5.温泉に浸かるべし
食事を全てたいらげ、フィリアは満足げに笑う。
「ふー。とりあえず、美味しいものが食べられて良かった」
リュカもそれを眺めて笑った。
「……これから、どうします?」
「そうね。今日は疲れたし、ゆっくり寝たい」
「狼獣人の村に行きますか?」
フィリアは頷いた。
「リュカがそうしたいなら、従うわ。だって私、獣人界のことは何も分からないんだもの」
「では、参りましょうか」
二人は席を立ち、会計で猪獣人に通貨を支払った。フィリアはそれを覗き込む。どうやら彼らは人間とは違う通貨を使っているらしい。
外へ出ると、冷えた夜風が吹いていた。
「どっちに行くの?」
フィリアの問いに、リュカが答える。
「フィリア様、私の背中に乗って下さい」
そう言うなり風が巻き起こり、リュカがふわふわした大きな白狼に変身した。フィリアはあんぐりと口を開け、獣の姿になったリュカを眺め回す。
「リュカ、狼に変身出来るのね!」
「いいえ、狼が人間に変身しているのが獣人なのです」
「そう。あなたの基本形は狼なのね……」
「行きましょう。用意はいいですか?」
フィリアは小包を自らの体にたすき掛けに結び直すと、リュカの背によじ登った。
ふわふわとした白い毛を撫でさすると、リュカはぐるぐると喉を鳴らす。
「姿勢を低くしてください……行きますよ」
フィリアがリュカの背にひっつくと、リュカはびゅんと闇夜に向かって走り出した。
「着きましたよ」
その声に顔を上げ、フィリアは驚いた。
目の前にあるのは、城塞都市だ。彼女は一瞬、ダントンに連れ戻されたのかと思った。
「ここが、狼獣人の村です」
「獣人の?……その割には随分と人工的な街ね?」
「獣人だって人間並みの知能があります。これは大昔の狼獣人が作った城塞都市・イレオンです」
フィリアが背を降りると、リュカはふわりと獣人の姿に戻った。
「まずは長老のところへ行きましょう。そこで次の指示を仰ぐんです」
「指示?」
「あまりこんなことを言いたくないのですが……フィリア様は人間から命を狙われています。敵の目を撹乱させるために、我々はなるべく居場所を特定されないように動く必要があるのです」
「……そうなのね」
フィリアは身を縮ませ、恐る恐るリュカについて行く。
その体が震えていることに気がついて、リュカは彼女の背中を支えてやった。
城塞の門の前では兵士の獣人が二名立っていたが、リュカとフィリアを見るとすぐに門を開けてくれた。
夜の城塞都市は静まり返っている。足音を響かせて大通りに出ると、すぐ目の前に大きな聖堂が現れた。
「リュカの家?」
「……違います。ここには長老がおわします」
恐る恐る聖堂に足を踏み入れ、フィリアは目を輝かせた。
「わああ、きれい」
小さなタイルを割ってこさえたモザイク画が、壁一面を覆っている。可愛らしい狼のモザイク画が、子供の頃読んだ絵本のように古代狼族のストーリーを伝えている。
月の光が床に落ち、椅子がひとつもない聖堂の空間を柔らかく照らす。
おとぎ話のような、暖かい場所。
二人が扉を開ける音を聞きつけ、奥からひたひたと別の足音が妖精入りランタンを掲げてやって来た。
「あなたは……?」
「よくぞお出でくださいました、聖女様。私はこの村の長老、エメと申します」
狼獣人の村の長老、エメ。
頭部に白い狼の形を残したままの獣人である。
目元は人間らしい表情があるが、口元はどう見ても狼だ。
リュカの顔は人間と同じだが、どうも歳を取った獣人は、変身しても狼頭が残ってしまうものらしい。首から下は人間と同じなので、何だかアンバランスだ。
「おお、これはこれは」
長老エメは声から察するに女性のようだった。
「狼頭の聖女様とは聞いていたが──まさに、神話の通りじゃな」
フィリアは自身のふわふわの白い髪を決まり悪そうに触る。
「狼頭の聖女?」
「ああ。白い髪の聖女様のことを我々は親しみを込めてそう呼んでいる。聖女がこの世に現れた時、獣人は救われるのだから」
「私、よく分かりません……」
「無理もない。聖女様は何も知らされずに幽閉されておったんだろうからな」
フィリアは言い当てられて青ざめた。
「なぜ、あなたがそれを……」
「ふん。狼獣人の中では有名な話だ。狼頭の聖女が人間界に現れる時、人間はこれを殺して〝聖女の器〟を用い、人間界の城塞都市に結界を張る」
フィリアはそれを聞き腰を抜かしそうになったが、咄嗟にリュカがそれを支える。
「こ、殺し……?」
「現に殺されそうになっただろう。本日、16歳の誕生日に」
「!」
「あの呪術を使うには、聖女の遺体が必要なのだ。実に禍々しい術を使っておるものよ、人間も」
「そんな……」
フィリアは顔を引きつらせながらも、今までの思い出の点が線になって行く瞬間を目の当たりにする。
「聖女の遺体──すなわち聖女の器は、空でなくてはならぬ。そこに結界士の魔力を注ぎ込めば、そなたは結界の依代となる。人間界は今後千年は安泰……心当たりがあるであろう?そなたは何も与えられず、何も考えられぬよう幽閉されていたのではないか?」
フィリアはぼろぼろと涙をこぼす。
フィリアのような〝空っぽの〟聖女を犠牲にして、人間の住む城塞都市の安全は保たれていたのだ。
聖女を眺め、長老は口惜しそうに言う。
「我々は千年前、聖女様を助けられなかった──」
フィリアはハッとして目をこする。
「今度こそ、我々は聖女様を助けるのだ。人間が独占していた癒しの力を、我々の手に取り戻す。結界士の魔力を注がれぬよう、聖女様をお守りし、早急に癒しの力で満たさねばならない」
リュカに肩を抱かれ、ようやくフィリアは涙ながらに呼吸を整える。
「教えてください。私は、どうしたら──」
エメは頷くと、重厚な声でこう答えた。
「一番いい方法は──温泉に入るのだ、聖女様」
「……はい?」
思いもよらない提案に、フィリアは顔をしかめた。