39.種族を超えて
部屋に戻ったフィリアとリュカはしばらく何も話せずにいたが、どちらからともなく互いにそっと抱き合った。
今こうしていられることが、本当は奇跡なのだ。
二人は当然のようにひとつの布団に入る。そこでも寝転がりながら、求めるようにきつく抱き締め合う。
千年前。
イレオンの聖堂にあったモザイク画以上のことを、今日二人は知った。
千年前の聖女と狼も、互いを愛していたのだ。
先に口を切ったのはリュカだった。
「……結界って、何のために必要なんだろうな」
フィリアは答える。
「結界なんか、必要ないわ」
「そうだよな……」
「でも人間は、獣人にひどいことをし過ぎてしまったから」
「……」
「過剰に防衛せざるを得ないんだわ。愚かなことに──彼らは不安でしょうがないの」
二人は見つめ合う。
「リュカは、人間を許せる?あなたの両親を葬った人間を」
リュカはゆっくりと瞬きをしてから、こう答えた。
「……今なら、許せる」
「なぜ?」
聖女の問いに、リュカは微笑んで見せる。
「フィリアが好きだから」
フィリアは頷いてから、一筋の涙をこぼした。
「フィリアを好きになったから、最近は、余計に人間と理解し合いたいと感じる。結界なんか必要ないと人間が考えれば──フィリアは犠牲にならずに済むんだから」
そう言うと、リュカはそうっとフィリアにキスをした。
フィリアは泣きながらじっとして、そのまま彼に身を委ねる。
「俺、フィリアと離れたくない」
聖女は頷いた。
「サシャは、俺だ。俺もあと一歩間違っていたら、あっち側にいた」
フィリアは落ち着かせるように、リュカの頭を撫でてやる。
「二度とあんな不幸があっては駄目なんだ。二度と──」
フィリアはリュカの腕の中で囁いた。
「リュカ。私……」
彼女は今や死も生も、全てを覚悟していた。
「逃げ回るだけでは、ずっと根本的な問題は解決しないと思うの」
リュカは体を離した。
「フィリア……?」
「きちんとダントンの王と話し合って、獣人との信頼関係を築くべきだと思うわ」
「早まるな、危険だよ」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「……そうだな。これは二人で話し合ってもしょうがないことだ。一度、獣人を集めて話し合いをした方がいい」
「話し合い?」
「そうだ。以前、聖女協定を結んだ時のように」
フィリアは素朴な疑問をぶつけた。
「聖女協定って、いつ出来たの?」
「フィリアと俺が産まれた時だ。エメは当時も長老だから、協定の会議に出席していたはずだ」
「ふーん。よく私が産まれたって分かったわね」
「ま、あんまり大っぴらには言えないけど……ダントンを出入りしていたり、飼われていたりする家畜やペットから、情報を得ているんだよ」
「!そうなの!?そんな仕組みがあったのね……」
「サシャの話の通り千年前の結界がそろそろ解けるなら、混乱期に入る。より、聖女の力の奪い合いは激化するだろう」
「ならば余計に私達、ぶらぶらするわけには行かないわね」
「一度、猫獣人に大陸までこのことについての伝言を頼むか。島は安全だから、出ない方がいいかもしれない」
二人の体温ですっかり温かくなった布団で、二人は手を繋ぐ。
「ずっと、二人でいられるように頑張ろう」
フィリアは頷いた。
「そのためなら、世界だって変えてやる」
フィリアは泣きながら頷く。
「リュカ……ありがとう」
「ずっと、死ぬまで二人でおやすみって言えるように」
「うん」
「……おやすみ」
「……おやすみなさい」
二人は溶けあうように、眠りの世界へ落ちて行く。
翌朝。
塩鮭の焼き魚に黄色い卵焼き、シャキシャキわかめの味噌汁にふくふくのご飯というシンプルな朝食に、フィリアは日常の輝かしさを思う。
聖女が今願うのは、つつがない日常。
気づけば、フィリアの髪は卵焼きと見紛うほどの黄金色に輝いていた。
リュカも目を丸くする。
「あれ?昨日まで、こんな色じゃなかった気がするけど……」
フィリアは肩に落ちる自らの髪を眺める。
「そうね」
「あんまり楽しい感情にはならなかったはずなんだけどな」
「よく分からないけど……昨日、大切なことに気づいた気がするから」
「なるほど……」
癒しとは、何も誰かにおもてなしされることだけではないのだ。
聖女の自覚の芽生えや運命を受け入れることが、ひとつひとつの癒しの度合いを深くすることもある。
「今日を、大事にしなきゃ」
「……そうだな」
と、その時だった。
「たっ、大変だ!」
レントがいつになく慌てた様子で駆けこんで来て、リュカとフィリアは身構えた。
「どうした?」
「なんかヤベーのがアガサに来たんだ!」
「ヤベーの?」
「兎耳を生やしたムキムキの兵士だよ!」
二人は顔を見合わせた。
「あ、多分それ、知り合い……」
「知り合い!?」
「でも、なんで兎族の兵士がここまで来たんだろうな?」
「知り合いなら話が早いや。じゃあ、ここに通していいんだね?」
「一応、用件を聞いてもらってもいいか?」
「ああ。ちょっと待っててね」
二人は黙々と朝食を食む。
しばらくすると、少年は戻って来た。
「聞いて来たぜ!ええっとねー、兎の里に聖女様のお兄様であるエドさんを匿ってるから、一度顔を見せに来て欲しいんだってさ」
フィリアは思わず味噌汁をむせた。
「へっ……!?エド!?」
「うん。そう言ってる」
リュカは怪訝な顔でフィリアを眺めた。
「本当か?何でまた、フィリアの兄貴が兎族に捕まってるんだよ」
「分からない……とりあえず、兎族の兵士さんに詳しい話を聞いてみた方が良さそうね」




