45.獣人と私たちは同じ
一方その頃。
城塞都市のはずれにあるボドリエ屋敷は、猪獣人たちにびっしりと占拠されていた。
ボドリエ一族は全員縄で縛り上げられ、生け捕りにされている。
「こいつらが、聖なる癒しの力を持つ一族かぁ……」
猪獣人の王子エレンはその中の若い女性たちを舐めるように見つめると、満足げに鼻息を漏らした。
「……一夫多妻も、いいかもな」
「王子!こっちにも分けてくれよ」
「んー?お前らは、そこの幼女たちが大きくなってからにすればいいじゃん」
「何年待てばいいんスか?」
「うっせえな!じゃあ全員俺の子を産んだら下賜してやるよっ」
ボドリエ家の主であるオウルが叫ぶ。
「貴様、覚えていろ!ボドリエ一族を侮辱する者は許さん!」
「あー、うっせーな。おい、男は先にその薄汚ぇ言葉遣いが出来ないように、全員牢屋にぶち込んでそれぞれの前歯砕いときな!」
「へーい」
「やっ、やめろ!」
「やっぱうっせーから、今すぐ前歯砕くわ」
「ふぐっ」
猪獣人の一撃をまともに鼻下に浴び、オウルは黙った。それに呼応するように、男性陣の顔面に次々猪の拳がめりこむ。
「お、お父様……!」
「おじいちゃん!」
「おいお前ら、余計な真似はすんじゃねーぞ。怪我は癒せても、痛みと恐怖は忘れられないものなんだからな?」
悲鳴と嗚咽が様々響き、猪獣人たちは先に血濡れた顔面の男性だけを担いで出て行った。
エレンは周囲を見渡す。
「ところでよぉ……ダントンの王、オデロンとやらが見当たらねーな?」
臣下が答える。
「警護の手薄さから察するに、もう城からは脱出した模様。しかしながら、王座の匂いを追えばすぐに進路は割れます」
「ほー。で?その匂いはどこへ?」
臣下は答えた。
「この屋敷の地下です」
エレンはゲラゲラと笑った。
「人間ってのは賢そうな顔で無知を取り繕っている、どうしようもない馬鹿だな。こちとらすぐ匂いで分かるっつーの」
「おっしゃる通りで……」
「細菌ばらまきまくった罪をあの世で後悔させてやる。ここに連れて来い。衆目の中、なぶり殺しにしてやるから」
兵士は意気揚々と匂いを辿り、部屋を出て行く。
ボドリエ家の女たちはぼろぼろと涙を流した。
「どうしたらいいの?あんな獣に犯されるなんて、私絶対に嫌……!」
「……死にたい」
「だからあの時、もう人間の街なんか出た方がいいって言ったのよ。せめて猪獣人のいない街へ。……どっちみち死ぬんだから」
「マシな死に方を模索するしか……」
「舌をかみ切っても死ねないらしいわね」
「毒ってまだ倉庫にあった?」
再び屋敷のどこかで喧騒が起きる。女たちが凍りついていると、今度はこの部屋にオベロンと護衛の兵士が連れられて来られた。体の巨大な猪獣人には、人間のどんな屈強な戦士も叶わなかったようだ。皆等しく顔面を叩き潰されている。
連れて来られた老王を眺め、エレンは笑った。
「この老いぼれが王様だって?」
オベロンは何か言いたそうに口を動かしたが、痛みで声を出せずにいる。
「よしっ。どうせあとちょっとで天国に行くんだから、ここらで死んでも悔いはねーよなっ」
エレンが拳をぱきぱきと鳴らし、オベロンは目を剥く。
「いたぶって殺す。細菌兵器に殺された仲間たちの仇!」
もっともらしいことを叫び、エレンが拳を振り上げた──その瞬間。
びゅっ。
小さな音と共に、突然の風圧で屋敷の全ての窓ガラスが吹き飛んだ。
同時に、耳をつんざく衝撃音。
エレンはがくがくと震えながら、自らの手を眺めた。
手から先がすっぱりと切れ、なくなっている。
「うわああああ!痛えええええ!」
その叫び声の中、割れた窓から入って来たのは、大きな白狼。
その背中から、聖女フィリアとエドが飛び降りる。
「フィリア!」
「エド!」
ボドリエ家の女性陣が叫ぶ。フィリアは光を纏い、泰然と猪獣人たちの中央に歩いて行った。
「ここにいらっしゃいましたか、陛下」
その強大な力を得た聖女を前にして、オベロンは青くなる。エレンは必死に自らの腕をくっつけていた。
「獣人は敵ではありません」
フィリアは淡々と言った。
「彼らと平和条約を締結致しましょう。人間の城塞都市に聖女の結界など必要ありません。我々は、獣人と共存すべきなのです」
しかし、オベロンの瞳はすぐにかつての狡猾な色をたたえた。
「君も見ただろう!あの頭の悪そうな猪獣人を!」
エレンは痛さに泣きむせいでいる。
「あんなのと我々とが共存出来るわけがない!人間は高潔な存在なのだ。獣とは違う!だから──」
「だから獣人界に細菌を撒いて獣人を虐殺し、聖女を非情な方法で生贄にして、自分達はのうのうと安全圏で生き……それはそれは高潔な生活をしていたわけですね?」
「ぐっ……聖女が、なぜそれを……!」
「私は獣人界を旅して学びました。獣人は、一部を除いて人間と何ら変わらない生活を送っています。もちろん攻撃的な面もありますが、ほとんどの獣人が親切で、誰かを慈しむ心があり、哲学や宗教も持っています。内面だけで言えば、ちっとも人間と変わりありません」
「駄目だ!おい、もう話すな……!」
「リュカ」
フィリアが背後に声をかけると、リュカは狼からふわりと人間の姿に戻った。
人間とほとんど変わりない彼の姿を見て、ボドリエ家の面々は驚く。
「彼は狼獣人。ここに来るまで、ずっと非力な私を守ってくれました」
リュカはぺこりと頭を下げた。
「今、聖女協定に加盟している獣人たちは、猪獣人を追い払うべく戦ってくれています。それはなぜなのか分かりますか?」
オベロンは青ざめる。
「私を──歴代の聖女の悲劇を知っていて、人間ではなくこの哀れな聖女になら協力してあげてもいいと言ってくれた獣人首長が各地にいたからですよ。陛下」
ボドリエ一族の目の色が変わる。フィリアはそれをつぶさに感じ取り、彼女たちに告げた。
「みんな……人間の居場所は、人間界だけではないわ。外の世界にも、優しさはあるの」




