23.己の手で掴むもの
朝が来て、フィリアはうっすら目を開ける。
目の前には、白い狼に戻ったリュカがいる。
フィリアは寒さに身震いした。用意された布団では足りないぐらい、今朝は冷え込んでいる。
こらえ切れずふわふわのリュカに抱きつくと、その毛並みと温度を堪能する前にふわりと風が吹いた。
「……リュカ!」
「おはよう、フィリア」
リュカは待ち望んでいたように、フィリアをぎゅうっと力いっぱい抱き締めた。フィリアは真っ赤になる。
「やだ。起きてたのリュカ……!」
「今起きた」
「びっくりした……いきなり男の人の姿に戻らないでよ」
「……狼の姿じゃ、フィリアを背中まで抱き締められないだろ」
彼女の背中に、彼の腕が回っている。フィリアの頭に、リュカの顎がちょこんと乗った。
フィリアはどぎまぎする。
「……リュカ、獅子の里に来てちょっと変わったね」
「そう?」
「何か……大胆になった」
「……だめかな」
フィリアはしばらくリュカの肩にうずもれて何ごとか考え込んでいたが、次第に胸がいっぱいになって目をこする。
リュカは異変に気づき、体を離した。
「あ、ごめん……やっぱり、驚いたよな」
「違うの。ちょっと……」
「?」
「実は私、誰かに抱き締められたの、物心ついてから初めてだったの」
すると、リュカは再び追いすがるように聖女を抱き締めた。
「リュカ……」
リュカは黙っている。
彼の鼓動が体を通じて伝わって来る。フィリアは彼の温もりを感じ取り、目を閉じた。
「……俺も」
やっぱり、と彼女は思い、再び目を開ける。フィリアもリュカの背に腕を回した。
「……今日、寒いね」
「そう?」
「人間だからかな、寒いの」
「ん?……まさか、フィリア。寒くて俺に抱きついて来たの?」
「そうだけど」
「……」
リュカはあからさまにがっかりした顔になる。それを見てフィリアはくすくすと笑った。
「リュカは、何で私を抱き締めたの?」
「言わせるの、それ……」
「どうせ、何か後ろめたいこと考えてたんでしょ」
「そういうこと言うんだ、フィリアは。俺はただ単純に……」
「うん」
「聖女を癒そうと」
「それ言えばいいと思ってるでしょ」
ふたりはクスクスと笑い合う。それから沈黙がやって来て、リュカの顔がフィリアの顔に近づいて来た。
フィリアは何が起きているのか予想出来ず、ぼうっとリュカの顔を眺めている──
と。
「おーい、聖女様」
テントが無遠慮に開けられた。
フィリアはリュカの顔をぐいと手で押し返すと、テントの入り口を振り返った。
そこには、釣り竿を持ったシリウスが立っていた。
「はい」
「ああ……今、お取込み中か?」
「いいえ。何の御用でしょうか」
「聖女様は釣りをしたことはあるか?」
「ないわ」
「これを貸してやろう。癒されるからやってみるといい」
リュカは起き上がって少し憮然とし、シリウスがそれを見てくっくと笑う。
「おい神官。貴様の仕事は何だ」
「聖女を……いっ……癒すことです」
「じゃあさっさとしろ。これで朝飯を釣るんだ」
「……釣り竿がなくても、魚は捕れますが」
「何を言う。聖女が癒されるために釣りをするんだよ」
リュカがそうっとフィリアを振り返ると、彼女は釣り竿を見て目を輝かせていた。
「……フィリア?」
「釣り、昔絵本で見て、一度やってみたいと思ってたの!」
「へー……」
「早速行きましょう、リュカ!」
聖女の意外な希望に、リュカは目を丸くした。
これが聖女の力なのか。
何の餌もついていない聖女の釣り針に、魚が次々と食いついてくる。
「わー!どんどん釣れる!」
リュカとシリウスの餌付きの釣り針に、魚はまるでかからない。
「……おかしいでしょ」
リュカが愕然と呟く。
「さすがは狼頭の聖女だ。動物から慕われるように出来ている」
シリウスは当然のようにそう言って、にやりと笑った。
「神官よ、気をつけろ。あの人気ぶりでは、いつどの獣人に拐かされるかも分からんぞ」
リュカはシリウスに苛立ちの眼差しを向ける。
「……シリウスさんのそういう意地の悪いところ、三年経っても変わりませんね」
「まぁな」
「……でも、あの時の約束を果たしてくれたことは、多分一生恩に着ます」
「……ああ」
男たちの釣竿はしならない。
シリウスは静かに言った。
「人間兵士の肉は脂肪のかけらもなく、なかなかに不味かったぞ」
「……」
「けれどこれも、聖女を助けるためだ」
「……すみません」
「何か勘違いしてないか?聖女はお前だけのものではない」
「!」
「おー、いい顔するじゃないか狼。大丈夫、気の多い俺でもさすがに聖女をハーレムには加えないさ……」
フィリアは釣った魚の腹を、ナイフでザクザクとさばき始めた。
「いつの間に聖女様はあそこまで出来るようになったんだ?」
「昨日、教えました」
「串にまで刺してるな」
「それも教えました」
「いい傾向だ。自分で出来ることが増えれば増えるほど、癒されることも増える」
「……はい」
彼らは一向に釣果に恵まれない。
「……でも、シリウスさん」
「何だ」
「多分フィリアは勘違いしてますよ。シリウスさんから冷遇されているって」
「ははは。まあそれも成長の一過程だな。どうせ、兎の里で厚遇を受けたのだろう?」
「……はい」
「あんなことでは、すぐに癒されなくなる。本当の癒しは、与えられることではなく、与えることにある」
遠くから「焼けたよー!」とフィリアの声がする。
男たちは空の釣り竿を肩にかけるとすごすごと釣り場を退散し、聖女の元へと歩き出した。




