38.サシャと聖女
蟹と錦糸卵の釜めし。花麩とすりおろしれんこんのお吸い物。さばの山椒焼。色とりどりの連結皿には、ほうれん草のおひたしと菜の花のからし和え、さつまいもの甘煮がそれぞれ乗っている。
レントが湯豆腐にゆず味噌を回しかけてくれる。
コース料理とは違いいっぺんに出て来るので、二人の部屋には食事の湯気と香りが華やかに充満する。
それに弁当とは違って、全てが温かい。
フィリアは箸が使えないのを寂しく思いつつ、フォークで食べ始めた。
ふと、先程の声が脳裏によみがえる。
「ねえ、リュカ」
「ん?」
「言いづらいんだけど……さっき、声がしなかった?」
「声?」
「うん。セシリア、って」
ふとリュカが緊張の空気をまとった。
「おい、もしかして、それってサシャの声か?」
「多分。早速温泉の効能が……」
リュカが豆腐に箸を入れながら言った。
「ちょっと不安だが、行ってみるか?夜の墓に」
フィリアは凍えるように頷いた。
「……何か伝えたいことがあるのかもしれない。いいことならいいんだけどな」
リュカと温かい料理を食べながら、フィリアは墓石の冷たさを思う。
夜の海。
真っ暗な中、波のさざめきと星の瞬きだけが聞こえる。
暗くても、海と水平線の境界はうっすらと白濁している。
松林の中、二人は墓石を眺めた。
意を決して、フィリアが囁く。
「サシャ」
すると──
急にふわりと風が吹き、フィリアの目の前に人型の青い炎が立ち上がった。
同時に、リュカは色々と警戒して狼の姿に変身する。
フィリアの目の前に現れた人影は、徐々に何かを思い出すように男性の姿になる。
聖女は息を呑んだ。
そこに立っていたのは、獣人のリュカそのものだったのだ。
「あなたが、サシャ?」
フィリアが問うと、問われた獣人の霊は目を開けた。
──セシリア。
フィリアはどきりとする。
どうやら向こうは、こちらを千年前の聖女セシリアと勘違いしているようなのだ。
──迎えに来てくれた。
フィリアは泣き出しそうになって、首を横に振る。
「ち、違います。私はフィリアです」
サシャは困った顔をする。フィリアは千年前の悲劇を予感し、ひーっと喉を絞り上げて泣いた。
──違う?
すぐに彼は落胆の表情になった。
──いつになったら、こっちに来てくれる?
フィリアは愕然とする。
千年前の聖女は、どうやら完全に死んでいないらしい。
──ずっと、待ってる。
フィリアは涙にむせいで、何も言い出せなくなってしまった。サシャの悲しい顔はリュカとオーバーラップし、見るに堪えない。
「サシャ……私、千年後の聖女なの」
その言葉で、サシャは真顔になる。
どうやら、彼は全てを悟ったようだった。
──そうか。そういうことか……
彼はしばらく下を向いて何か考えてから、再び聖女を見つめた。
──ということは、まだ、セシリアはダントン城内で磔にされている……
フィリアは目を剥いた。
「磔?」
──ああ、結界師の魔力を込めた剣で貫かれ、十字架に……
そこまで言って、サシャは喉を詰まらせた。
──俺のせいで。
「やめて、サシャ。あなたのせいじゃないよ……」
フィリアは手を顔に当て、泣きながら首を横に振る。
──ということは、君は次の聖女……?
フィリアは顔を上げた。
「そう。そうなの。私は狼頭の聖女フィリア」
──ならば、そろそろダントンの結界魔法が切れる。
フィリアはリュカと顔を見合わせた。
──結界は千年に一度切れる。
「結界が切れると、どうなるの?」
──ダントンが危ない。そうなると、セシリアも……
フィリアの胸がずきりと痛んだ。
──君達にお願いがある。
サシャは泣き出しそうな顔で言った。
──セシリアの遺体を助け出し、ここに埋めて欲しい。
その瞬間、フィリアは再び声が出ないほど涙にむせいだ。
──人間に恨みを持つ獣人族は多い。彼らが攻め入れば、きっと聖女の遺体も弄ばれる。
リュカはそっと目を閉じた。
──無理にとは言わない。だけど……
サシャは言葉に詰まりながら言う。
──あの子は……生きている間も、死んでからも、全く安息が……何のために産まれて来たのか……
海の音。
誰も何も言えなくなってしまった。
──せめて、最後にひと目。
ふわりと風が吹く。
──最後に、ふたり、この島で。
「分かったわ」
フィリアは目をこすりながら前を向いた。
「結界が切れた日には……なるべく、早く連れ帰るわ」
──そうしてくれると、助かる。
すると、再び青い炎が上がった。
目の前からサシャは消え失せる。海辺の松林には、目を真っ赤に泣きはらした聖女と狼が残された。




