47.平和協定締結
リュカの遠吠えに導かれ、各首長たちがボドリエ屋敷に集まった。
獣人たちの、オデロン王を刺す視線は冷たい。
しかし隣に聖女フィリアを伴っているので、皆余計な手出しは出来ずにいる。
議長のニナが言った。
「まあそう固くなるな、人間の王。取って食おうというわけではない。平和協定を結ぼうというだけの話だ」
オベロンは警戒している。ニナはひとつ、息を吐いた。
「ふむ……警戒心、猜疑心、無知。そういったものが邪魔をして、お主は自分以外の誰かを犠牲にせねば安心出来ないのだな?獣人をひとりでも減らそうと躍起になっていただけある。だがな。結界がなくなった以上、お主はこれから骨を折らなければならない。聖女の力を借りず、自らの力で国を統治し、獣人とうまくやらなければならないのだ」
オベロンは目を丸くし、兎耳を生やした小娘が理路整然と説得にかかって来ることに驚きを隠せずにいる。
「お主は今まで怠惰だった。怠惰な王ゆえ、聖女の結界などというものに頼らねばならなかった。お主は王という立場をまるきり捨て置いている。それは王ではない。人間でもない。ただの置物だ。王ならば、話し合え。妥協点を模索しろ。多くの同族を助けるため、自己を犠牲にしろ」
フィリアも、ニナの王然とした振る舞いに息を呑む。
ニナは挑戦的にオベロンに顔を近づけた。
「今までボドリエ家の小娘に押しつけていた聖女の役割を、今からお主が担うのだ。分かったか?老いた王」
オベロンは見えざる何かに怯え震えたが、最早反論する立場を失っていた。
「分かった」
人間の王は早々に折れた。
ニナはまだ疑わし気にオベロンを舐め回すように眺めたが、
「お?警戒の匂いが消えたな」
という言葉と共に、再び老王の度肝を抜いて見せた。どんなに狡猾な人間も、獣人の鼻のよさには敵わない。
「獣人がかように話し合いの出来る者だと、ようやく知ったらしいな。無知も甚だしいが、それはこれから知って行けばいいことだ。とりあえず、お主はこちらの要求を飲め。えーっと、これが各獣人から出された嘆願だ。こちらも人間と同じ字を扱っているから、安心しろ」
オベロンとフィリアは嘆願書を覗き込んだ。細菌を撒き散らさないこと、細菌兵器の工場を閉鎖すること、細菌兵器の知識を流出させないことなどが書いてある。
ここまでの条件は予想通りだった。が、次の文を見てフィリアは目を熱くする。
〝聖女及びその一族を独占せず、解放すること〟
〝人間と獣人との交易を復活させること〟
〝互いの犠牲者を弔うこと〟
獣人は、人間を心から憎んでいなかった。むしろ、共に生きることを望んでいた。
人間はその無知ゆえ、彼らをひっきりなしに攻撃していたと言うのに。
フィリアが目をこすり、オデロンは神妙にしている。
「無理な要求ではあるまい?」
ニナはにこりと笑って見せた。
「新しい時代が幕を開ける。さあオデロン王よ、契約を」
オデロンの前に、羽ペンが差し出される。
彼は祈るように、そこに自らのサインを記した。
再び静寂を取り戻したダントン。
その城内では、夜遅くまで細菌兵器を取り除く作業が続けられていた。
フィリアは落ち着かない夜の城の客室で、聖女セシリアの遺灰を眺める。
「……セシリア」
呼びかけてみるが、彼女の声は聞こえない。
扉がノックされた。
「フィリア、いる?」
大好きな、リュカの声がする。
けれどフィリアはこの遺灰を前にして、彼に飛びつくことは許されない気がしていた。空っぽの聖女にしか抱き得ない哀しみは、リュカに甘えるぐらいでは癒されない。
フィリアは歩いて行くと、扉の向こうに囁く。
「……ごめん、ひとりにして」
しばしの沈黙の後、リュカは言った。
「……分かった」
フィリアはもう、無力ではない。
リュカよりも強くなった。もはや彼に導かれ、守られる立場ではなくなったのた。
フィリアはリュカと一緒にいなければならない理由を見失いつつあった。
(リュカのこと、好きなはずなのに……何で放っておいて欲しいんだろう)
平和が訪れた世の中で、フィリアは急にみんなに置き去りにされた気がした。
最近まで家族に尊厳を踏みつぶされていた経験が、ここに来て自身に影を落とし始めていたのだ。
(私、今まさに〝空っぽ〟になってる)
平和になったら、この癒しの力も、自分の不幸な境遇も、そしてセシリアの悲劇も、急に軽々しく扱われ、誰からも忘れ去られるだろう。
(自分が何のために生きているのか、よく分からなくなって来てしまった……)
そしてリュカは、きっとこのような奇妙な悩みとは無縁であるはずだ、とフィリアは思う。
(きっと、彼は今の私の苦しみを理解出来ないに違いない……)
フィリアは鼻をすすり、ベッドに突っ伏した。
と、その時。
コンコン。
扉が叩かれた。フィリアは慌てて顔を上げると濡れた目をこする。
ノックの主は──
「ニナだ。聖女様、いるか?」
フィリアは扉に声を飛ばした。
「ごめんなさい、今はひとりにして」
すると、一瞬の静寂の後。
「よしっ、入るよー」
断ったにも関わらず、ニナが扉を開けて入って来た。フィリアがあんぐりと口を開けていると、ニナはその表情をまじまじと眺めた。
「お?やっぱり、泣いていたのか」
フィリアは急展開に慌てふためく。
「お、お願い。このこと、リュカには言わないで……!」
「ん?二人の間で何かあったのか?まあいい、聖女様に朗報だぞ!」
言うなりニナは、ユカタと温泉桶をフィリアに突き出した。
「じゃーん!何と、人間の城塞都市にも温泉が湧いていると言うではないか!」
フィリアは毒気を抜かれた。
「……へっ?」
「共に入ろう、いつかの日のように」
ニナはどこかいたずらっぽく微笑むと、こう付け加えた。
「さぁ、温泉でガールズ・トークを始めるぞ!!」




