33.栗と蒔絵の箱膳
静かな浜辺。
二人で感傷に浸りぼんやりと海を眺めていると、島に例の鐘の音が鳴り響いた。
聖女と狼は再び手を繋ぎ、浜辺を伝うようにゆっくりと宿へ戻る。
木造二階建ての、瓦屋根の宿に着く。広い玄関を入ると中庭があり、季節の花々が咲いていた。
潮風に乗って、竹のさざめく音が吹き渡る。
二人の案内された部屋は、簡素で小さな部屋だった。
紙がはめ込まれた窓を開けると、青い水平線がフィリアの目に飛び込んで来る。
「わ~、いい眺め!」
フィリアが目を輝かせて叫ぶ。リュカはいぐさの床にごろんと寝転ぶと、うとうとと横になった。
「ねえ、リュカ。あれ……」
声をかけたが、狼は気を失ったように眠ってしまった。
フィリアはふとリュカの腹に視線を移した。
傷跡が沢山残っている。
治癒の力を使ったと言っても、傷跡だけは残ってしまうものらしい。
フィリアはそれを見つめ、様々な思いが胸に迫る。
聖女のために事前に旅立ち、旅路の記録を一冊の本にして、更にその三年後には命懸けの護衛をする。
フィリアには想像もつかないような、過酷な少年期を送ったに違いない。
そして実際、本来ならば即死してもおかしくない痛みや衝撃に見舞われた。
聖女はリュカを覗き込み、その白い髪を撫でる。
(私、リュカに何が出来るだろう)
そんな時。
部屋の引き戸を開け、レントが入って来た。
「聖女様。まだ昼食の用意に時間をいただきますんで、こちらを飲んでお待ちください」
フィリアは頷く。
低い机に白い陶磁器が置かれ、とくとくと翡翠色の茶が注がれる。
「このお茶、なあに?」
「これはこの猫族の村アガサの特産品、アガサ緑茶です」
「へえ、ここはお茶が名産なのね?」
「はい。大陸の紅茶とは違って、砂糖を入れないで飲むんです。その代わり、とっても甘い茶菓子を一緒に食べるんですよ」
「へー、お菓子!」
「勿論お持ちしましたよ。今日はこれです」
レントは小さな木箱を開けると、金箔入りの懐紙の上にそれを乗せてフィリアに差し出した。
黄金色に輝く、栗の茶巾絞りだ。
それをひよこの形にして整えてある。
「わあ、可愛い!」
「栗のお菓子です」
「食べてもいいかしら」
「どうぞ」
フィリアはひよこの頭に容赦なくかぶりついた。
それから、ほろ苦い緑茶をいただく。
すっきりした緑茶の香りと甘ったるい栗の香りが交互に鼻に抜けて、聖女はほっとした。
ふと風が吹き背後を振り返ると、リュカが白狼の姿に戻って昏睡していた。
「……リュカの分もある?」
「勿論です。けど、お疲れで今は食べられそうにないですね」
「少し昼食の時間をずらしてもらってもいいかしら」
「いいですよ。今日の昼は当初からお弁当の予定でおりましたので、いつでも食べられます」
フィリアは一時間後に弁当の用意をしてもらうことにした。
レントが一時退出し、フィリアはリュカのふわふわの腹を撫でる。
少しだけフィリアの腹を満たした緑茶と甘味。
潮風が竹を鳴らす音。真新しい、いぐさの香り。
そばには、好きな人が眠っている。
フィリアはその時、千年前にサシャがここに骨を埋めてくれと頼んだ理由が分かった気がした。
聖女は何だか悲しくなって来て、ぐしぐしとひとり泣きじゃくる。
と。
ふわりと再び風が吹き、リュカがそうっと目を覚ました。
「……何で泣いてるんだよ」
フィリアはその声に驚いて飛び上がった。
「リュカ!びっ、びっくりしたぁ」
「……ご飯まだ?」
「リュカが寝てるから、一時間後に来て貰うことにしたの」
「ああ、そう……」
気だるくリュカは起き上がって、机上に目を移した。
レントが用意してくれた茶器セットがそこにある。
フィリアがそろりと進み出た。
「リュカ、お茶まだあるから入れようか?」
「うん」
丸い漆塗りの木箱を開け、茶器とひよこの形をしたお菓子を取り出す。
とくとくと陶磁器に茶を注いであげると、リュカはそれを口に含んでから
「渋っ」
と言った。
「あら……思った以上に時間が経ってたみたい」
「まあいいや。これはこれで、お菓子の甘さが引き立つよ」
リュカは菓子を頬張ると、再びいぐさのマットの上で横になった。
「アガサはさぁ、この畳がいいんだよな」
フィリアも真似をして横になってみる。
「タタミ?」
「この、草で編んだマットのことだよ」
「へー」
「床にそのまま寝転がれるんだ。顔に草の跡がつくけど」
青臭い香りが日の光に溶け、いい香りが立ち上る。
「リュカ、お腹痛くない?」
「古傷みたいには痛むよ。まあでも、それぐらいかな」
「私、人を癒したのはあれが初めてだから、上手く行ったかどうかちょっと不安なの」
「そっか。でもこれだけ動けるから、きっと大丈夫」
もう少しで、弁当が出来そうだ。
「アガサの宿……とっても研ぎ澄まされてて、静かで、いいところね」
「ああ。俺も三年前ここに来た時は感動した。こんないいところがあるんだって」
「海に囲まれてるのも、いいわね」
「そうだな。敵が泳いで来ることもないからな。海は自然の要塞だ」
しばらくして、再び引戸が開けられた。
「聖女様、お弁当をお持ちしましたよ」
レントの運んで来た漆の盆には、美しい蒔絵の入った箱膳がふたつ並べられていた。




