40.兄との再会
部屋に来た兎耳筋肉兵士が言うことには。
「聖女様の兄貴を名乗るエドという男が、現在ヤムナの地下牢で聖女様を待っているんです。黒い髪をひとつ結びにした、眼鏡の男です。何でもそいつ曰く、自ら結界師になったとかで、自分が結界魔法を先延ばしにすることで妹を助けたいと」
フィリアは目を見張った。
「エドが、結界師!?」
「だから聖女様を近づけるわけにゃいかねェと思うんだが……その結界師がのこのこ敵陣へやって来たわけも色々考えちまう。罠か、はたまた本当にそう思って決死の覚悟でやって来たのか……」
リュカが言う。
「顔を確認する際、何をされるか分からないな」
フィリアは自身の金色の髪を見つめ、リュカに反論する。
「こっちが加護の力を使っていれば、不意打ちされる危険はないと思う」
「そんな調子で大丈夫か?念には念を入れた方がいいぞ」
「……多分、大丈夫」
「悪いけど、根拠のある話とは思えない。結界師の魔力の方が強いかもしれないんだぞ」
フィリアはうなだれた。
正直、フィリアはエドが悪企みをするような人間には思えなかった。
「エドは家族の中で唯一、私に親切にしてくれたわ」
聖女は、別れ際にエドに握らされた貨幣のぬくもりが忘れられない。
「私に童話を読んでくれたのも、字を教えてくれたのもエドなの」
リュカは頭をぼりぼりとかく。
「とにかくひと目会いたいわ。昨日も話したじゃない。人間と獣人の関係が良くなれば、私みたいな不幸な聖女は現れないんだって」
「うーん、フィリアがそこまで言うなら……」
リュカは腹を決めた。
「でも、約束してくれ。あっちが不審な動きをしたら、即、俺がエドの喉を噛みちぎるから」
フィリアは頷いた。
「じゃあ名残惜しいけど、そろそろアガサを去ろう。とにかく一度、そのエドとかいう兄貴に会わないとな」
フィリアは前を向く。
その瞳には、もう以前のような子供じみた迷いはない。
一方。
エドが兎の里の地下牢に入れられて、一週間が経過していた。
彼は妹を待っている。
しかし、しょっちゅうやって来るのは、ニナの方だ。
「おいエド。何か食いたいものはあるか?」
すっかり人間詣でが日課になったニナは、牢を挟んでエドと対峙する。
エドは最初こそ警戒していたが、すっかりニナのざっくばらんな様子に慣れ切っていた。
「もうあんまり食べたくないです。散歩でもしたいです」
「それは無理」
「まだ信用されないんですか、僕は。夫になれとか言っといて……男の心を弄ばないでいただけませんか」
「別に夫を信用する必要はなかろう?一生牢で飼い殺……」
その時だった。
兎耳兵士がやって来て、慌ただしく女王に耳打ちする。
ニナは難しい顔で、再びエドに向き直った。
「何ですか?」
「ふむ……どうやら、そなたの妹が来たらしいぞ」
彼女がそう呟いた次の瞬間。
牢の後方の格子扉から巨大な白狼がぬるりと入って来て、エドは腰を抜かした。
「へ!?へ……!?」
「聖女様に何かやらかしたら、即その狼が喉を食いちぎる予定なので、その気でいてくれ。いざ、対面ぞ」
「うわわわ」
兎耳兵士も入って来て、手早くエドを簀巻きにする。
「何これ!急展開過ぎますって!」
「結界師に結界の用意をされては困るからのう。ほれ、入っていいぞ」
と同時に。
こつこつと、足音が下りて来る。
エドは目を見開いた。
そこには少女らしい旅の服に着せ換えられ、すっかりふっくらとしたフィリアが立っている。
「……フィリア!?」
しかも髪はかつての白髪ではなく、栗色に近い黄金色に染まっていた。
部屋に閉じ込められて可哀想なぐらいに縮んでいた背中はぴんと伸びている。ニナと見紛うほどに目に光りを宿すようになっている末妹が、そこにいた。
エドは目をこする。
何度も何度も目をこする。
「よ、よかった……」
フィリアは警戒するように、黙って兄を見つめている。
「フィリア、血色が良くなった。きっと……美味しいもの、いっぱい食べたんだね」
フィリアは黙っている。
「僕があの日あげたお金、役に立った?」
フィリアの顔が歪む。
と、彼女はものも言わずしゃがみ込んで泣き出してしまった。
ニナは横でしゃがみ込み、聖女の背中をさすってやる。
「……聖女様の兄上だな?」
フィリアは泣きながら無言で頷いた。
「そうかそうか。ま、兄だと言うことには間違いなさそうだな。問題は──エドの目的だ」
ニナの言葉に、エドはまだ自分が獣人から信用されていないことを悟る。
彼は言った。
「前も言ったはずだ。僕の目的は、結界なんかなくても人間が暮らせるようになることだ。ボドリエ家の誰かが二度と犠牲にならないようにしたいんだ。もう、こんな嫌な思いを誰にも味あわせたくない。自分たちの血族がこんな目に遭うのは、もう耐えられないんだ」
地下がしんと静まり、ふわりと風が吹いた。
「……結界師よ、何か方法はあるのか?」
背後からいきなりリュカに話しかけられ、エドはまた驚きに引っくり返る。
「うわっ!今度は誰だよ、もう!!」
「だーかーら、何か解決方法を知っているのかって聞いてんの」
エドは口を尖らせる。
「それが……分からなくて困ってる」
獣人と人間たちは目配せし合った。
フィリアが言う。
「獣人と人間が、仲良くなれたらいいと思うんだけど」
エドは肩を落とす。
「人間が結界をなぜ欲しているかというと、種族同士で仲違いをしているからというわけじゃない。人間側が過剰に防衛しているからなんだよ。獣人を得体が知れない生き物だと思ってる。そこに一番の原因があるんだ」
四人で押し黙ってから、ふとリュカが呟く。
「でも、治癒の力があれば──少し状況は変わって来るかもしれないぞ」
ボドリエ家の二人は顔を上げた。
「人間の作った細菌兵器が、意味を成さなくなる。それはつまり、獣人側の恨みを聖女という人間が減らして行くということなのだから」
エドはハッとし、考え込むように頷いてから、ふとリュカを振り返って尋ねた。
「ところで君、……誰?」




