋で入るんだ」
「そっかぁ……料理とか、してみたかったなー」
リュカは微笑んだ。
「フィリアの料理……食べてみたいな」
「今度は私があなたを癒す番ね!」
そう言ったフィリアの肩を抱くと、リュカはそうっとベッドに引き寄せた。
「リュカ?」
「いや……長く夢見た光景が、今ここにあるなぁって思って……」
「本当ね。だって、長いこと旅をして、私が外に出るまで備えていたんですものね」
「もうひとつ叶えたいことがあるんだけど、いい?」
「私、リュカのためなら何でもする」
フィリアはぱたん、とベッドに押し倒された。
「……リュカ?」
「その……悪いけど、俺、狼に……」
フィリアは全て理解しているように微笑んだ。
「いいよ。何となく分かってたから」
「……フィリア」
「ニナが言っていたから気づいてたわ。あなたの最終目的は、狼族に癒しの力を取り入れるために、私との間に子孫を……ってことでしょ?」
リュカは目をこする。
「ごめん。最初は騙している自覚はあった。でも、俺はフィリアを知るたびにどんどん好きになって……」
「あなたが少し罪悪感を覚えながらも懸命に私を好きになってくれたこと、私はちっとも、悪く思わない。二人が思い合うきっかけが強制的に降って来ただけで、思い合うこと自体は別に強制されてないじゃない」
「……本当に、ごめん」
「謝らないで。私、きっとどんな風に出会っても、リュカを好きになってた。リュカが頑張って、空っぽの私に愛情を注ぎ込んでくれたから」
何かが溢れるように、ようやくリュカが泣き出した。フィリアは彼の頭をなでてやる。
「頑張ったね、リュカ」
「やめてくれよフィリア。どっちも頑張ったんだから……」
「私、どうしていればいい?リュカの好きにしていいよ」
「ダメだ、そんなに優しくされたら泣いちゃって……出来ないよ。やっぱり、もうちょっとあとにする……」
ふたりはじっと、壁の中で互いを確かめ合った。
聖女と狼は運命に紐づけられていただけで、その気持ちは元々自由なのだ。
選び取ったその手が、たまたま正解だっただけなのだ。
「難しく考えないで。奇跡が起きただけよ」
フィリアはリュカを引き寄せながら、幸せそうに呟いた。
「私、リュカに会えて、本当によかった」




