46.憎しみの連鎖を絶とう
老いた王は血まみれの顔面で叫んだ。
「黙れ!空っぽの聖女の分際で……!」
しん、と部屋の中が静まり返る。
「私がこの国を守るのに、どれだけ苦労して来たと思っているんだ!」
その場にいる王以外の全員がそれを聞いて目をすがめる。
運が悪ければ誰もが〝空っぽの聖女〟になり得たボドリエ家の女たち。
運が悪ければ誰もが細菌の犠牲になり得た猪獣人たち。
運が悪ければ結界の依代として犠牲になっていたフィリア。
運が悪ければ愛する恋人や妹を失うところだったリュカとエド。
皆の心は、この時一致した。
「王族が獣人族とうまく付き合い、あの奇妙な因習を守らなければ、誰も不幸にならなかったのでは?」
フィリアの発言に、オデロンの顔が歪む。
「奇妙な方法で世界の分断を図っていたのは、陛下。あなたの方ではないですか」
オデロンはぎりぎりと歯ぎしりをすると、こう吐き捨てた。
「ああ、ならば王を殺すがいい。それで世界が平和になるのならな!」
「……」
フィリアは王を一瞥すると、踵を返して、腕を斬られたエレンの元に歩いて行く。
彼に手をかざすと、その腕は元通りにひっついた。
「フィ、フィリア……」
震えながらエレンは自身の腕を見つめる。それから、彼はフィリアを見上げた。
「なぜ、治してくれるんだ?」
聖女は答える。
「私、あなたを憎くて攻撃したんじゃないの」
猪獣人たちが、どこかしんみりと聖女を見つめる。
「憎しみを止めるために、攻撃したの。あなたが誰かを傷つければ傷つけるほど、世界は憎しみに歪んで理性を失ってしまうから」
オデロンはじっと聖女の背中を見つめている。
「でも幸いなことに、この世界には聖女の癒しの力がある。争いの後に、その傷を修復出来るの」
ボドリエ家の女たちは聖女の言わんとすることが分かって、皆一様にうつむいた。
「分断に攻撃、世の中はいろんな不幸が渦巻いているけれど──でも、最後に癒したり修復したりすることが、この世界には大事なことなんじゃないかしら。その役割を与えられているのが、本来のボドリエ一族なのよ。決して人間界に結界を張るために生きて来たんじゃないわ。私も……ご先祖様も、そして王族も」
エドが歩いて行って、ボドリエ姉妹の縄をほどく。姉妹らは部屋に散らばると、先程のかまいたちで負傷した猪獣人たちを癒し始めた。
フィリアは歩いて行って、オデロンの顔面の傷を癒した。老王は静かに癒しの力を受け入れる。
「陛下。陛下の仕事は、ここに結界を張ることですか?」
「……」
「少し、今後の獣人と共に生きる世界のことを考えて下さい。多少時間がかかっても構いません。私はあなたを一定期間、お守りすることを誓います」
「……」
ボドリエ屋敷は静寂を取り戻した。
姉妹は地下へ降り、しばらくすると家長のオウルとアントワーヌを伴って戻って来た。
オウルはフィリアを見つけると叫んだ。
「フィリア!お前はどの面下げて……!」
フィリアは泰然と家長を見返す。
「お父様」
「なっ……何だ」
「結界は、もういりません。その代わり、お父様の力が必要なの」
オウルは青ざめた。
「なっ……まさか、私に結界の依代をやれ、と……!?」
その言葉に、フィリアを含めた姉妹全員が怪訝な顔をした。
エドがぽつりと暴露する。
「空っぽの聖女がどうとか言ってましたけど、父上。実は男でもボドリエの血筋であれば結界の依代になることは可能……なんですよね?」
姉妹全員の目が怒りに吊り上がった。
「んなっ、何ですって!?」
「ば、馬鹿な!エド、やめろ!」
「僕も、結界師の研究をするまでは知りませんでした。癒しの力を持つ人間なら、誰しも結界の依代になれることを」
姉妹はオウルに詰め寄った。
「じゃあ今まで、女だけが犠牲を強いられていたの?」
「信じられない!我々を騙してたのね!」
「お、落ち着いてくれ……」
「これが落ち着いていられますか!女だけが女であることに怯えて……馬っ鹿みたい!」
「殴っていい?あとで癒せばいいでしょ?」
「待て!たとえ傷が癒されても、心の痛みまでは……」
「うっさいわ!」
「ねえみんな。お父様だって必死だったのよ。許してあげて?」
「お母様まで共犯だったの!?許せない!」
娘に囲まれて頭をばちばち叩かれ、オウルとアントワーヌは半泣きになっている。
フィリアは遠巻きにそれを眺めて呟いた。
「違うわ、お父様。みんなを癒すのに、協力して欲しいだけなのに……」
労うように、背後のリュカがぽんと彼女の肩を叩いた。
「……終わったみたいだな」
「……ええ」
「もうこれで、犠牲になる聖女はいなくなったんだ」
「……」
フィリアの腰に吊るされた巾着に、みっちりと詰まった遺灰が、重くぶら下がっている。
「……セシリアに、お墓を造ってあげたいわね」
「ああ。でも、それはちょっと後回しだ」
「……」
ふわり、とリュカが狼の姿に戻り、遠吠えを上げる。
〝人間の王を発見〟
〝獣人首長らは直ちにボドリエ屋敷に集結せよ〟




