24.群を率いるには
魚が上手に焼けて、フィリアは舞い上がっていた。
獅子と狼がうまいうまいと食べるものだから、尚更だ。
「朝飯が終ったら、昼食の準備をしよう」
獅子王シリウスの提案に、フィリアは耳を疑った。
「えっ。もう昼食の準備……?」
「昼も全く同じものを食う気か?別のものを食べたくならないか」
そう言われてみれば、そんな気もする。
「そうですね、確かに」
「この山に分け入れば、野菜や果物、木の実などが成っているぞ」
「へー、楽しそう!」
「やることもないし、行ってみよう。ところでリュカ」
リュカは顔を上げた。
「お前はここで炭火の準備をしておけ。その間に、我々は食材を採って来よう」
リュカは何事か不満を述べようとしたが、
「じゃあね、リュカ」
あっさりとフィリアがそう言うものだから、彼は少し怒ったように口を結んだ。
聖女はシリウスと山を分け入る。
「これがレモンの木。これがヘビイチゴ、これがキノコ……」
シリウスはこの山を知り尽くしているらしく、次々と説明して見せた。
「キノコは、私がいる時以外は口にしない方がいい。キノコのほとんどは毒だからだ」
「へー、意外と危険な食べ物なんですね」
「ああ。でも、このキノコなら食べられる」
シリウスが傘の厚いキノコを採る。フィリアはレモンをもいだ。
ふわりと、柑橘の香しい芳香が花開く。
「いい匂い……」
「匂いに癒されるのか?なら、これはどうだ。月桂樹だ」
フィリアは月桂樹の枝をぱちんともぐ。
スパイシーな香りが広がって、胸のつかえが取れるようだ。
「これも、いい匂い」
「料理に使うと、いい香りが料理につく。葉を乾燥させると、より香りが強くなるんだ」
物知りなシリウスに、フィリアは感心のため息をついた。
「さすがは獅子の王。博識ですね!」
「群れ全体を飢え死にさせないように、必死で身に着けた知識だ」
「なるほど。群れを……」
聖女は先程のハーレムを思い出し、少し身構える。それを見透かしたようにシリウスが言う。
「君は人間だから、あのような群れを野蛮だと感じたのではないか?」
フィリアは戸惑ったが、素直に頷いて見せた。
「正直でよろしい。だがひとこと言わせてもらうと、あれは獅子族が飢え死にしないための知恵なのだ。獅子は狩りをして暮らす。そのたびに移動をするから、女だけで移動するのは心もとない。そこで力の強い雄が大勢の雌を守るというわけなのだ。女も、力の強い男の庇護下に入れば、優秀な遺伝子を残せ、群れの中で安全に暮らせる。案外理にかなったシステムだと思わないか」
「……あなただけが女性を独占しているの?」
「いや。いくつか群れは存在する。そこでも誰かがハーレムを形成しているだろう。が、この獅子王の群れが一番大きいというだけだ」
「では、他の力のない雄はあぶれてしまうじゃない」
「それはしかたがない。強くなければ、群れは守れない。強くなければ、雌を守るのは諦めるしかない」
フィリアはリュカのことを思い出し、少し胃がキリキリする。
「やっぱりよく分からないわ。私、ひとりがひとりを好きになる世界しか知らないの」
「まあ、理解してくれとは言わんよ。ただ、何事も知ることは大事だ」
フィリアは首を傾げる。
「それって……?」
獅子王シリウスは真っすぐな視線でこう言った。
「聖女フィリア。君は獣人を導き救うために、ここに存在する」
フィリアは聖女伝説の核心に迫るような気がして、ごくりと息を呑んだ。
「聖女様、癒されたその後を考えたことは?」
聖女は首を横に振る。山の木々が、ざわざわと不安げにざわめいた。
「恐らく、まだそこまで考えていないであろう。癒されたあとは、癒す仕事を一手に引き受け──死ぬまでそれをこなさなければならない。君にその覚悟はあるか?」
フィリアは緊張にどきどきと胸を鳴らした。
「死ぬまで?」
「そうだ。はっきり言おう。君には死んで人間の役に立つか、生きて獣人に酷使されるかの二択しか現状用意されていない」
「……!」
「そのどちらからも逃げたいなら、今がチャンスだが?」
フィリアは少し泣き出しそうになる。
今までそんなこと、考えたこともなかった。
ただ命が助かったことを頼みに、リュカに誘われるままここまで来た。
ふと聖女は気づく。
「ねえ、もしかして……ダントンで殺されそうになった私を助けてくれたのは、あなた?」
獅子王は何も言わなかった。
だがその真っすぐな視線は、全てを物語っている。
フィリアは王を試すように、間近に進み出てその目をしかと仰ぎ見た。
「あなたは私を、酷使するために助けたの?」
獅子王は少し目を見開いた。
その表情をつぶさに眺め、フィリアは低い声で言う。
「多分、違うと思うの」
獅子王は感じ入るように目を閉じた。
「きっと、あなたは私に希望を見出しているんだと思う。リュカも、ニナもそうだった。だから私、獣人の役に立つわ。誰かの希望になれるって、なかなかないことだと思うから」
獅子王はそれを聞くと、目を閉じたままくっくと笑った。
フィリアはそれをぽかんと見つめる。
「いや……実際のところを聞いて、ほっとしたよ」
シリウスはようやく暖かい眼差しをフィリアに向けた。
「正直、聖女様を見くびっていた。人間からあのような扱いをされていたにも関わらず、これほどまでの無私の精神を持っていたとはね」
フィリアはほっとすると同時に、なぜか泣けて来て目をこすった。
目の前の獅子も、聖女を信じたかったに違いない。
彼自身、人間のばら撒く細菌兵器から逃れながらも群れを安全に引っ張るために、きっと沢山の苦労をして来たのだ。
「聖女フィリアよ。誰かを導くのは非常に難しい」
フィリアは頷いた。
「リュカも三年前、それはそれは聖女を連れ歩くことに関して悩んでいた。俺に色々と相談して来たものだから、我々は非常に仲良くなった」
森の木々の合間から、次第に日が差して来る。
「だから約束をした。リュカや聖女が困ったら必ず助けに行くと。ダントンの時は、間に合ってよかった。ただ、聖女を見失うという失態を犯したが──」
聖女はくすくすと泣き笑いをした。
「リュカは以前約束した通り、俺の遠吠えですぐに聖女の出現を理解したようだ。それからの動きは、君も見た通りだ。猪獣人の店に駆け込み、君をいざなうことに成功した。事前のコミュニケーションが功を奏したという好例だ。だから聖女よ、出会った獣人となるべくコミュニケーションを取るよう心がけよ。何がどう運命に作用するかは分からないからな」
フィリアは頷いた。
「何事も先入観を持たず、互いの間に生まれた真実だけを信じよ」
獅子は、獣の中で一番強い。そんな彼でも迷ったり、間違えたり、自信を失ったりすることがあるのだ。
「ありがとう、シリウスさん」
フィリアは彼らの習性に囚われず、獣人を理解しようと決意を新たにした。




