31.海を渡って、猫の島
黒いローブにすっぽり身を包み、狼と聖女は暗闇を駆け抜ける。
フィリアは次第に、嗅ぎなれない匂いが鼻先に漂うのを感じていた。
海の匂い。
それをようやく理解したのは、朝焼けに光る海が目の前に広がった瞬間だった。
青い海。
青い空との間に、うっすらと白く輝く境界線。
波が一定の間隔でさざめく音。
フィリアはばさりと黒のローブを頭から外した。
「……きれい」
余りの感動にフィリアは狼から降り、しばらく海に向かって立ち尽くした。
視界全てを海で満たしたくて、端から端まで眺め渡す。
目をこらすと、遠くに船が見えた。
リュカはその隣で寝そべり、しばらく体を休める。
「見てて、ちっとも飽きないわ」
フィリアがそう言って頬を輝かせる。
「そうか……よかった」
「海は青い。本にそう書いてあったけど、実際に見たら本当にその通りだし、それ以上の美しさだったわ」
「もっと近くまで行って見てみようか?」
二人が岸まで歩いて行くと、岸の下に船着き場があるのが見えた。
「おっ、やっぱりここが港だったか」
リュカが眼下を覗き込んで呟く。
「……港?」
「ああ。ここは猫獣人の港だ。ここから、猫獣人の街に行けるぞ」
「猫……」
「背中に乗れ、フィリア」
リュカは聖女を乗せると、ひょいと崖の下に飛び降りた。
フィリアはきょろきょろと視線を動かす。
「猫獣人の街って、どこにあるの?」
リュカは遠くを眺めた。
「あっち」
「あっち?」
フィリアは水平線に視線を飛ばす。
「海の向こうだ」
「!?」
聖女は胸を抑える。
「そんな……どうやって行くの?」
「それはだな……あっ、来た」
「?」
「猫獣人の船だ!」
すると水平線に現れた点が、徐々にこちらに近づいて来るのが見えた。
フィリアは目を丸くする。
大きな漁船。
それが色とりどりの旗をはためかせて、こちらにやって来たのだ。
「猫獣人は聖女協定に入っている。交渉すれば、きっと猫獣人の街に案内してくれるぞ」
船が港に帰って来るのを合図に、砂浜の遠く向こうから、猫獣人の集団がやって来るのが見えた。
猫の耳を生やした男女。皆、手には磯で手に入れたらしい貝や昆布などを持っている。
リュカは獣人の姿に変身すると、彼らを待つ。
対する猫獣人は、フィリアとリュカを見るなり歓声を上げてこちらへ走り込んで来た。
「え!?ちょっとちょっと」
「聖女様だ!」
「ついに猫獣人の元にも聖女様が来たぞ!」
二人はあっという間に猫獣人に囲まれてしまった。
その中のひとりの猫少年が、リュカに声をかける。
「リュカ、本当に聖女様を連れて来てくれたんだね!」
「おおー!レントじゃないか。でっかくなったなー!」
どうやら顔見知りらしい。レントは目を潤ませて狼を覗き込んだ。
「千年前の聖女様は、兎の里で人間に捕まってしまったんだ。だから……今回は本当に頑張ったんだね、リュカ」
リュカはそれを聞くと、ふっと真面目な顔になって頷いた。
「ああ、……そうだな」
「そろそろ船が着くよ。聖女様、頑張って癒されて、力を取り戻してくれよな!俺たちも手伝うから!」
フィリアも真面目な表情になって頷く。
漁船は猫獣人らの手で港まで引っ張り上げられ、港に停泊した。
船からずんぐりむっくりの猫親父がのしのしとやって来る。
「おっ。あんたが噂に聞く聖女か!」
猫親父は彼女を上から下まで眺めた。
「俺は猫獣人の街アガサの網元で、長のブノワだ、よろしくな。じゃ早速船に乗れや。今日は大漁だったんだぜ。潮目も来ていないのに妙だな〜と思った矢先の聖女様だ。何にせよ幸先がいいぜ!」
フィリアはどきどきと胸躍らせる。初めての海、初めての航海だ。
初めて乗る船に足を踏み入れ、ぐらぐらするような浮遊感にフィリアは驚く。青くなりすぐそばにいたリュカにぎゅっとくっつくと、周囲からどっと笑い声が起こった。
リュカはフィリアに囁く。
「怖かったら、ずっとこうしてていいよ」
フィリアは頷いてから、彼に肩を抱かれていることに気づいて頬を染めた。
「着くまで、ずっと揺れるから」
二人は船べりで海を見た。
再び、帆が風をはらんではためく。
大きな漁船は、猫獣人の街を目指してやんややんやと出港した。
聖女の航海を寿ぐようにトビウオの群れが船を先導しきらきらと飛び交い、クジラの背が現れ水しぶきを上げた。
それにいちいちフィリアは驚き、リュカは笑った。




