44.聖女セシリアとの対面
猪獣人が大挙してやって来たことで、ダントンは混乱の渦中にある。結界が破られた人間の兵士たちは世界中から押しかけた獣人たちに応戦するばかりで、城の警備など手が回るはずもない。
正直、この状況はフィリアたちにとってはありがたい。
リュカが全獣人にダントンへ集まるようにと遠吠えをし、獣人の渦の中へ飛び込んで行く。
混乱に乗じ、リュカにエドと乗ったフィリアは真正面から城へと突き進んだ。
エドがフィリアの姿を隠そうとマントを被せる。
何もかもを振り切り、三人は正面突破を決め込んだ。
「エド、セシリアがいる部屋はどこだ?」
「こっち、こっちだ」
正面口から人間の警備が手薄になった城内に入る。地下通路に入り込むと、エドは何か呟きながら空中に手をかざし、奇妙な文様を掌に浮かび上がらせる。
「エド、今のは……?」
「結界師だけが使える鍵だよ。さあ、こっちだ。早く」
すると目の前にあった鉄の重い門が、彼らを迎え入れるように次々と開き始めた。
フィリアはマントを取り、その奇妙な光景に口を開けて見入った。
「この先に、セシリアが?」
「僕はその姿をここで見たんだ。急ごう」
一番重厚な扉が、エドの光る手で開かれる。
扉の向こうでは聖女セシリアが十字架に磔にされ、かろうじてぶら下がっていた。
リュカが人間の姿に戻り、三人は部屋の中に入って行く。
「……あの人が、聖女セシリア」
フィリアはふらりと進み出て、真下からかつての祖先を見上げた。
セシリアはうっすら目を開けて、どこか微笑むように皆を見下ろしていた。
フィリアは嗚咽する。
(余りにも、自分にそっくりだわ……似過ぎている)
リュカが背後で囁く。
「……降ろしてあげよう、今すぐ」
フィリアは震えながら頷いた。エドは二人を見比べてから、そっと両の手をセシリアに差し出す。
「やはり、もう結界魔法の効力が切れているようだ。今から、千年前の結界主の捕縛魔法を解く」
宣言するように、エドは物言わぬセシリアに告げた。
彼の詠唱と共にふわりと風が吹き、セシリアの胸を貫いていた剣が霧散する。
ぐらりと聖女の体が傾きあわや落ちるかと思われたが、エドが再び何やら詠唱すると、その遺体はゆっくりと落下速度を落とした。
ぱたん、と厚紙が落ちるような音がし、セシリアは床に転がった。
三人は駆け足でセシリアの元に向かう。
その時だった。
セシリアの金色の髪が、あっという間に白髪に変わったのだ。フィリアは声にならない叫び声を上げ、リュカがセシリアをゆっくりと抱き起こした。
「……セシリア」
リュカがその名を呼ぶ。
エドとフィリアは何かを察して目配せをし、そこから数歩引き下がった。
「セシリア」
リュカがもう一度呼びかけると、それは遺体だったはずなのに、微笑み唇を動かした。
「……サシャ」
その名を呼ぶ聖女の遺体。
リュカの表情がみるみる悲し気に歪む。うっすら開かれていたセシリアの瞳は、かの名を呼ぶや閉じられた。
セシリアの髪が抜ける。皮膚はしわがれ、めくれ上がって零れ落ちて行く。みるみる骨になったかと思うと、それすらも全て粉と化す。
セシリアは磔にされてから千年経って、ようやく体を失い、その生涯を閉じたのだ。
三人の生者は、崩れ落ちるように膝をつく。
そして祈るような表情で、目の前に散らばる粉を余さず集めた。
「……死んでいたのに、喋ったな」
「あれは、聖女が完全に空っぽではなかったということです。当時の結界師が彼女を依代にするためにクリーニングしても取り切れなかった、彼女の意思や思念が残っていたということでしょう」
「……むご過ぎる」
フィリアは震える唇を噛んだ。粉の中には、数滴の涙も入ったに違いない。
三人それぞれ、その粉を手持ちの皮袋に詰めた。
「……サシャの墓に一緒に埋葬しよう」
リュカの言葉に、ついにフィリアは耐え切れなくなって泣き崩れた。慟哭が地下室に響き渡り、男二人がかりで彼女を両側から支える。
「早くここから出るんだ。泣いている暇は、あいにく我々にはない」
エドがなだめ、リュカが狼の姿になる。震える妹を狼に乗せ、エドが言う。
「次はボドリエ家だ」
フィリアは驚いて背後の兄を見上げる。
「なっ、何で今更……!」
「治癒の力を手に入れたいのは、人間も獣人も同じだ。聖女の遺体の蹂躙は免れたが、下手をすると次は──」
フィリアは理屈が分からず呆然とする。リュカが言った。
「獣人と人間は子が成せる。つまり治癒力を手に入れたい輩は、ボドリエ家の血筋を略奪に来るはずだ。下手したら彼らが金銭で取引されたり、奴隷にされることだってあり得る」
フィリアは猪獣人の言っていたことを思い出し、青ざめる。
「そんな……!」
「だから急ごう。エド、どっちに行けばいい?」
「あっちだ!」
三人は再び、戦火のダントン城下町に向かって走り始めた。




