50.さよなら、聖女様。
数日後。
白狼を伴い、ダントンの城の前でフィリアはエドから遺灰を受け取った。
「……心配だな。逃亡の旅は終わったんだから、もっと護衛をつけてもいいのに」
フィリアは無言で微笑んで、白狼のふわふわの毛並みを撫でる。
「これは私が私のためにする旅なの。だから大丈夫」
今日、フィリアはダントンを旅立つ。
着の身着のまま放り出されたあの時とは違い、荷物を背負っている。
城の前にはエドに誘われ、ボドリエ家の面々が揃っていた。彼らは一様に複雑な表情で、獣に囲まれた娘を眺めている。
フィリアは、あえてそちらを見ないようにした。
それも彼女の意思だった。
自分が自分であるために、そちらに視線を向け、少しでも仲間意識や憐憫を引くようなことは避けねば気が済まなかったのだ。
エドとしては、フィリアに親族が頭を下げるべきだと言って彼らを連れて来たのだが、フィリアとしてはそんなことはして欲しくない、どちらにせよ許せないので謝罪など無駄であるという結論を出していた。
兄の思うところも分かるので、否定はしないが。
と、城からニナがもうひとつ手荷物を持ってやって来る。
「これは餞別だ」
「ありがとう、ニナ」
「兎の里はいつでも聖女様を歓迎する。何かあったら駆け込むといい」
フィリアはそれを受け取ると、兄に向き直った。
「じゃあね、エド。いつになるかは分からないけど、また戻って来ると思うから」
「待ってるよフィリア。今度会う時は、僕に獣人の世界を案内してよ」
「うん!でもそれはニナさんにお願いしたらいいんじゃない?」
エドは顔を赤くする。
「やだなぁ……別に僕は」
フィリアはにっこり笑って言った。
「〝能力開示〟!」
ふわりとエドの眼前に渦巻き状の文字の羅列が立ち上がり、彼は腰を抜かした。
「ふーん?エドの好きなものの中に〝ニナ〟って一応書いてあるわよ?」
「や、やめっ」
「でも、嫌いなものの中に〝威圧的な女性〟って書いてある」
「ちょっと!」
「色々複雑なのね、男心も」
「もう、いいからとっとと行ってくれ!」
ニナはくつくつと笑うと、エドにしがみつく。
「じゃあねエド」
フィリアはふわふわのリュカに飛び乗った。人間の城塞都市の門はもう閉じられることはなく、自由に開けてある。
その開け放たれた門から、フィリアは再び旅立った。
降り注ぐ日差しの中、海へ向かってひた走る。
夜には獅子王から教えてもらった通りにテントを張り、ニナにもらった保存食を食べた。
白狼のふわふわした懐で眠り、川から恵みの水をいただき、湖で水浴びをする。
ひたすら小さな幸せを積み重ねる、長い旅路を進む。
リュカと共に。
猫の港に辿り着くと、先に鷹族から知らされていたらしい猫獣人たちが、のぼりと大漁旗を上げて聖女の到着を待っていた。
「聖女様が帰って来たー!」
その中から、レントが飛び出して来た。リュカは白狼の姿のまま、少年を受け止める。
「帰って来たぞ!」
「リュカも無事でよかった!なんかみんな聖女様の話しかしないからさ、リュカの安否をちょっと心配してたんだよ。さあ、乗って乗って」
青い海の上の、大きめの漁船。
波に揺られ、二人は猫の島を目指した。
海風に金色の髪を揺らし、フィリアは涙ぐむ。
猫の島に近づくにつれ、何かの気配がフィリアを包みつつあった。
「……セシリアを、埋葬しなければね」
「……そうだな」
なるべく早く、埋葬しよう。
きっとセシリアもそれを待っているはずだ。
リュカはそばにいたレントに遺灰の袋を見せて言った。
「レント。セシリアの遺灰を埋葬したいのだが」
レントは急な申し出に目を見開いた。
「ええっ!セシリア様って、千年前の聖女様だろ!?」
「人間の城塞都市で、まだ結界を張ってたんだよ。ずーっと、ひとりで、千年も。そして最後はこのように魔力が切れて、灰になって朽ちてしまった」
レントは猫耳を垂らした。
「……酷いな、人間ってやつは」
「護衛のサシャと、同じところに埋めてあげたいんだよ。猫獣人の長ブノワに許可を求めたい」
「分かった、言って来る」
レントが船に乗り合わせているらしいブノワに話を持って行く。
猫の島から小舟に乗り変え、更に聖女の宿へ向かう。
リュカは、硬い表情のフィリアの肩を遠慮がちに抱いた。彼も、何かを感じ取っているのだろう。
夕陽が周囲を染め上げている。
小島に降り立つと、フィリアの元にブノワがやって来た。
「ご無事で、フィリア様。では早速この島でセシリア様の埋葬の儀式をさせていただきます!」
「ありがとう、ブノワさん」
島の中は慌ただしく動き始める。フィリアとリュカはなぜか宿に足が向かず、落ち着かない様子で儀式の段取りを眺めた。
猫獣人の街角に、火が焚かれる。
それが点々と連なって行く。
祈りの火が、島中に灯された。
その様子をつぶさに眺め、フィリアとリュカは互いが今、生きてここに立てている幸運に思いをはせる。
猫獣人の神官が呼び出され、島に着いた。
フィリアと狼獣人の神官であるリュカにも、猫獣人用の装束が渡される。
島から、葬儀の装束を着た猫獣人たちが出て来る。葬列を作りに来たのだ。
誰かが、古い蔵から装飾性の高い骨壺を持って来た。そこにさらさらと遺灰を注ぎ込む。
フィリアはそれを抱き、葬列の中に加わった。
厳かに、サシャの墓まで葬列が伸びて行く。
墓の周囲を、猫獣人たちが取り囲んだ。




