41.兄貴の苦言
とりあえずエドが兄であったことが判明したので、フィリアたっての願いで彼は牢から解放された。
ニナによって小宴が設けられ、獣人二名と人間二名は向かい合って座る。
「ええっと、君は……」
エドに声をかけられ、リュカはぺこりと頭を下げた。
「彼はリュカ。狼族の神官なの。ずっと私を護衛してくれてたのよ」
フィリアが横からそう一息に言うと、エドは頷いた。
「そうなんだね、ありがとう。リュカとやら。僕が来たから、もう妹の護衛はいらないよ」
フィリアとリュカは顔を見合わせる。
「あのー……」
「リュカにもやることがあるだろう?」
フィリアが顔を赤くして縮こまっていると、ニナがあっさりこう言った。
「エドよ、妹を困らせるでない。フィリアはリュカを好いておるのだから」
フィリアはあんぐりと口を開け、エドは持っていたスプーンを取り落とした。
「え!?だって相手は獣人だぞ!」
「種族を超えた愛だ」
「ちょ、ちょっとニナ……!」
フィリアが慌てて割って入る。エドが慎重に尋ねた。
「フィリア、本当なのか?」
フィリアは真っ赤な顔でリュカを見やる。
リュカはにっこりと微笑んだ。
フィリアは兄に向き直る。
「……うん」
「そうなんだ……いやー、これは驚いた」
「……ごめんなさい」
「何を謝ることがある。誰かを好きになるのはいいことだ」
「エド……」
当たり前のことを当たり前に言ってくれるのがエドのいいところなのだと、フィリアは思い返していた。
エドは父親のような顔をして、リュカに尋ねる。
「君は、フィリアのことをどう思っているんだね」
リュカは真っすぐエドを見て言った。
「好きです。一生、彼女のそばにいられたらと思っています」
エドはリュカをじいっと眺めてから、急に真っ赤になった。
「ぐっ……今、凄い胸に来た……」
「エド、大丈夫?」
「うーん。いい意味で、彼は人間とちょっと違うなぁ。視線の厳しさというか、思いの深さというか……」
ニナが吹き出し、リュカもうんうんと頷く。
「そっか。フィリアは獣人界に出て、素敵な人たちと出会えたんだね」
フィリアは微笑みながら、弾むように頷いた。
エドはそんな妹を、眩しそうに見つめる。
「じゃあそのまま、フィリアは獣人界に居たいってことなの?」
フィリアは答えた。
「そうね、もう人間界には戻らないつもり。殺されて結界に縛られるなんて、御免だもの」
ふと、それを聞いたエドの顔が蒼白になる。
「……エド?」
「……そうだな。本当に、その通りだ」
エドは城の地下で見た、聖女の遺体を思い出していた。
「僕は、見たんだ。結界師になる前に王宮の地下で……聖女セシリアの遺体を」
食事の席が、いっきにひりついた。
「エド。セシリアを見たの!?」
「ああ。あんまり言いたくないけど、ひどい殺され方をして、でも遺体は腐ってなくて」
フィリアも青くなる。
猫の島で聞いた、サシャの懇願。
やはりまだ彼女は、ダントンで結界の依代を担っていた。
「あれを見てから、色々調べた。結界の寿命は千年。正直、あと一か月もしない内に時間が切れるんだ。そうなると人間界から結界がなくなり、城塞都市ダントンは丸裸になる」
ニナがじいっと考え込み、エドに尋ねる。
「ほう……それは、かなり恐ろしい惨劇が始まるであろうな」
エドが困惑気味に振り返ると、ニナは淡々と述べた。
「人間が撒く細菌兵器に、我々獣人は何度も殺されて来た。その恨みつらみが、結界の消失と共にどっと人間界に流れ込むであろう。これを機に人間を根絶やしにしようとする動きが確実に出る。この際だからはっきり言うが、兎族の一部からもそういう願いを聞くことがあるのだ。新たな聖女の登場は、人間を根絶やしにするチャンスであるから、兎族も進軍するべしと」
エドは唾を飲み込む。ニナは努めて笑って見せた。
「安心しろ。私は人間を滅ぼすつもりはない。出来れば、共生したいと考えている。だが他の種族はどう思っているか分からない。特に、聖女協定から外れている獣人は」
「聖女協定?」
エドが尋ねると、リュカが答えた。
「空っぽの聖女を人間界から助け出そうと結んだ、獣人界の協定です。聖女は癒しの力を使えます。我々は細菌兵器に対抗するために、癒しの力を手に入れたい。そこで空っぽの聖女を助け出し、獣人界で癒しの力を取り戻してもらおうと今までやって来たのです」
それを聞くや、エドは落胆交じりにため息をついた。
「何だ、そういうことなのか。獣人も、聖女を利用しようとしていることに変わりないじゃないか」
リュカは少し苛立たし気に咳払いをしたが、平静を保って言う。
「だからって、人間のように彼女を殺そうとしたりはしない」
「うちの妹は、マシな方を選ばされるというわけか?」
リュカはエドを睨んだまま押し黙る。
「エド、やめて」
フィリアが入って来る。
「私はこれでいいの。殺されるよりマシっていう消去法じゃなくて……私、リュカが」
「何か釈然としないな。あれが演技だったらどうするんだよ。大体、人間さえいなくなれば聖女の力はもういらないだろう。これを機に人間が滅ぼされたら、お前はお役御免になる」
「エド……!」
リュカが反論する。
「じゃあどうしろと?先に言っておくが、狼獣人は人生に一度しか恋をしない。本能で、そう決まっている」
エドはぽかんと口を開けた。
「俺はフィリアの護衛に選ばれた。その時点で、人間に殺される覚悟は持っている。獣人界のためにフィリアだけを好きになって、嫌われても、別れても、好きなまま死んで行く。演技だとか騙されているとか、そう思いたければ結構だが……俺は、そうやって本気で聖女を守っている。で、多分フィリアは、本気で守ってくれていると感じたから、俺について来てくれているんだと思う。それじゃダメなのか?」
エドは赤くなり、ニナが一蹴する。
「兄上、野暮だぞ野暮。特にこの若い狼の前ではな」
リュカの正直な感情の吐露で、少し風向きが変わったとフィリアは思った。
エドは恥じ入るように頭を掻く。
「そっか……僕、理屈っぽかったかな」
「まあお主も兄ゆえ、そういうことを言っておきたかったのは分かる。ちゃんと義弟候補の本音をほじくっておかねば示しがつかん。まあそういうわけだから、リュカ。色々と差し迫っているようなので、一度、聖女協定に参加している獣人で会議をしておきたいと思うのだが、どうだ?もちろん、聖女様と兄上にも参加を願いたい」
フィリアは笑顔で頷き、エドは緊張に背筋を伸ばした。




