3.狼族のリュカ
巨大な食堂に入り、フィリアは瞠目した。
そこでは大小さまざまな獣人が、各々好きな食べ物を注文して軽快に酒を楽しんでいたのである。
紅白のワイン、黄金色のウイスキーにビール。色とりどりのサラダに様々なハーブの香りがする揚げ焼きチキン。串に刺した炭火焼の甘い香りのパプリカ。バターと岩塩で焼いたコーン。
むせ返るような食物の、香ばしい匂いが鼻先を交差する。
光と音楽が溢れ、人間界には存在しない、夢の食堂がそこにはあった。
フィリアが目をチカチカさせながらそれらを見渡していると、ようやくその肩から狼獣人の手が離れる。
「……ご無礼をお許し下さい、聖女様」
フィリアはどきりとしてリュカを見上げる。
リュカは思いつめたような表情で、フィリアを見下ろしていた。
「何か食べましょう。お疲れでしょうから」
フィリアは眉をひそめた。
なぜこの獣人は、フィリアが聖女の家系であると知っているのだろう。
リュカは気を取り直したようにカウンターへ声をかける。
「狼獣人二名で」
「はいよ。狼獣人はメニュー価格は等倍ね」
「どーも」
フィリアは壁に貼り出してある料金表を眺めた。各獣人ごとに、料金が異なるらしい。体が大きく、たくさん食べる獣人は価格が五倍。逆に小さな獣人は価格が二割引きとなっている。分かりやすい料金体系だ。
二人は共に向かい合って丸テーブルを囲む。
「……聖女様、名前は?」
リュカに小声で問われ、フィリアは答えた。
「フィリアです」
「そっか。フィリア様……何を食べますか?」
フィリアは先程貰った銀貨と、料金表とを交互に眺めた。するとリュカが堪えきれずに笑う。
「なっ……」
「……いいですよ、ここは私が出しますから」
奢ってくれるらしい。フィリアは訝しんだ。
「ありがとう。でも、なぜ見ず知らずの私に奢ってくれるの?……あなたは何者?」
リュカはフィリアを見つめ返した。
「申し遅れました。私は狼獣人の神官の、リュカです」
少女は目を丸くする。
──獣人の神官。
「聖女様が獣人界にやって来る時は、癒しの力を失った時だと言い伝えられています。ですから、聖女様が癒しの力を取り戻すために、我々神官が手助けすることになっているのです」
「そんなの、私、聞いたことない」
「人間は知らないかもしれませんね。狼族にのみ伝わる言い伝えですから」
「へー。何で狼族にのみ伝わってるんだろう?」
リュカは何か言い淀んでから、しばらくしてこう答えた。
「それは、聖女が癒しの力を失った時は、狼獣人と似た姿になるからでしょう。狼族がお供に最適だというわけです」
フィリアは押し黙る。そんな人がこんなに都合よくここで自分と出会うだなんて、何か裏があるのではないか。
「あなたたちは、私なんかを助けて何の得があるの?」
リュカは困ったように首を傾げると、静かにこう告げる。
「聖女様に癒しの力が戻り、獣人と共に暮らして頂ければ、獣人族もようやく傷や病を癒せるようになります。獣人族は今も昔も、癒しの力がないのです」
なるほど、とフィリアは得心した。
「確かに今の私は帰るところがないし……生き延びるには癒しの力を取り戻して、獣人界に溶け込むしかないのかしら」
リュカはそう呟く少女の顔を注意深く眺めた。
「でも、どうやって癒しの力を取り戻すの?」
「……」
「きっと私、元々癒しの力なんかないの。だから、家を追い出されたのよ」
「……」
「癒しの力があったなら、お父様お母様は私を好きになってくれたのかな……」
「……」
「……」
「……あ、すいませーん」
リュカが突然、気の抜けた声で店員を呼ぶ。
フィリアは目が点になった。
「グレープフルーツジュースふたつ。フィリア、あと何がいい?」
フィリアは慌ててメニュー表に目を落とす。
「えーっと……」
そう言ったきり、フィリアは固まってしまう。
「フィリア?」
「ど、どうしよう……」
フィリアは泣き出しそうな顔でこう言った。
「私……〝好きな食べ物〟がない!」
リュカはぽかんと口を開けてから、少し深刻な顔になった。
「……そんな馬鹿な」
「私、毎日同じものを食べていたの。だから自分で食事を選んだ経験がない」
「……」
「困ったわ。メニューを見ても、それがどんな味だか見当もつかないの」
リュカはじっとフィリアの眉間の皺を眺め、再び店員に視線を戻した。
「白身魚のポワレに、茄子のオリーブオイル揚げ。カシューナッツ炒めに、三種のパスタ盛り合わせで」
一通り注文すると、店員は去って行った。フィリアが固まっていると、リュカはにっこりと笑って見せる。
「私の好物を頼んでみました。聖女様のお口に合うといいのですが」
フィリアは困った顔をする。
「どうしてそこまでしてくれるの?」
すると、リュカが待ってましたとばかりにこう答えた。
「聖女様。癒しの力とは、癒されなければ手に入らないものなのです」
フィリアが尚眉間の皺を深くすると、彼は更に続けた。
「つまり、あなたが癒されれば癒されただけ癒しの力が手に入る。結果、ヒーラーになれるというわけなんです」
フィリアの瞳に、ぽっと光が灯る。
「癒されれば、癒しの力が……!?」
「はい。というわけで──フィリア様は何に癒されますか?」
フィリアは彼の質問に、頭を巡らせる。
そして再度愕然とした。
「何に癒されるかなんて……そんなの、考えたことない!」
リュカは頷きながら冷静に言う。
「とりあえず、まずは食べて癒されましょう。聖女様の好きなものを、これから増やしましょう……二人で」
フィリアは頷きながら視線を落とし、少し赤くなる。
(何でだろう……今の言葉、凄く嬉しい)
フィリアがちらと視線を上げると、リュカはそれをすんなりと受け止めてにっこりと笑った。