26.矢を射られた白狼
獅子王は舌打ちする。
(迂闊だった。兵力を獅子の里のみに差し向けるなんて効率の悪いことを、人間がするはずはない)
それに気づくと、彼は再び群の中へと舞い戻った。
「全員集合せよ。話がある」
シリウスは集まって来た獅子たちにこう告げた。
「手分けして、それぞれ猪獣人の町と猫獣人の港に行こう。そこに向かった兵士を食い殺すのだ」
獅子たちは頷き合った。
聖女がどちらかに辿り着く前に、人間兵士を追い払わねばならない。
一方、狼と聖女は、森を猛スピードで走り行く。
フィリアは振り落とされないよう必死にリュカにしがみつく。木々の間を縫うように走り抜け、そこを突破すると、一瞬、吹きつける風に飛ばされるかと思った。
──見えた。
山の上に、堅牢だが古びた城塞都市がある。
走りながらリュカが呟いた。
「猪獣人の城塞都市バシリクだ」
「……猪獣人って、最初に食堂にいた獣人よね?」
「そうだ。あれは俺たちにとって余りいい獣人族とは言えないのだが……背に腹はかえられない」
「そうなの?」
「猪族は聖女協定に入っていないんだ。だが今は非常事態だ、助けを求めよう。彼らだって獣人のはしくれ。無碍にはしないと思いたい。それに平地で長距離の場合、狼は人馬に追いつかれてしまう。更に遠い猫獣人の街へ向かうのは危険だ」
リュカは姿勢を低くし、バシリクへ向かい山道を駆け上る。
曲がりくねったなだらかな坂道を息も絶え絶えに走り抜け、ようやく目指した城塞が目の前に迫って来たかのように思えた、その時。
「隊列進め!」
どこかから叫び声がし、フィリアとリュカはハッと息を呑んだ。
山を一斉に駆け上がって来る人馬が複数。
リュカは周囲を見渡し、歯ぎしりをする。
「しまった。人間に山の周囲を囲まれていた……俺たちがここに上がって来ると予想して、隠れて包囲していたんだ!」
フィリアは震えた。
万事休す。
「リュカ……」
「気を確かに持て、フィリア」
「私達、ここで死ぬの?」
リュカは押し黙る。
二人の間に不穏な空気が漂った。
馬は大挙して森で目立つ白い狼目がけて走り込んで来る。
二人は城壁に追い詰められた。
リュカは壁に背を向け、人間に対しグルグルと唸ってみたが、相手の足取りが緩まることはない。
「……フィリア」
狼は前だけを見つめ、聖女に言った。
「また会おう」
フィリアは目に涙をためる。
「……どこで?」
「分からない。いつか、どこかで」
「リュカ……!」
リュカは彼女を振り返らず白狼の姿のまま地を蹴ると、騎馬兵に向かって上空から降り落ちて牙をむく。
兵士の喉笛に噛みついた瞬間。
周りの兵士らは狼に向かって弓を構えた。
フィリアは叫んだ。
「やめて!」
刹那。
矢が四方八方から、リュカの体を貫いた。
血しぶきが宙を舞い、地面を赤々と濡らす。
重苦しい音が地面に落ちる。
フィリアは地に横たわり赤く染まった白狼を見て、慟哭する。
「いやあああああ、リュカ!リュカ!」
フィリアが駆け込んで白狼に追いすがると、一斉に人馬がそれを取り囲んだ。
フィリアはまだ温かいリュカの体を抱き締めた。
血の匂いがする──
「おや、やはりここにいらっしゃったのですね聖女様」
フィリアは光を失った瞳を上げる。
そこに立っているのは、見知らぬ兵士。
「申し遅れました。私は兵士長のアドルフと申す」
言いながら、アドルフは何のためらいもなく剣を抜いた。
そして即座にそれを横に構え、聖女の首をびゅんと跳ねる。
手ごたえがあった。
──はずだった。
「……ん?」
しかし目の前の聖女は未だアドルフを仰ぎ、睨みつけたまま微動だにしない。
ふとアドルフは我に返り、声にならない声を上げる。
落ちたのは、聖女の首ではなかった。
──己の腕。
「……ぐあっ!?」
何が起こったのか、アドルフ自身分からなかった。
混乱する頭で考え、一番恐れていたことが起こったのだと理解するまでに、数秒。
聖女は冷静にリュカの体から矢を抜くと、ふわりと青白い光をまとった。
それから白狼の体を、ゆったりと撫でさする。
狼の傷口が瞬時に癒える。
その聖女の能力を目の当たりにした兵士が次々矢を彼女に射るが、矢は全て聖女の手前で燃え尽きて落ちた。
彼女の体の周囲を、煌めく光が霞のごとく取り囲み始めている。
アドルフは目を見開いた。
「馬鹿な。こんな短期間で……!」
フィリアは目の前の兵士を、刺すように見上げる。
その聖女──最強。




