32.聖女セシリアと狼の思い出
船は大きな島に着いた。
狭い島に、ぎっしりと猫族の木造家屋が建ち並んでいる。海に囲まれ、ある意味城塞都市よりも敵の侵入を阻める都市だ。
フィリアたちが降りると、レントが挨拶もなしに島へ駆け出して行く。
ブノワが来て言った。
「あいつに頼んだんだ。聖女の宿に、聖女の来訪を知らせろと」
フィリアは首を傾げる。
「聖女の宿?」
「ああ、聖女専用の宿だ」
「そんなものが……」
リュカは何か考え込むようにうつむくと、ウルフ・トラベラーズ・ガイドを取り出した。
フィリアが尋ねる。
「リュカは行ったことあるの?」
「……ああ」
その時だった。
明るい空に、花火が三発打ち上げられたのだ。
フィリアがそれを呆然と見つめていると、遠くの方でまた花火が三発。
ブノワが言った。
「おっ、連絡がついたようだな」
フィリアにはさっぱりわけが分からない。
「また船の用意をする。反対側の船着き場へ行け」
そっとリュカを見上げると、彼は言った。
「場所は知っている。一緒に行こう」
手が差し出される。
フィリアは嬉しくなって、すぐに彼と手を繋いだ。
街の反対側の船着き場では、小さな舟にレントのほか、数人が乗り込んで両人を待っていた。
手を繋いで現れた狼と聖女に、島の人々はほっこりして微笑む。
「あらぁ、リュカ。聖女様とすっかり仲良くなったのね!」
猫耳おばさんがほっと息を吐く。
フィリアは小舟に乗り込みながら尋ねた。
「あの……これからどこへ行くのでしょうか?」
「これから、聖女の宿がある島へ行くのさ」
「もうひとつ島があるんですか?」
「ああ、すぐそこの島だよ。あそこにあるだろう」
猫耳おばさんが指差した方に、小さな木造の家が建つ小島が見える。
「あの建物が聖女の宿……?」
「ええ。本当に小さな温泉宿だよ」
リュカは、どこか物憂げにその小島を眺めた。
フィリアは彼の表情から何かを感じ取り、囁く。
「どうしたの?リュカ」
「いや……ちょっとね」
レントが声をかける。
「早く行こう。あの温泉には千年前の聖女、セシリア様の思い出が詰まっているんだから」
フィリアはその時、初めて千年前の聖女の名を知った。
聖女セシリア。
小舟はゆったり波に任せて、宿の人々を乗せて出港する。
小島には、あっという間に着いた。
小島の宿に、従業員たちが入って行く。
宿の手前でリュカの荷物を預かりながら、レントが言った。
「今から食事の準備をするから、島を回っておいでよ。出来上がったら鐘を鳴らして知らせるから」
そう言いながら、レントは宿の手前にある手動の鐘を鳴らして見せる。
フィリアが頷くと、
「行こう」
と、再びリュカが手を差し出して来た。
フィリアは彼と手を繋ぎながら、怪訝な顔をする。
(どうしたんだろ。今日のリュカ、ちょっと怖い顔してる)
いつもは柔和な表情のリュカの頬が、今日は思い詰めたようにこわばっている。
二人は歩き出した。
しばらく歩くと、リュカが言う。
「フィリア。この島の伝説を聞いたことは?」
フィリアは首を横に振った。
「ないわ」
「……そっか」
「どうしたの?リュカ。この島に来てから、何だかずっと怖い顔してるけど」
リュカは言った。
「この島に、千年前の狼が眠ってる」
フィリアは何かを察して息を呑んだ。
「千年前の、狼……?」
「ああ。千年前の狼、名をサシャと言った」
「それって、聖女付きの狼?」
「そうだ。千年前、彼は聖女を守ろうとして死んだ。その亡骸がこの島に埋葬されている」
フィリアはどきりとし、リュカの手をぎゅっと握る。
彼もまた、聖女の手を握り返した。
二人は浜辺を延々と歩いて、小さな松林に足を踏み入れる。
リュカに手を引かれるまま、フィリアは粛々と歩いた。
松林の、木漏れ日差す静かな場所。
そこに、小さなぼろぼろの石碑があった。
石碑にはこう刻まれている。
〝サシャの勇気をここに讃える。島民一同〟
二人はそれを無言で見下ろした。
リュカが重い口を開く。
「サシャは、きっと──あの時の俺みたいになって、死んだんだ」
フィリアは頷いた。
「三年前、島民から聞いた。聖女セシリアが初めに〝海を見たい〟と言ったから、サシャは彼女を最初にこの島の温泉へ連れて来たのだと」
フィリアは当初の自分と重なって、目をこする。
「サシャはそんなセシリアの思いを尊重してここに連れて来たんだ。けれど……余り順番を考えなかったのかな。いい効能を得られる温泉に辿り着く前に、兎の里でやられてしまった」
フィリアはしゃがみ込むと、石碑にかかっている枯葉やツタを取り払ってやった。
「でも、サシャはこの温泉にいい思い出があったらしく、死んだらイレオンではなくこの島に埋葬してくれと猫獣人に頼んであったそうだ。そういうわけで遺体は舟で運ばれ、ここに埋葬された」
二人の胸に、同じ思いが去来する。
「サシャとセシリアの分も、私、頑張らなきゃ」
「……そうだな」




