43.再びの、ダントンへ
リュカの背中に乗り、ひたすら野を駆ける。獣人会議の面々も、一気呵成に走り出した。
フィリアとエドは、遠くにダントンを見た。
と、軍団の足が止まる。
皆一様に息を呑んだ。
結界は消え失せ、猪獣人たちが大挙してやって来ている。
周囲には、ハゲタカのごとく人間の都市を食い荒らす獣が群れていた。
黙って、全員祈るようにそれを見守る。
エドがリュカの背から降りた。
「……終わった」
フィリアは絶望に無表情になる兄を見上げ、首を横に振った。
「助けよう、人間を」
「いや、無理だ……」
「大丈夫!私の力があれば……」
フィリアがそう言い出そうとしたところで、
「聖女様」
獣人らの様子が変わった。
「人間の味方をなさるなら、我々はここで引く」
フィリアの顔は真っ青になった。
「人間に虐げられても、人はやはり人か。獣人とは相容れないのだ」
フィリアは首を横に振った。
それをじっと見つめていたリュカが、ふわりと人の形に戻って問う。
「フィリアは、どうしたい?」
フィリアはリュカを見上げる。リュカは、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見下ろしていた。
「私?」
「うん」
何を言えば全員を納得させられるのか悩んでいると、彼は言った。
「何を言ってもいい。俺はフィリアについて行く」
場は静まり返った。
「狼は、人生で一度しか恋をしない。俺はフィリアのためなら何でもする」
フィリアはじっと考え、ぎゅっと唇を噛む。
「……ごめんね」
「前も言っただろ。覚悟は出来てる」
フィリアは知っている。
リュカの「何でもする」は、基本的には獣人全体のためになることだけなのだ。彼があえて反感を買いそうな言葉を使った意図も、フィリアには見えている。フィリアが必ず場を収めてくれる。そう信じているからだ。
それも踏まえた上で、じっと考える。
一生分の拙い言葉を、全部使って。
「癒しの、力」
フィリアは顔を上げた。
「それを使えるのは、一部の人間だけなの」
獣人たちが、少し耳と目を開いた。
「つまり人間を殺戮すれば、癒しの力が獣人に行き渡らなくなるってことなの」
フィリアは言いながら、静電気をばちばちと放電した。
「癒しの力が行き渡れば、人間の撒いた細菌にも勝てる。つまり、もう争いの種はなくなる」
次第に、理屈をこねた己の口は、言いたいことを言うようになる。
「それに、あなた達のために死んだ聖女セシリアは、一体何のために産まれて来たの?蹂躙されるため?産まれたことを後悔するため?いいえ、違うわ……」
フィリアの脳裏に、リュカとサシャの姿がオーバーラップする。
「産まれて来て良かった、って思うために産まれて来たのよ。獣人を愛し、人間を憐れんで、その間に自分が立てることを証明するため。私がこの分裂した世界を救うという、ただそれだけのため」
過去の聖女と今の聖女が共鳴する。
「私、セシリアを救うわ。そして未来の聖女を救う。もう二度と、こんな悲劇を繰り返さない」
聖女が救われると、獣人も救われる。
そう思い協力して来た事実を、そこで獣人たちはようやく思い出したようだった。
空っぽの聖女。
その中に、どっと獣人たちの悲願が雪崩れ込んで来る。
ニナが前に進み出た。
「ふむ、聖女様を救う……か。そのシナリオも悪くない」
シリウスが唸りながら言う。
「聖女様だって、みんな好きでこんな役割をやっていたわけではないのだからな。ちょっとばかし我儘に付き合ってやってもいい」
エドはほっとしたように目をこする。
「僕たち家族は獣人たちのために癒しの力を使う。約束するよ」
次第にフィリアは光を纏う。
バシリクで見せたものと、同じ色の光。
「ありがとう、みんな……!」
フィリアははらはらと泣き出した。リュカが寄り添って、そっと肩を抱いてくれる。
エメが静かに言う。
「作戦を練ろう。隊を編成する。ボドリエ家救出隊、猪獣人の駆除隊、聖女の遺体収容隊……」
「僕がボドリエ家を探します。見当はついてる」
「獅子連中で猪を駆除しよう」
「兎は王を探し出すわ。平定の準備に入らせてもらうわよ」
フィリアはリュカに視線を送り、頷き合う。
二人で聖女の遺体を持ち帰る。
そして、千年という時を超えて、悲劇を終わらせるのだ。




